28. そして白羽の矢が立った
「千歳、お前、俺の下について学ばないか?」
討伐部隊への復帰を待つばかりとなった二日目の夜。
蒼士郎からの突然の提案に、千歳は文字を書く手を止めた。
「何を学ばせていただけるのですか?」
「ちょうど身の回りの世話をする者がいなくて困っていたところだ。よく気も付き、見たところ頭も悪くない。傍に仕えさせて色々な仕事を教えれば、役に立ちそうだ」
なんてこと、人手が足りず、相当困っているらしい。
当主だというのに、身の回りを管理をする者すらいないとは。
「炊事場で楽しく仕事が出来ているなら、掛け持ちでも構わない」
「はい、とても良くしていただいています」
「では半々に出来るよう豆千代に伝えておこう」
豆太あたりが、ずるいぞ許さんぞと騒ぎ出すのが目に見えるのだが。
想像し、口角が上がりそうになるのを押さえていると、突如足元がグラリ揺れた。
小さな横揺れ……しばらくグラグラと揺れて、元通りになる。
「地震ですか?」
「本土ではよくあるそうだが、三ツ島では……珍しいな」
少しして収まり、また文机に向かおうとして――。
今度はドン、と下から突き上げるような大きな揺れとともに天井の明かりが左右に揺れ、手元の筆がバラバラと畳に落ちていく。
千歳を抱き、蒼士郎が部屋の外へ飛び出すと、古い木造の屋敷は柱が軋み、剥がれ落ちた屋根瓦がガシャガシャと音を立てて割れた。
「皆、外に出ろ!!」
蒼士郎の声を聞き付け、外へ飛び出た使用人達は、大きな揺れに立つことも儘ならず地に蹲った。立っていられない程に揺れ、物が落ちてこない広い場所で皆蹲り、不安気に様子を窺っている。
しばらくして。
微弱な揺れがたまに感じられる程度に鎮まる頃。
蒼士郎が見たこともないほど顔を強張らせ、一点を凝視していることに気が付いた。
視線を辿り、――千歳もまた言葉を失い、その光景に釘付けになる。
御守様が可能な限り祓ってくれた、煉宝山の瘴気。
ちょうど麓にある湖の辺りから、空に向かい、黒い靄が柱のように伸びている。
「地割れで、噴きだしたのか……!?」
千年前とは異なり、御守様が瘴気を祓ってくださるのであれば、『鎮め石』は必要なくなるかもしれない。
三ツ島で過ごす時間が楽しくて、幸せで、温かな希望が頭を過ぎることもあったのだが。
「これでは、あの時と同じではないか……」
まるで千年前を再現するかの如く噴き上がる瘴気。
その勢いにかき消されるような低い呟きが鼓膜を揺らし、千歳は驚きに目を瞠り、蒼白になった蒼士郎の顔を見つめる。
――やっぱり、思い出していたのですね。
言葉を失くし呆然とする蒼士郎の顔から、刻々と血の気が引いていくのが分かる。
千歳を抱きかかえる腕から微かな震えが伝わり、千歳は安心させるように、手のひらでそっと触れた。
***
――その十数分後。
煉宝山に出動している討伐部隊以外の、すべての部隊・使用人達が集められた。
明朝、討伐部隊は一斉に出動し、噴きだした瘴気を祓うこと。
戦えない者は封じのある小屋にて、身を寄せ合い避難すること。
微弱な揺れが続く中、湖から戻り駆けつけた御守様の命令で、神気を帯びた白羽の矢が準備される。
「充分に妖力が回復していないが、神避諸島にいるのであれば、何とか届くだろう」
まだ三ツ島に神がいた時代、当主から当主へと伝えられた数少ない神聖な矢。
どうか見つかってほしい――!
皆が祈るような思いで見つめる中、矢は仄白く淡い光を帯びていく。
地震により明かりが消え、かがり火で揺らぐその矢は幽玄に輝き、――そして、ふわりと宙に浮いた。
次の瞬間、夜の闇を引き裂くように、矢が直線を描きながら遠ざかる。
撚り糸をさらに細く細く撚ったかのような御守様の妖力が、行き先を見失わないよう矢を追いかけていく。
皆が息を呑み見つめる中、流星のように駆け抜けていったその矢は、姿が見えなくなる寸前で動きを止めた。
「……止まった!?」
常ならぬ動きに御守様が警戒し、ぶわりと全身の毛を逆立てる。
――それも、そのはず。
矢の向き先である千歳は、出発地点である涅家の屋敷にいるのだから。
仄白い矢は突如向きを変え、屋敷に向かって勢いよく戻ってくる。
何が起きているのか理解できず、どよめく人々の声を割り裂くように矢は進む。
そして一直線に、こちらへ――。
トスッと小気味よい音を立て、皆が集まる……千歳のいる部屋の屋根へ、白羽の矢が立った。
神宮司家から生贄を寄越したのと時を同じくして三ツ島に流れ着いた、みすぼらしい平民の少女。
神宮司家の者にはとても見えない、だが三ツ島にいる間に幾分ふっくらとし、娘らしさが増してきた幼く見える少女。
皆の鋭い視線を遮り、千歳を護るように、イヅナが一歩前に出た。
「イヅナ、もういい」
攻撃態勢を取るイヅナの頭を一撫ですると、可愛らしいまんまるの目がウルリと湿る。
ゆったりとした動きで千歳がその場に平伏すると、蒼士郎が胸元に下げていた『護り石』へ勢いよく霊力が流れ込んできた。
それは神宮司家を訪れた際、『護り石』に残っていた霊力の残滓と同じもの――。
「……お初お目にかかります。白羽の矢にてお招きいただきました神宮寺千歳と申します」
神宮寺千歳として、会うのは初めて。
面を上げ、屈託なく微笑む姿は、皆の良く知る千歳のもの。
だが身に纏う霊力が、まるで神気を帯びたかのように身体中から立ち昇り、その言葉が嘘でないことを告げている。
誰一人として言葉を発することが出来ず、呆然と立ちすくむ中。
御挨拶が遅れ大変申し訳ございませんと、千歳は困ったように眉尻を下げた。