15. 『護り石』の娘
「まさか涅家の当主自らが本土に来るなんて……」
「でもお父様、千歳は海に落ちたのだから確認しようがないじゃない」
突如神宮司家に届いた、涅家当主来訪の報せ。
これまで本土に直接赴いた記録はなく、千歳の義父である神宮司家の当主は、ただ事ではないと頭を抱えていた。
「ずっと屋敷の中に閉じ込めていたし、殆ど霊力がないことも外にはバレていないもの。知らぬ存ぜぬで通せば、それ以上何も言えないわよ!」
「それもそうだな……」
彼らが慌てるのも無理はない。本来ならば霊力の高い、義姉の芙美を差し出すべきところを偽り、千歳を身代わりに立てたのだ。
出航をさせ、三ツ島に向かわせたまでは良かったが、涅家についたら霊力が殆ど無いことがバレてしまう。
ゆえに、事故を装い海に沈めたのである。
勿論、多額の結納金もしっかりと頂いた。
「最後にこんな置き土産を残すとは」
「処分するいい機会だと思ったのに、厄介者は死んでも変わらないわね」
「……管狐に伝えたにも拘わらず、当主自ら確認しに来るとはな。さっさと諦めて他家の娘を当たればよいものを」
苛立つあまり、準備に右往左往する使用人達を怒鳴りつける。
一体何をしに来るんだと落ち着きなく考えを巡らすうち、蒼士郎が到着したとの一報が入った。
***
何代にもわたり優秀な祓い屋を輩出してきた神宮司家。
初代当主が居を構え、代々引き継いできたその屋敷に一歩足を踏み入れるなり、蒼士郎は動きを止めた。
本土にはそれぞれ、土地を守護する神がいる。
ましてや祭祀を司る、由緒正しい家門の住まう土地ならば尚更、強い力を持った神が守護しているはず。そして多少なりとも清浄な気に満ちているはずなのだ。
それなのに、ここからは何も感じられなかった。
「本土は、至る所に神のおわす場所があると聞いたのだが」
「もちろんおりますよ。この土地も、産土神様にお護りいただいています」
まったくと言っていいほど神気が感じられないというのに?
まさか神宮司家の当主ともあろう者が、何も分かっていないのか?
本土の連中は腑抜けて使い物にならないとは聞いていたが、ここまで霊力が衰えているとは思わなかった。
信仰をなくした神は、力を失い消えていく。
それは瘴気にまみれ、とうの昔に神を失った三ツ島と同様に。
神宮司家と比して、涅家の家格は遥かに高い。
当主自ら迎えに出た上、先導され、蒼士郎は表座敷へと案内された。
「ところで、涅家の御当主様。白虎の面をしていて暑くないのですか?」
「いや、何も問題はない」
本日外は炎天下。うだるような暑さである。
そんな中、訪れた蒼士郎ならびに御付きの者達がそろって白狐の面をつけているのが、不思議だったのだろう。
まったくもって余計なお世話だ。
恐る恐る、といった様子で尋ねられ、蒼士郎は忌々しげに舌打ちをした。
「いいか、俺は世間話をしに来たわけじゃない。三ツ島に必要な『贄の花嫁』を引き取りに来たのだ。航海の途中で海に落ち、死んだなどという戯言が通るとでも思っているのか?」
使者として送ったイヅナから説明は受けたが、娘を差し出すのが惜しくなり、どこかに隠しているのかもしれない。
本当に船に乗せたのかすら、疑わしいのだ。
「そこにいるのは、もう一人の娘か?」
「こちらは姉の芙美です。世間では『護り石』の娘などともてはやされておりますが、霊力が強いのは義妹のほうです」
「その義妹を三ツ島に向けて出発させたところ、海に落ちたと?」
「左様でございます。役目も果たせないまま十五歳という若さで儚くなるとは、我々も驚き悲しんでいるところなのです」
口では言うものの、娘が死んだというのに悲壮感が感じられない。
「お伺いしたいのですが、白羽の矢はどのような条件の場所に刺さるのですか?」
「御守様が妖力を籠めた矢が海を越え、最も贄となるに相応しい者へと向かう。該当する者がいない場合は勢いを失い、そのまま海の藻屑となるのだ」
「では次の生贄を選ぶため、再度矢を放たれるのですか?」
「いや、少し特殊な矢でな。そうおいそれと使えない。御守様の妖力が充分に回復するまで待たねばならないのだ」
最低でもあと二週間は必要なのだが、三ツ島の現状を考えると、そう待ってもいられない。
「芙美とやら。三ツ島は今、至る所から瘴気が噴き出し一刻を争う事態でな。このままだと本土にまで広がる危険性がある」
蒼士郎は徐に立ち上がり、顔を隠すように俯いたままの義姉……芙美の顎を掴むと、乱暴にその顔を上向けた。
芙美の胸元に下げられた『護り石』が揺れ、蒼士郎は一瞬目を眇める。
「……『贄』となるに値するかは分からんが、『護り石』を持って生まれてきたなら僥倖だ。妹は残念だったが、お前にも充分資格がある」
白狐の面奥から刺すような視線を向けられ、芙美はその鋭さに息を呑んだ。
「部屋を一つ借りられるか? ……なに、そう時間はかからない」
「お、お待ちください、芙美に何をされるおつもりですか!? いくら涅家の御当主とはいえ、未婚の娘と二人きりにする訳にはいきません」
「イヅナに聞いた話が本当ならば、お前達は不注意で大事な生贄を失った、ということになる。何かしらの責任を負ってもらわねば、示しがつかないだろう?」
一体何をされるのだろうか。
芙美は青褪め、恐怖に涙がせり上がる。
「知っての通り『護り石』は母の胎内にいた際、溢れ出る霊力が結晶化されたもの。その真偽は正直眉唾……俺も見るのは初めてだ。それ故、代わりの『贄』になる資格があるか、確かめさてもらいたい」
「ですが……!!」
「このままだとお前達のせいで、三ツ島が瘴気に覆われるぞ? 仮にも神宮司家の長女であるならば、それなりの覚悟は常に出来ているだろう」
真に『護り石』の娘であるならば、充分な霊力があるはず。
三ツ島へと連れ帰り、妹の代わりに水底へと沈んでもらう。
偽物ならば、――そうだな。
すべてを吐かせたあと、謀った責任を取ってもらおう。
そう言い捨て、早く部屋を用意しろと蒼士郎は重ねて命じた。