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プロローグ

部屋の電気を消し、目を閉じる。

瞼の裏に映るのは一日の出来事。

体が浮くような生温かな感覚と共に、やがてその映像が闇に落ちていく。


気づけばそこに意識はなく、睡眠中に持つ幻覚に襲われる。


()だ。


()とは、あたかも現実で体験しているかのような感覚に陥る、一連の観念や心像のことを指す。


だが俺の場合は違う。

それは確かに夢だ。だが、絶対に()()()()()

だって覚えているのだから。


知らないはずの人、景色、匂い。

俺は知らない。でも覚えている。


これは夢じゃなく、()()なのだ。





「都は陥落し、国は亡びる。これが()()()()での顛末だ」


どこか懐かしい声がする。

何度も聞いたはずの、落ち着く声だ。


でも、はっきりと誰かは分からない。

()()の中にあるはずの声の正体が、思い出せない。


そんな不思議な声が、頭の中に響き渡る。


体が生暖かい。まるで夢の中にいるかのようだ。



今居る場所は何処だろうか。


ふと、顔を上げる。


視界がゆらゆらと揺れていて、はっきりとは見えない。

だが、その目線の先の景色には覚えがある。


あれは俺たちが生まれ育った街だ。


でも少し()()


あるはずのものがなかったり、ないはずのものがあったり。

それに、なんだか不吉で異様な空気が漂っている。




- 人が沢山死んでいるような。




どうしてこんなところにいるのだろう?


何か大事なことを忘れている気がする。


頭に響く声のする方向へ、顔を向ける。

そこには人がいた。


だが誰かは認識出来ない。

顔もよく見えない。

性別の見分けもつかない。


- 俺はやはりこの人を覚えていない。


でもどこか懐かしい気がする。


- これは()()()()だろうか?





目覚めた時にはそこに()()はない。

びっしょりとした体と、変に痛い頭。


()()を限界まで使ったときのような、気持ち悪さが残る。


こんな朝が、時々ある。








------------









「…し…ん…う………」


薄らとした意識の中、すぐ近くの何処から音が聞こえて来る。

壊れかけの機械から発せられた音だ。

その機械の中の声の主は、何かを訴えかけているようだった。

だが途切れ途切れで、何を伝えたいのかが分からない。


意識が薄らとしている。

気を失っていた。

どれくらい気を失っていたのだろうか?

時間の感覚がはっきりとしない。


あるのは、()()()()()の感覚だけだ。

その感覚が、まだ頭に残り続けている。


「…クソ……」


硬い地面に、自分の頬が擦れる。

全身が重たい。


おそらく、俺は倒れている。

気を失って、その場で横になったのだろう。


とりあえず、上体を起こすために右腕に力を入れる。

本当は両腕を使いたい。

だが、左腕に力を入れても、不思議と()()がない。


仕方ないので、片腕だけに力を入れている。


右手の掌を地面に付け、腕の力で上体を起き上がらせよう。

そう試みる。


- なんだ?


上体が起き上がらない。

何故だか掌が地面へ当たらない。

というか()()()()がない。


唯一感じるのは、後頭部からの強い痛み。

おそらく、気を失った際、頭を強く打ち付けたのだろう。

どこからともなく血が流れだしているような、生暖かさも感じる。


だが直ぐ、頭部をはじめとした全身に、徐々に痛みを感じ始める。


だが変だ。

右手の先と、左腕だけ、全く痛覚がない。


- どうして起き上がれない?


だが、その違和感の正体にはすぐに気づかされる。 


- ああ…


気付いた。

本来ならそこにあるはずの、上体を起き上がらせるための()()が存在しない。


つまり、右腕の手首から先が存在しないのだ。

大量の血が流れ出している。

左腕も同様だ。いや、それ以上に損傷が激しい。


右手の手首から先、左腕の肩から先。その二つが()()している。

視認しなくとも、自分の体だ。直ぐに分かる。



意識がやっとはっきりし始めた。

ようやく自分の体に対する理解が追い付いた今、全身からとてつもない脱力感と激痛が走る。


- どうしてこうなった?


頭の痛みのせいだろうか、記憶が曖昧になっている。

どうしてこうなったのか。

状況の整理が追い付かない。



- 今日、俺は何をしていた?


そうだ。朝、変な夢を見た。

どこか懐かしいような不思議な夢。

でも初めてじゃない。

今までも何度かそういう体験はあった。

朝、目が覚めると妙な感覚に襲われるような夢を見ていたこと。

その感覚は、()()を用いた時の()()()()と少し似ている。


昼、食事が喉を通らなかった。

今朝見た変な夢の感覚が、なんとなく残っていて気持ち悪かったからだ。


その直後だ。

何かに呼ばれた。何処かへ行くように言われたんだ。

部隊を引き連れて、目的地へ向かうように。


それは珍しいことではない。

俺たちの生業は王都を守ること。

部隊を連れて、何処かへ派遣されることは今までもよくあった。

いつもの日常の一風景だ。


そうして、食事が喉に通らなかった俺を、誰かが無理やり引っ張った。


強引に腕を引っ張ったのは、確か()()()()だ。


そして俺たちは外へ出た。


それ以降の記憶が、頭の痛みで飛んでいる。


- その後何があった?


