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第二話 「彼女が示す対価」

「...それで君は一文無しのすっからかん人間になってしまったと…」


一文無しのすっからかん人間。

聞く限り、なんて可哀そうな人間なのだろうか。

もちろんそれは俺以外の何者でもないのだが。


テーブルを挟んだ先に黒髪の少女が座っている。

同じくらいの年齢だろうか。

幼いようで、どこか大人びたその顔立ち。十代後半辺りだと予想する。

彼女はクスクスと笑いながら俺と会話をしている。

テーブルに肘をついて、なんだが楽しそうに。


結論から言うと彼女は女神だ。

彼女は見返りなんか求めずに、困った俺に手を差し伸べてくれた。

俺の状況を聞き、すぐにロープを解き、まともな飯や水まで与えてくれている。

名前も名乗れない怪しい男にだ。

感謝してもし切れない。


そんな俺は今、腹を満たし、喉の渇きを潤している最中だ。

今いるのは、彼女の紹介で入った街でも唯一の()()()()料理屋だ。

繁盛しているというわけではないようだが、店の中には少なからずお客さんはいる。


ちなみに味はそこまで美味しくない。

前世の俺が何者だったのかは知らないが、ここの料理は味覚的には全く合わない。

ぼそぼその米に、何の肉だかわからないものが混ざっている。

これで()()()な料理だというのだから不思議なものだ。

他の料理屋はどんな味がするのだろう。想像を絶する不味さなのだろうか。

もはやここ以外に料理屋が存在するのかも微妙だが。



「えーと…何か食べないんですか?」


ただただ腹を満たしている俺に対して、目の前の少女は、ただ俺が食べているのを眺めているだけだ。

なんだか申し訳ない気がしてならない。


「…私はいいかな? 好きなだけ食べて」


私の分までたーんとお食べ。そんな風に彼女は笑う。

いや、少し抵抗しているようにも見える。

彼女からしても、ここの料理は舌が合わないのだろうか。


「それと、そんなに畏まらなくていいんだよ? もっとラフでいいよ」


ついでに畏まった俺の言葉に、彼女は疑問を抱いたようだった。


そう言われても困る。

礼儀正しくしないわけがない。

こういう時は大体下手に出とけば良いのだと、前世の俺はそう言っている、気がする。

そう、何故だか本能的に敬語になっていたのだ。


ただ彼女からラフにしてくれと言うのなら従うが。


「私の名前はミィ・アドミラ。ミィって呼んでくれて構わないよ」


そういえば彼女の名前を聞いていなかったな。

最初に聞くべき事だろ!と自分に注意してやりたい。


「えーと…ミィ。本当に、ありがとう。ロープを、解くだけでなく、ご飯まで恵んでくれて」

「…いいんだよ。困ってたみたいだしね」


辿々しい俺の言葉に、彼女は優しい笑顔で答える。

彼女は冗談ではなく天使の生まれ変わりなんだろう。

いや女神だったな。


それにしても、俺ってこんな風に人と話すのか。

敬語を使っていたのも、なんだか辿々しいのも、どうにか不慣れな感覚だ。


記憶と共に、色々抜け落ちている。



「でも記憶喪失って大変だねぇー。自分の名前も思い出せないんでしょ?」

「え、あぁ。そういうことになるな…」


そう俺には記憶がない。

会話の不器用さも、それが原因だ。


彼女に言われて、なんだか、体の芯がぞわっとした。

何かとんでもないことを忘れてしまったような、だかそれが何なのかは分からない。

極めて不思議な感覚ではある。


「んーじゃあ、君って呼ぶのもあれだしー。名前がないから『ナナシ』くんね。今からそう呼ばせてもらおうかな」

「え? …ああ、うん」


と、急遽、それはもう唐突に、仮の名前が突然決定してしまった。

今日から俺は『ナナシ』という名前らしい。


なんだかかなり適当な気がするし、安直すぎる気がしなくもない。

が、ここは女神様に従っておくしかない。

名前を名乗れないというのも中々に辛いから。


ただ、新しい名前が決まったことで、なんだか新しい人生が始まった気がしなくもない。


前世の俺と、『ナナシ』と名付けられた俺の人格の分裂。

そんなことが起きてもおかしくない。


いやもう起こっているのか?

