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11. 担いで5秒でもう疲れた


 まな板の上には、剥きかけの大根と青菜が乗っている。

 竃では薪が赤々と燃えているが、米を炊くための羽釜が入っていない。


「豆千代、米は私が」


 手が届くほどの距離にポツンと置かれていた羽釜の蓋を取ると、中には白米が入っており、すぐに準備ができそうである。


 米を炊く程度であればすぐにでも手伝える。

 そう思い蛇口を捻ろうとした瞬間、豆千代が泡を食って飛んで来た。


「バカ、水を出すな!!」

「……水を出さねば、米が洗えないのでは?」

「洗いたくとも洗えないんだ!」


 水不足で断水でもしているのだろうか。

 だが以前は山の麓に美しい湖があったため、水に困ることはなかった。


 仮に湖がダメだとしても、屋敷の中には複数の井戸が掘ってあるはず。

 汲み上げればいくらでも水がありそうだが、土間に置かれた大きな水桶は空っぽのままである。


「では井戸を使えばよいのでは?」

「うるさい! 何も知らない人間の小娘が偉そうに!!  今朝方、瘴気だまりが発生したんだ、無理に決まってるだろ!?」


 瘴気だまりが発生したなら、祓えばよいのでは……?


 雨催いの花街に討伐部隊がいたのに、涅家の屋敷にはいないのだろうか?

 理由が分からず首を捻る千歳に腹を立て、豆千代がまた騒ぎ出した。


「湖も井戸も、瘴気を祓うまで使えない。朝からみんな出払って忙しくしているというのに、お前が妙なタイミングで来るから……大迷惑なんだよっ!!」


 お前のせいで、夜番明けの主様どころか『御守様』まで些事に手を取られる羽目になったんだ。

 一体全体、何様だ!? と豆千代が地団駄を踏んで怒鳴っている。


 こう見えても遥か昔に当主をしていたのだから、涅家の当主がどれだけ忙しいかなど、重々承知している。


 でも敷地内の瘴気すら祓えないなんて。

 手が回っていないのか、そもそも人がいないのか、どっちなのだろう。


「いいか、瘴気で穢れた水を飲んでみろ。あやかし達は、たちまち異形に成り果てるぞ!?」

「……」

「人間であれば触れたところから侵食され、最後には腐り落ちていくんだ」


 そういえば千歳が身体を清めた湯殿の水は、瘴気だまりが発生する前の晩に、雨水の貯留タンクから引いたものだと聞いている。


 貯留タンクにはもう殆ど水が残っていないので、二キロ先にある湧き水まで歩くしかないのだという。


「そんなに手伝いたいなら、お前が一人で行って汲んでこい!!」


 ひたすらまっ直ぐ行けば大きな岩場につくからと、天秤棒と水桶を渡される。


「死んだら自分のせいだぞ! 怖ければ今のうちに、さっさと逃げ出すことだな!!」


 まったく何をいっているのだ。

 逃げようにも、花街の内壁にある『北の大門』を通らねば帰れないし、通るための手形がない。


 そもそも逃げ帰る気など無いのだが……天秤棒を担いで、そのまま土間を後にする。

 不安定な足元に気を取られながら進んでいくと、ふわりと浮く小さな靄が何度も目の端に映った。


 瘴気は水場に発生しやすい。

 このため、湧き水が汚染されている可能性もある。


 そもそも水道から出る水は、屋敷の程近くにある山……煉宝山の麓にある美しい湖から引いている。


 それが使えないと言うことは、相当大きな瘴気だまりが発生したということなのだろう。

 何も分からない状態なので、生贄であることは隠し、しばらく身動きしやすい立場のまま情報を集めたいのだが……。


「迂闊に瘴気を祓うと、すぐ力の残滓に気付かれそうだ」


 ハレの煉獄に着いてすぐ、蒼士郎はわずかな瘴気の気配にも気が付いていた。

 幸い小さな瘴気なので、そのうち離散して消えていくだろう。


 二つの水桶いっぱいに水を汲み、天秤棒で担ぐと、その重さでズシリと肩が沈む。


「……ぐ、重い」


 担いで5秒でもう疲れた。

 今世は健康なのだが、身体も小さく力仕事には向いていない。


 不本意だが松五郎にお願いし、薪割りの仕方を教えてもらうなどして筋力を付けたほうが良さそうだ、と自嘲気味に笑った次の瞬間、目の端で何か動いた気がした。


「ついて来てくれたのか」


 独り言ちる千歳の視界の隅に、草むらからはみ出た茶色い尻尾が映る。


 あれで、隠れてるつもりなのだろうか。

 無茶を言って追い出したものの、やはり心配になって見に来たのだろうか。


 後を付いてくる豆太郎らしき尻尾に、千歳はクスリと笑った。



 ***



「チッ、明らかに瘴気が濃くなってきている。これ以上放置すると、取り返しがつかないことになるぞ!?」


 蒼士郎は瘴気を祓うため、花街から帰ってきたその足で、すぐさま広大な屋敷の敷地内を駆けまわった。


「神宮司家の娘はまだなのか!?」


 白羽の矢は、もともと神宮司家を狙って放たれたものではない。

 瘴気を祓うため、最も『鎮め石』に相応しい者の家に飛ぶよう御守様が妖力を籠め、――そして放たれた矢は海を越え、遠く神宮司家の屋敷に刺さった。


 生贄となる『鎮め石』は、『花嫁』でなければならない。


 口伝のため理由は分からないが、御守様が守護してくれるずっと前からそう決まっているらしい。

 白羽の矢が立った者は現当主である蒼士郎の妻として迎えられ、そして婚儀の翌朝、煉宝山の麓にある美しい湖の……水底へと沈むのだ。


 瘴気に侵された野良のあやかしが、爪を立てて襲いかかってくる。


 一筋の赤いラインが頬に走るが、一刀のもとで斬り捨てた次の瞬間にはそのラインがじわじわと薄らぎ、治りかけの傷のようにピンク色に色付いた。


「そろそろ鎮めないと、取り返しがつかなくなるぞ」


 怒鳴ってもどうにもならないことは分かっているが、それにしても神郡司家め、出立の連絡くらい寄越してもよい頃ではないか。


 しっかり結納金は貰っておきながら、連絡すらしないとは。


 三ツ島からもしあやかしが……異形が溢れたら、本土へと向かう。

 ゆえに白羽の矢が立った家門は、一番霊力の高い娘を差し出す義務があり、断ることはできない決まりになっている。


「イヅナ、イヅナはいるか!?」

「はぁい、主様。何かしら?」


 まったりとした声を出し、見えないほどのスピードで駆けてくる、イヅナこと管狐。


 こちらも御守様同様、なぜ居つくようになったのか起源は分からないが、千年以上前から涅家の連絡役を担ってくれていた。


「すまないが本土にひとっ走りしてくれるか? 神宮司家から来る花嫁が、今どういう状態なのかを確認したい」


 承知しましたと告げるなり、瞬きする程の間にイヅナの姿が見えなくなる。

 ふわりと浮かんだ瘴気を黒剣でなで斬りにし、蒼士郎は小さく溜息を吐いた。




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