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10. 人間嫌いの豆狸は炊事場で水桶になりすます


「面を上げよ」


 澄んだ声は朝戸風のように涼やかに、(まと)わりつく澱んだ空気を無色透明に変えていく。


 朱糸の()(ふさ)が目を引く、細い竹を絹糸で編みこんだ御簾(みす)

 その奥にある高座は外から隠れて窺えないが、内側で何かが身動ぐ気配がした。


「遠路はるばる、よく来てくれた。そなたの名は?」

「千歳と申します。姓はございません」


 実は潮にのまれて身体中から磯っぽい香りがする上、埃まみれだった千歳。

 とてもじゃないが人前に出られる状態ではなかったため、あの後すぐ涅家の湯殿に放り込まれて汚れを落とし、与えられた作務衣に着替えさせられた。


 なお松五郎から貰った浴衣は少し汚れてしまったため、後ほど洗おうと思って大事にしまってある。


 涅家には古くから『御守様』と呼ばれるあやかしがいる。

 なぜ居つくようになったのか起源は分からないのだが、気まぐれに姿を現しては悪さをするあやかしを諫め、だが互いに損なうことなく、折り合いをつけて過ごせるよう守護してくれていた。


 涅家で働くあやかしが大人しく従っているのは、ひとえに『御守様』のおかげである。


 昔は使役契約を結んで、従う代わりに霊力を貰うあやかしもいたのだが、生まれ変わってからは一度も見たことがなかった。

 分け与えるほど霊力を持った人間が少ないので、あやかし側にあまりメリットがないのだろう。


 家門を守護する『御守様』が当主以外の前に姿を現すことは珍しい。

 ただの下働きとして雇われた千歳がお目通りできるなど、確かに信じられないくらいの幸運なことなのだ。


「そうか、……そのように畏まる必要はない。そうたいした者ではないが、皆と同様『御守様』と呼んでくれて構わない」


 そして今、涅家の『御守様』を前に大広間で二人きり。

 万が一にも失礼があってはならないと重々言い含められており、千歳は御簾の奥をじっと見つめながら、次の言葉を待っていた。


「さて千歳とやら、蒼士郎から話は聞いたか?」

「蒼士郎、様?」

「……そこからか。まったくあやつは、名すら名乗らんとは」


 チリン、と御簾の奥から涼やかな鈴の音が聞こえた直後、人の気配に振り返る。

 いつ後ろに来たのか蒼藤色の衣をまとった美しい青年が、千歳の斜め後ろで平伏していた。


「千歳、お前を連れてきた男を覚えているだろう」

「白狐の面を被った、黒装束の方でしょうか」

「そうだ。それが今お前の後ろにいる男、涅家の現当主だ」


 花街で刀を振り回していた男が、まさか当主だったとは思わなかった。

 千歳は驚きに目を瞠る。


「蒼士郎、お前も仰々しく頭など垂れている場合か? この娘に、一体何をどこまで説明したのだ」

「連れて来たもう一人の男から買い受け、小鬼に喰われた者の代わりに雇ってやると」

「……よもや、それだけではなかろうな?」

「指導係をつけてやる、と」


 もう一人の男も当家で働かせることになったので、千歳を買い受けた金は退職金として渡す予定です。早速薪割りをさせていますと淡々と報告している。


 ハァ、と盛大な溜息が御簾の奥から漏れ聞こえた。


 姿は見えないが、頭を抱えて呆れているようだ。

『御守様』といえば最高位のあやかし……しばらく見ない間に随分人間くさくなったものだと、千歳はぼんやり考えていた。


「お前はいつも言葉が足りん。少し反省しろ。さて千歳、お前は涅家についてどこまで知っている?」

「はい、少しだけ……。瘴気を祓い、『三ツ島』を守護してくださっていると」

「花街や、ハレの煉獄についてはどうだ?」

「通行手形を持つ『あやかし』がいるということ。あやかしが瘴気に侵されると、人を襲う『異形』になるということは伺いました」

「なるほど、殆んど知らぬも同然か。それでは性急過ぎたな」


 窓も開いていないのにどこからか風が吹き込み、千歳の目の前で、ゆらゆらと御簾が揺れ始めた。


