18. 出したり消したり、できるらしい
(SIDE:豆太)
「……僕のせいじゃない」
「いや、お前のせいだろ!?」
「アイツが悪いんだ。僕だってまだなのに、来てすぐ御守様に会ったり特別扱いされて」
だから、痛い目を見せてやろうと思った。
「バカ、それにしてもやりすぎだ! 人間は俺達よりも弱い生き物なんだぞ!?」
「なんだよ、みんなも言ってただろ? 生意気だって」
だから、死ねばいいと思った。
最初は古井戸に落としてやるつもりだったけど、思っていた何倍も濃い瘴気だった。
弱そうだし、近付いて少しでも瘴気に触れれば、死ぬのは分かりきっていた。
「千歳に何かされた訳じゃないだろ?」
「そうやって兄ちゃんはすぐ人間の味方をして! 僕達の家族を殺したのは、本土の人間だ。やり返しただけだ」
だから僕は悪くない。
悪いのは人間だ、――と豆太は主張する。
何も悪いことをしていないのに、あやかしだからと人間に追われ……豆千代と二人で逃げ出して貨物船に忍び込み、着いた場所がここだった。
「でもさ、同じ人間だけど涅家のみんなにはお世話になってるじゃないか」
「それはそうだけど……」
千歳が水桶を古井戸に投げ入れた理由は分からないけど、たぶん瘴気が見えていたんだ。
逃げるよう促されたし、ずっと何かを言いたそうに豆太に見ていた。
しかもそれだけじゃない。
何故あんなことが出来たのかは分からないけれど、弱い人間のくせに豆太を庇うように抱き締め、霊力で包みこんで守ってくれたのだ。
「でもやっぱり、僕のせいじゃない」
だから絶対謝らないと言い張る豆太に、まだそんなこと言ってるのかと怒る兄の豆千代。
だがその時、甲高い亀裂音が二人の耳へと届いた。
「今何か聞こえた……?」
「え、兄ちゃん何の音!?」
封じの札が何枚も張られた小屋の引き戸が、立て続けに鳴る亀裂音に連動するように、ガタガタと揺れ始める。
「うおおお……揺れ、揺れてる!?」
「兄ちゃん札が!! どどどどうしよう」
ボッと音を立てて、札が順々に燃え上がっていく。
封じが解けた隙間から黒い靄が漏れ、――そして、戸の木枠が砕けた。
ドガァァアアアンッ!!
黒鉄で補強されているはずの板扉がひしゃげ、吹き飛んでいく。
「ぎゃああぁぁあああッ!?」
「わぁぁん、兄ちゃんたすけ、助けて!!」
何が起きているのか分からないまま抱き合う二人ごと、溢れた靄を覆うように霊力が膜を張り、中心に向かって収縮を始めた。
「お、俺たち死ぬのか!?」
「ひぃぃ、兄ちゃん何かいる!!」
吹きさらしになった小屋の中央から、一際瘴気を色濃く纏う『なにか』がこちらに向かって歩いてくる。
一歩進むたび、畳がジワリと浅黒く変色していく。
恐怖のあまり変化が解け、小さな豆狸姿のまま震える二人。
その時瘴気の中から、ぬっと白い腕が現れた。
「逃げ、逃げないと……ッ!?」
「ぎょえええ、おばけ!?」
無理です足が動きません、と目で訴える豆太。
逃げなくちゃと引っ張る豆千代もまた恐怖で身体が強張り、今にも膝から崩れ落ちそうである。
突き出した二本の腕は一瞬宙を彷徨い、そして、叫ぶ二人を抱え上げた。
腕を伝い、黒い靄が纏わりつくように伸びてくる。
「やめ、は、離せ」
「うわぁぁぁん、瘴気が!!」
青褪め腕から逃れようと暴れる二人を、澄んだ霊力が包みこむ。
ざあっと押し上げられるように足元からすべての瘴気が祓われ、ただただ清浄な空気の中、腕の主を見上げるとそこには、――小首を傾げる千歳の姿があった。
「お前達、こんなところで何をしているんだ?」
「千歳!?」
「えっ、なんでそんなに元気そうなの!?」
小さな豆狸の姿といえど細い腕には重すぎたのだろうか、二人を抱えた腕がプルプルと震えている。
だが手のひらから伝わる霊力がまどろむほどに心地良く、豆太はその腕から降りる気にはなれなかった。
「おい千歳、思ってたより元気そうじゃねーか!」
「……ん? なんだ豆千代、心配してくれていたのか」
腕の震えに気付いた豆千代が、千歳の負担を軽減すべく身体をよじ登ると、肩車をするようにちょこんとその頭にしがみつく。
豆千代の頭を一撫でした後、吹き飛んだ板扉と一緒にシロツメクサが大量に散らばっているのに気付き、千歳の口元が綻んだ。
「ああ、シロツメクサか。そういえば聞いたことがあるな」
「僕は心配してない」
「そうか? でもありがとう」
まだそんなことを言ってるのかと呆れる豆千代と視線を交わし、豆太は尚も憎まれ口を叩いてしまう。
気が向いただけ。
だから、瘴気に効くと言われているシロツメクサを摘んだのだ。
本当に効くかは分からないけど、おまじない程度だけど……豆千代に手伝ってもらって、いっぱいいっぱい摘んだのだ。
素直じゃない豆太に千歳は堪えきれなくなり、笑い出してしまった。
「何が可笑しいんだよ!? お前のせいで主様に怒られたんだ。僕のせいじゃない、絶対謝らないからな!?」
「ッ、あはははは!! ……そうだな豆太。古井戸に水桶を投げ入れた、私のせいだ」
怒られたならすまなかったと笑う千歳に、豆太はそれ以上何も言えなくなってしまう。
「元気そうで良かった」
朗らかに微笑む千歳の優しい眼差しに包まれて、思わずじわりと豆太の目に涙が浮かぶ。
二人のやり取りをしばらく黙って聞いていた豆千代だったが、気付いたように千歳の頭をぽふぽふと叩いた。
「ところでお前の霊力、なんなんだ? それだけあるなら下働きじゃなくて、異形退治の救援部隊に編入したほうがいいんじゃないか?」
「……ああ、しまった。そのままだったな」
スッと波が引くように、千歳の身体から霊力が消える。
「え、なくなった!?」
「霊力って、出したり消したり出来るもんなの!?」
「まぁそうだな、これは当主様に頂いた『護り石』の力だからな」
そんな訳ないし、そうだったとしても普通は霊力の出し入れなどできない。
驚く二人に、それなら『護り石』の霊力が尽きたんじゃないかと嘯く千歳が怪しすぎる。
『ピィ――――ッ!!』
板扉が吹き飛ぶ音を聞きつけたのだろう。
豆狸たちが胡散臭そうに目を眇めたその時、呼子笛の音がそこかしこで鳴り響いた。
「先程見たことは、みんなには内緒だぞ?」
「お前……古井戸に行った時とは全然性格が違うじゃないか」
「それは豆太も一緒だろう?」
お揃いだな! と笑う千歳の頭上に頬を乗せ、豆千代がやれやれと溜息をついている。
駆け付けた救援部隊はすっかり元気になった千歳に仰天し、『護り石』の効果は素晴らしかったと蒼士郎に報告が上がったのは、実にこの五分後のことだった――。