記憶を失うとはそういうことなのだろうか。


とりあえず、決して前世の俺を捨てたわけでもないが、思い出すまで俺はナナシだ。

そういうことにしておこう。


前世の俺すまない。

お前の名前は一旦捨てさせてもらう。

うん。




それと、不味いとはいえ、料理を口に運んでから、何やら元気が出てきた気がする。

俺に足りなかったのはやはり栄養と水分だったのだろうか。

さっきより幾分マシだ。


そうなってくると、俺はどれだけあそこで気を失っていたのだろうか。

疑問は積もるばかりだ。





ーーーーーーーーーーーー





「で、ナナシくんは結局誰なんだろうね? 何か手がかりとかないのかな?」


ひとしきり他愛のない会話を繰り返した後、彼女はコトンと首を傾げながら、そう質問を投げかけてくる。


記憶が存在しない、というのはどうにも面倒で、手がかりと言われても提示できるものがないのが事実だ。

本当に何も覚えてないから。

だが、考える力はある。


この街で目覚めたんだ。

ここが異世界でもない限り、この街の住民なのは、間違いないはずだ。

そう。俺はここで目覚めたのだから。

それに間違いはないはずなのだ。


「…誰か、俺?に見覚えがあったりしないかな? 知り合いがいればいいんだけど」


そうだ。

この街の誰かであるなら、俺のことを知っている人が少なからずはいるはずだ。

知り合いを探せばいい。

そうしているうちに何か記憶に関する手がかりが見つかるはずだろう。


だが、そんな俺の言葉に彼女はまた首を傾げた。

何やら不思議そうな表情をしている。


「…もしかして、君はこの街の人間だって、そう思ってるの?」

「え?」


俺も首を傾げる。

言ってる意味が理解出来ない。


「それはないんじゃないかな? 私、ナナシくんのこと知らないし」

「それってどういう…」


「そう、不思議だよね。でも私の調()()に間違いはないはずなんだよね。今までも完璧だったし」


彼女はふっと笑いながら、首から下がったアクセサリーを見せてくる。

真ん中に鳥のような紋章の入った、銀の綺麗なネックレス。

俺自身それに見覚えは無いが、何か特別なものに見える。


彼女がそのアクセサリーを取り出したとき、店の中にいる他の人間が少し反応を示した。

目を逸らしたくなるような、居心地の悪そうな様子。

緊張感が店に走る。


「実はね、私は『凱編商会』の『五鳥』の一人なんだー」

「…『凱編商会』の...『五鳥』?」


『凱編商会』その言葉を彼女が口に出したとき、店の中にいた人々はそそくさと逃げていくように店から立ち去った

まるで、彼女に対して恐れを抱いているような様子。


そんな周りの人間を差し置いて、彼女は口を開く。


「ここ一ヶ月間、私はこの街の住民を把握するように努めてたんだけど、君には見覚えがないなぁ」

「…俺に見覚えがない?」


何を言っているのだろうか。

内容に理解が追いつかない。


彼女が突然言い出した『凱編商会』というのもよく分からない。

そして、その言葉を聞いた瞬間に、恐ろしいものを見るかのように逃げ出した周囲の人々の状況も理解できない。

俺に見覚えがないというのも理解出来ない。


彼女は何を言っているのだろうか。


()()()()()()に侵されたわけでも無さそうだし、服装から見るにまともそうだしね。そんな人を把握出来てないわけないんだよ。だから不思議。君って一体何者? どうして記憶を失っているの? 本当に記憶が存在しないの? もしかして魔物だったりしないよね?」

「…はぁ?」


頭に疑問符が浮かんだ。

正直さっきから何の話をしているのかさっぱりだ。

アルファリン? 凱編商会? 魔物? 

