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13. だがしかし、守りたいのだ


 水桶が古井戸に向かい、弧を描きながら落ちていく。

 まるで生き物のように瘴気が……黒い(もや)が絡みつき、水桶は一気に古井戸の底へと引きずり込まれた。


 グシャリ、と圧力で押し潰されるような粉砕音。

 次いで水が入っているはずの井戸の底から、砕けた破片がカラカラと転がる音がする。


「……まずい」


 少し脅して反省を促すつもりだったのに、思っていた以上に状況は悪かったらしい。


 古井戸に潜む異様な気配。

 水桶の質量分だけ瘴気が溢れるのは想定済だが、そのただならぬ気配は奥底で不気味に蠢いている。


 次の瞬間、瘴気が風船のように膨れ上がり、古井戸から天に向かって吹き出した。

 溢れ出る瘴気は井戸屋形の屋根を覆いつくし、空高くまで登っていく。


 豆太は驚きのあまり声も出ず、呆然とその様子を見つめていた。


 見たこともない瘴気の量に身動きが取れない、といった感じの豆太。

 足が動かないのかその場に立ち尽くしている。


 愛らしいつぶらな瞳を縦断し、ゴォォと地鳴りのような轟音を立てる瘴気の柱は、まるで激しく燃え上がる業火のようだった。


『ピィ――――ッ!!』


 屋敷の者も気付いたのだろう、『雨催あまよもいの花街』で松五郎が使っていた呼子笛の音が、そこかしこで甲高く天を裂く。


 笛の音に押されるように勢いを弱めた瘴気の柱は、放射状に形を変える。まるで意志を持ったように千歳達に向かって伸びてきた。


 ツタのように地を這い、触れたものから螺旋状に登っていく。

 井戸のすぐ間隣(まどなり)にあった若木の桜が、巻き付く瘴気に覆われて、ボキリと鈍い音を立てて折れた。


「豆太、走れ!」


 まだ体に慣れきってはいないが、幸い千歳の中には霊力がある。


 古くより祭祀を司る神宮司家は、祓い屋も兼任。

 前世の知識もあるし、いざとなれば何とかできる……と思いたいが、今の自分にどれ程のことができるかは分からない。


 助ける余裕がないため何とか自力で逃げて欲しいのだが、豆太は恐怖のあまり、棒立ちのまま足が動かないでいる。


 これでは救援が来る前に豆太が瘴気に侵されてしまう。

 さぁどうしようと、千歳は必至に考えを巡らせた。


 正直言って自業自得なのだが、あやかしの中ではまだまだ幼い豆狸。

 じわりと潤む豆太の瞳に瘴気が迫り、その顔が恐怖に歪む。


 駄目だ、このままだと二人とも飲み込まれてしまう……。

 真後ろに迫る瘴気もろとも、千歳は豆太に向かって飛び込んだ。


 このサイズならきっと、小柄な千歳にも抱き込むことが出来る。

 豆太の身体が瘴気に触れないよう抱えつつ、自身の身体を霊力で覆えばもしかして。


 腰の高さにも満たないその身体へと手を伸ばすと、驚くように目を見開いた豆太が見える。

 そのまま抱き上げ、庇うように胸へと押し当てた。


 抱き締められ、固まった豆太の目の端に、千歳へ襲いかかる瘴気が映る。


「……え?」


 突然のことに戸惑いながら、でも何が起きているのかを理解できていないのだろう。

 未だ身動きが取れないまま、腕の中で可愛く疑問符を浮かべている。


 駄目だ、まだ霊力が充分に馴染んでいない。

 前世とは比べ物にならないほど霊力自体が少なく、上手く扱えないのだ。


 こうなったら仕方ないと、千歳は自身の身体に沿って、霊力を膜のように薄く広げた。

 できるだけ広く、薄く。


 ひとたび亀裂が入れば砕け散ってしまうのではないかと思うくらいの、ギリギリの強度。


 二人に襲い掛かる瘴気は触れる手前で大きく膨張する。

 豆太を抱き締める千歳ごと、グルリと完全に覆いつくした。


「……ッ!!」


 雨が土に染み込むように、瘴気は霊力の膜を侵食していく。

 プクプクとした水泡が皮膚の表面に浮かぶ。じゅわっと耳に残る不快な音を立てながら、腕から肩に向かって辿るように、黄褐色の蔓が染み込んでいく。


「……ァアッ!!」


 焼けつく熱さと痛みに耐えきれず、ついに千歳から悲痛な叫びが漏れた。


 思っていた以上に瘴気が濃い。

 でも今の自分には、これが限界。


 どうしよう、このままは共倒れになってしまう。

 それならばと最後の力を振り絞り、千歳は自分を覆っていた膜を解いた。


 広く薄くでは防げない。

 ならば狭く厚く、霊力の膜を張るしかない。


 身体中を貫く激しい痛みに、気を失いそうになるのを必死で堪えた。一回り小さい豆太に照準を絞って強度を上げ、瞬時にその身体を守るための膜を張る。

 救援部隊が到着したのだろう、バラバラと遠く足音が聞こえた。


 ――ああ良かった、助けが来たのか。


 朦朧とする意識の中、千歳は無事を確かめるように腕の中へ視線を落とした。

 そこには大きな目にいっぱいの涙を溜め、今にも泣き出しそうに千歳を見つめる豆太がいた。







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