思い出そう。

必死に頭を回す。

何があった。


何か大事な。大事な記憶を忘れている。


だが思い出すのは、関係のない記憶ばかりだ。






ーーーーーーーーーー







ここ数年の記憶が部分的にフラッシュバックする。



俺の名前は、レイ。

若干十六歳。性別は男。

五年前、()()()()()()()()()()()で、この世界はおかしくなった。


でも、その出来事を()()()()()()()()


俺だけが覚えている事実。

確かにあの日、世界の歯車は狂ったはずなのに、人々は普通の日常を過ごしていた。

俺はそれが恐かった。


だから、一人でも戦えるように()()を死ぬ気で覚えた。

十一歳にして、()()()()の数は五を超えた。


いつしか()()と謳われた俺は、王都直属の騎士団、『()()()()()()』の一員になった。


そこから『隊長』になるまでにはそう時間が掛からなかったと思う。


隊長になったことで、部隊を任せられた。


これは俺の部隊にいる、ある()()との記憶。



()()()はよく迷子になっていた。

天然だった。

自分より年上のくせに、頼りなくて、最初はそんな彼に苛立ったりしてた。

でも良いところもたくさんあるんだと気づけた。

初めて遠征に出た時に、何も食べるものがなくて、冗談でもなく本気で死ぬ!って思った時、

ワウルは、魔術を用いて天然の食べ物を探し当てた。

おかげで俺たちは飢え死にせずに済んだ。

あれはまだ部隊が結成して1ヶ月も経たないときにあった出来事だった。

あの日から、彼への見る目が変わったんだと思う。

確かに索敵の魔術には長けてたからな。迷子になるくせに。



()()()()は生意気な奴だった。

魔術学校での戦績が良いときは、よく俺たちに自慢してきた。

「ふんっ!」

これが彼女の口癖だ。

同い年だったし、彼女とはよく一緒に行動していたが、何かと生意気で面倒くさい奴だったと思う。

俺が『隊長』になった時も、睨みつけながら怒鳴っていた。

それも上官にだ。

他の部隊では取り扱えないとのことで、無理やり俺の部隊に配属されたが、本当に大変な奴を回してきやがったと今でも思う。

そういえば、俺と()()()が一緒にいる時によくちょっかいを出してきてた。

なんでだろうか?



()()()()は部隊でも一番仲が良かった。

小さい頃から一緒にいたわけでもないのに、感覚的には幼馴染みたいなもんだった。

魔術学校で、二人で魔術を競い合ってた時は楽しかった。 

大体、俺の方が先に覚えてしまうけど。

それでも、一番対等に話せた仲の友達だ。

学校帰りに行くパフェは美味かった。男二人でパフェっていうのも面白い話だ。

かなりの甘党過激派だったよな。お互い。



()()()先輩は俺のこと嫌いだったんだろうか。

確かに、後から入ってきた奴がいきなり『隊長』なんてムカつく話だ。

最初はデニル達率いる『先輩達』によくいびられた記憶がある。

だが、任務の成果、結果で示した時には掌返しだ。

「今まですまなかった」そう言って頭を下げてたっけ?

あの時は気持ち良かった。我慢してきた甲斐があったな。

でも今では信頼に至る仲間、だと俺は思っている。


それだけじゃない。

()()()()()()()()()()()()()()()…。


部隊を任せれてから一年で得た、信頼できる仲間は確かにたくさん存在した。

時に助け合い、時に喧嘩し合う、そうしてまた輪を広げていく。

これが俺が率いた部隊の話。



十六歳にして王都直属の騎士団、『()()()()()()』の一員。

七人の『()()』の内の一人。

()()と呼ばれた少年。

それが俺だ。




関係のない記憶のフラッシュバックはここでぱたりと止まる。




ーーーーーーーーーーー




ジンジンと痛む頭。

耳の奥底から心臓の鼓動が怖いくらいはっきりと聞こえて来る。

ポタポタと血が垂れる音も鮮明に聞こえる。


頭を強く打ったせいか、関係のない記憶ばかりを思い出した。

錯乱しているのだろうか。

まるで走馬灯を見たような気分だ。


でもそうじゃない。

思い出したい記憶ではない。


一回、状況を整理しよう。

上体は起きないが、とりあえず頭は動かせる。




目をパッと見開かせた。

瞼が痙攣していて上手く見えないが、視力は失っていないことは確かだ。



ぼんやりした視界の中、辺りを見渡す。

その瞬間に、何か足りない要素にハッと気付かされる。




- 俺の部隊はどうなった?