一つ一つの単語に聞き覚えがない。


「まぁ半分冗談だけどさ。君が何者なのかは少し疑問だなぁ。あぁ、君もしかして商会って言葉も知らない? 記憶が抜け落ちてるって、そういうレベルかぁ。ふむふむ」


ようやく彼女は俺がついて来れてないことを理解したようだ。

ふむふむと、首を縦に振っている。


俺もようやく自分のことが少し、分かった気がする。

これは悪い意味だ。


俺は、この世界のことを殆ど覚えていない。

自分が何者か以上の話だ。


この世界がどういったものなのか、覚えていない。

まるで生まれたての赤子のようだ。

思考力がある、体の大きい赤子。


記憶喪失とは、もっと根本的な部分からの話だったのだ。


「じゃあ君は本当に、何も知らないんだ?」

「本当に、何も覚えてない…」

「ふーん、じゃあ知りたい? 君が気になっていること」


「知りたい」


気になっていること。とりあえず沢山ある。

俺は何も知らない。

まるで異世界にでも飛ばされたような気分だ。










- この街について。(この世界について)





この街の名前は『レイルバット』。カイマンド国の東に位置する、極めて小さな街だ。


()()()()()()()()()()()()()()()、この世界に有数にある()()()()()()の一つがここだ。


この世界では、ここ数百年の間に()()()を中心とした人間の技術の発展が著しかったという。


発展に乗り遅れれば、淘汰される。

この街はそんな歪な形のたった一部だ。


()()()()()。人は皆口を揃えてこう言う。


この街に活気がなく、人情すらもないのはこれが原因だ。





- 『魔の力』


というのは、生物が体内に持つ秘術。生物の象徴。争いの種。

色んな言い方があるみたいだが、いわば全生物に備わった生態的機能のようなものだ。

生まれた瞬間から持ち合わせているもの。

人間も含めた全ての生物がだ。


この世界には魔物が存在する。


魔物は魔の力を自由に扱うことが可能で、物理的な力で敵うことが出来ない生物だと言われていたらしい。

何故そんなことを言われていたのか、それは昔、人間は魔の力を自由に扱うことが出来なかったからだ。

つまり対抗手段がなかった。


だが、長い歴史の中で人間は技術を発展させ、魔物への対抗策を創った。


それが『魔備』だ。

魔備という存在は人類の叡智の結晶のようなものだった。


魔の力を自由に扱うための装置、装備。

魔備は、魔の力を物理的パワーへ変換させ、『魔術』として人間の技術へ組み込まれた。


『魔備』という存在の開発から数百年。

人類はみるみると世界を耕していった。

著しい経済発展、急成長した社会、魔物の淘汰された世界。


だがそんな夢物語は一部分のみで、発展に乗り遅れた国、もしくはその街は、他とは比べ物にならないくらいの文明の格差を目の当たりにした。


それこそが、超格差社会だ。



- 『凱編商会』


それは、取り残された街の()()()()()を目的とした『アルステッド国』という国が発祥の、世界的組織のようだ。

それが及ぼす力は絶大だとか。


ミィ・アドミラ、彼女はこの商会でも名のある地位、『五鳥』の一人らしい。


彼女はいくつもの街の復興に貢献した。

そうして地位を上り詰め、今ではこの街を彼女の管轄内に収めるほど成長したようだった。


この街の人に商会が恐れられる理由までは分からなかったが、どうやらこの街にとってもプラスになるであろう組織であるらしい。


凄いな。

それが俺の率直な感想だ。











ひとしきり説明は終わった。

この世界の基本的な要素。この街の情報。


聞いてわかった。

やっぱり俺はこの世界の基本的な情報の記憶がすっぽり抜けている。

俺に関する情報だけじゃない。世界ごと全てだ。


今聞いたこと、全てが初見の内容だった。


これは単なる記憶喪失ではない。

今ならやっと危機感も感じれる。


異世界ではないが、異世界のようなものだ。


というか、俺がこの世界で生きていたという証がないから、まだなにも分からないが。



と、まぁ、とりあえず。

そんなちんぷんかんぷんな俺に彼女は嫌な顔をせず、ゆっくり色々教えてくれた。

感謝してもし切れない。


「まぁこういった感じだよ。私はこの街の復興のお手伝いとしてきたからね。最初はこの街の全ての住民の把握からしてたんだよ。その上で、私は君のことを知らない。見たこともないよ? 不思議だねぇ」