「お前が花街に着た時、あやかしが随分騒いだと聞いている」


 頬を撫でる風が強くなり、揺れ動く御簾に目を奪われていた千歳の頬を掠め、突如一陣の風が吹き抜ける。

 御簾が大きく巻き上げられて露わになった高座には、通常の数倍もありそうな厚みのある座布団が敷かれていた。


 繊細な縫い取りが施されたその座布団の上にゆったりと寝そべるのは、千歳の数倍もありそうな真白の狐――。


『異類異形が溢れるこの地において、家門を守護する『御守様』は最高位のあやかし。人の力が及ばぬものである』


 涅家の人間であれば誰もが知っていることだが、千歳の記憶にある『御守様』はもっと蜻蛉のような実態のない姿であった。


 代替わりし九尾の狐(・・・・)が二代目となったのだろうか。


 目が合い再び平伏する千歳のもとへ、九尾の狐はふわりと舞い降りた。

 よく見ると身体の輪郭を覆うように黒い靄が揺らめいている。


 しなやかな動きで歩み寄り、平伏する千歳を覗きこむようにして顔を傾けた。


「こら千歳、先程面を上げろと言わなかったか?」


 柔らかな響きに慌てて頭をもたげた千歳の頬を、ふわりとした尻尾がかすめる。


「ふむ、見ただけでは分からんな。蒼士郎、しばらく炊事の手伝いでもさせて、少しずつ慣れさせてやれ」

「教育係は如何いたしますか?」

「豆千代がいいだろう」

「承知しました。それではすぐに」


 御前を退き、しばらく蒼士郎と並んで歩いていたのだが、千歳の歩みが遅すぎて我慢できなくなったらしい。


 歩くのが遅すぎると呟くなり抱えられ、花街の大門を超えた時のように蒼士郎は猛スピードで走り出した。



 ***



「豆千代、出てこい」


 屋敷の北側にある広々とした土間には、抱えるほどもある大きな水桶が二つ置かれ、古びた竃の中で橙色の炎が揺らめいている。


 示された場所には誰もおらず、物音一つしなかった。

 小さな舌打ちとともに「早くしろ」と蒼士郎が一喝すると、水桶の一つがグラリと揺れる。


 ぽふん、と音がして、小柄の千歳のさらに半分ほどの背丈しかない童が、何故か仁王立ちをしていた。


「今日からここで働いてもらう千歳だ」

「豆千代様、千歳と申します。よろしくお願いいたします」

「では俺は仕事に戻るから、色々と教えてやれ」


 忙しいのだろう、蒼士郎は早々に立ち去り、千歳は豆千代と二人きりにされる。


「では私は何をしたら宜しいでしょうか?」


 プイッと横を向いて豆千代に無視をされてしまった。

 なるほど、そういう感じか。


「水桶が空ですので、井戸に水を汲みに行きましょうか?」


 またしても無視をされてしまう。

 お尻から狸の尻尾が出ており、水桶に化けていたところをみると豆狸なのだろう。


 だが千歳と話す気は皆無のようで、プイッと背を向けたまま板の間にちょこんと座りこんでしまった。


 その背中が、『拒否』を示している。

 当主に頼まれておきながら、言うことを聞く気はないらしい。


 前世で千歳が涅家の当主をしていた時も、同じようなあやかしは山といた。

 可愛い抵抗だと微笑んで、千歳は無言の抵抗を続けるその頭をむんずと掴んだ。


「……豆千代とやら、水を汲んで欲しいのかと聞いている」

「!?」

「教えてもらわねば分からぬことが沢山あるから、仲良くしてもらいたい」


 先程まで可愛い声で『豆千代様、千歳と申します』とか言ってたのに!?

 頭を鷲掴みにされたまま顔を覗きこまれ、突如変わった声色で圧を掛けられたことにビックリ仰天し、豆千代はヒュッと息を呑んだ。


「ふむ、喋れない口ならいらないか?」

「お、お前さっきと全然違うじゃないか!!」


 こういうことは初めが肝心……顔のすぐ真横で冷ややかに微笑むと、「猫被ってやがったな」と青褪めながら叫んでいる。


 まったくもって騒がしいことだ。

 開け放たれた戸外へ目を向けると、もっと死ぬ気で頑張れと喝を入れられながら薪を割っている松五郎の姿が見えた。






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