なるほど。

彼女のことは少し理解出来た。

だが俺自身のことは全く理解出来ない。

それが彼女の話を聞いた上での結論だ。


「…じゃあ、俺は誰なんだ…」

「…さぁ?」


彼女が俺を見たことがないというんだ。

嘘ではないだろう。


俺は一体誰なんだろうか。


知らない場所で、どれくらいの時間眠っていたのかも分からない。

記憶も存在しない。

街の住民でもない。


記憶が抜け落ちている俺でも分かる。

これは異常なことだと。


本当に異世界に飛ばされてしまったのではないかと錯覚すらしてしまう。

俺だけ、何処か違う場所に取り残された気分だ。


「…まぁ、記憶がない以上、どれだけ考えても真実には辿りつけないだろうね。とりあえずは、お腹いっぱいになったってことでいいんじゃない?」


動揺が顔に出ていたのだろう。彼女が少し励ましてくれたように感じる。


気づけば、運ばれてきた料理は全て平らげてしまっていた。

テーブルに並べられたお皿が空っぽだ。


とりあえずは落ち着こう。


俺は、お腹も満たせたし、喉も潤せた。

意識もだいぶスッキリしている。

とりあえずはこれでいいんじゃないだろうか。


まだ聞いておきたいことはたくさんある、がひとまずこれくらいでいいだろう。

食べ終わったのにずっと居座るっていうのも居心地が悪いしな。


とりあえずこの世界について、少しは詳しくなったような気もする。それだけで一歩前進だ。

知らなすぎるだけなのだが。




「じゃあ行こっか」

「あ、ああ」


満足げに、話を終えた彼女は椅子から立ち上がり、店主のいるカウンターまで歩みを進める。

床がギシギシと音を立てるたびに、店主は何故だか体を縦に震えさせていた。


そういえばどうしてこの街の人々は商会を恐れているのだろうか?

話を聞く限り、商会のしていることは慈善活動だ。

人から喜ばれて当たり前のことをしている。

この街の人々はなにか勘違いをしている、としか今の俺には思えなかった。



- でも、勘違いしていたのは今の俺だった。


当たり前のように彼女はカウンターまで行き、店主にコインを渡す。


そういえば、奢ってくれるなんて誰も言っていない。

俺は金がないだけだ。




店主はぺこぺこ頭を下げていた。

彼女は笑いながら店主の肩を叩いていた。

この店主、結構ガタイも良い感じだし怖い印象だったが、商会の人間の前ではそんな雰囲気も消えていた。

これが『凱編商会』の力というものなのだろうか。




- いや凱編商会自体の力ではない。

これは彼女の力なのだ。










ようやく店を出て、太陽の光を浴びる。と言いたいが生憎今日は曇りだ。

空がどんよりしている。


店の外は変わらず見窄らしい風景だ。

さっきと少し違うのは、俺の心持ちくらいだろうか。


理解できていないことは多いが、とりあえず命は食い繋いだ。

気分は少しは晴れている。


それは彼女のおかげだ。

彼女には感謝してもし切れない恩恵を受けた。

ただ助けてもらうだけでなく、優しくしてくれた。

色々教えてくれた。

これからどうするのかは決まっていないがこの御恩は一生忘れることはないだろう。



彼女と店の外で向かい合い、俺は頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました」


きちんと前を向いて深くお辞儀をする。


ラフにしろと言われたが、礼儀は正しくしておいた方が良いだろう。

記憶がない俺でも分かる。

多分、これが正式なお礼というものだ。


少し他人行儀過ぎただろうか。




十秒間くらいお辞儀をした。

何か返事があるまで顔を上げるのは失礼だと思ったから、自分から顔はあげたくなかった。

だが彼女の反応がない。


「大丈夫だよ。そんな畏まらないで」

みたいな...そんな反応を待っているのだが…。

それどころか、何かぶつぶつと呟いているようだった。


「…情報料...ご飯代...」


何を数えているんだろうか?

少し不安が募ってきた。

恐る恐る顔を上げ、彼女の顔を覗く。


そんな俺を見て彼女は不気味な笑みを浮かべる。

それはもう女神様なんて言えないくらいに。

小悪魔様のほうが似合うくらいの表情だった。


彼女は笑みを浮かべながら、口を開く。


「じゃあ、君には何をしてもらおうかな? え? まさかただで全部してあげたわけないよねえ?」


俺の表情に彼女はケタケタ笑い出した。







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