「ああ…あ…」



気づいたときには、枯れた喉を震わせていた。

急な絶望感が体を駆け巡る。

痛みなんて感じなくなるくらいに。


- 俺はもうすぐ死ぬ。

目の前の存在によって。


でも、()()はどうだって良かった。

なんなら、なんでまだ死んでいないんだと、そんな自分に怒りが込み上げて来る。


目の前に広がる光景は、まさしく地獄だった。


ワウル、レベッカ、エンリケ、デニル、エウロ、リーン、マギ、トーラス、ハウス…


それだけじゃない。





- 部隊の全員が()()()()()になっていた。




体を真っ二つに引き裂かれた状態で。


もう誰の体かも分からないくらいにごちゃ混ぜに。


土に赤黒く飛び散ったものが、無数にへばり付いている。

鼻の奥までツンと刺すような生臭い刺激臭を感じる。


目の前にあるには仲間の死体だった。


築き上げてきた輪は一瞬にして崩壊する。


そんな光景に、運命に笑われているように感じた。






- 思い出した。今日のこと。





一瞬の出来事だった。


今日は、大規模な魔物の討伐に繰り出された日だった。


思えば、五年前、()()()()()()()()()()()()()()おかしな日々が続いていた。


今日はその五年の中でも特に違和感のある日だったと思う。

変な緊張感と、冷や汗をかきながら、不思議な夢から目を覚ました朝。

緊急で召集された『キングメイス』。

街中に広がる嫌な雰囲気。


俺が率いた部隊『朱』は、王都から南に外れた土地、『インラクリアル』へ向うように指示された。


いつものように、『魔備装甲』を走らせ、目的地に向かう。

目的地まではそう時間は掛からなかったと思う。

仲間との話に花を咲かせていたから、自然とそう感じただけかもしれないが。


そうして、誰かが「ここだ」と言ったタイミングで、全員が『魔備装甲』から降りた。



- その瞬間の出来事だ。



他愛のない話をしている最中だ。

目の前から、強い衝撃が来るのが分かった。

音もしない、目でも殆ど追えない。


空を切り裂く、速く、強い衝撃だ。


それでも俺は反応が出来た。


だが、声に出して周囲に注意喚起するほどの余裕はなかった。


魔術を展開し、衝撃に備えた。

瞬時に出せる魔術は『()()』の防御魔術のみだった。


強い衝撃と共に、後ろへ飛ばされ、腕に着けた『()()』すらも貫通した。

魔術を繰り出す際に伸ばした右手の先と左腕は一瞬にして弾け飛ばされた。


かろうじて反応できたのは『隊長』である、俺ただ一人だけだった。

瞬時に出した魔術で、致命傷を避けることは出来た。

だが、体ごと衝撃に弾け飛ばされる形で、後ろにあった岩に強く頭を打ち付けた。



そこで気を失い、目を覚まし、そして今に至る。




目の前に見えるのは沢山の仲間の死体。


そして、全てを奪い取ったソイツ。

衝撃を放った本人だ。



長く、黒く光る手足の爪。

だらんと下がった長い腕。

暗い灰色に染まった体。

原型が視認できない顔。


魔物だ。


だが普通の魔物じゃない。

人の形をしたその魔物は、今まで見たこともない、紛れもない()()()だった。


- コイツには勝てない。


今までそんなこと思ったことなかった。

どんなやつでも絶対に倒せる自信を持って戦った。

今日という日まで戦い続けた。


タガが外れたように俺は学校で暴れた。

魔術を必死に覚えた。

いつしか天才と謳われ、若くにして隊長となった。


そんな俺でも、敵わない。

コイツには勝てない。

瞬時にしてそう分かった。


体の芯から震え上がる何かを感じる。


- コイツはヤバい。



その化け物は、仲間の死体を踏み付け、笑っていた。

顔の原型もあるのかないのかも分からない化け物。

だが、確実にコイツは笑っている。体がそう感じたのだ。

俺を挑発するかのように笑っているのだ。


魔物は歪な生き物だ。

知性に偏りがある。

強さにも形にも、種類にも違いがある。

それは人間以上の歪さだ。


時に魔物は生き物の尊厳を踏み躙るような行為をする。

それは魔物の持つ、生まれながらの本能による行為だ。

つまり故意的ではない。

人間からすれば嫌味に見えるが、ただ本能に従っているだけなのだ。


だがコイツは違う。

俺の反応を試している。

どうすれば反応するのか、どうすれば感情的になるのかを考えている。

高い知性を持って、故意的に行動している。


だから、その化け物は仲間の死体を弄んだ。

踏みつけたり、引き裂いたりしながら。


- 俺は怒りに身を任せて、化け物へ飛び出した。

普段の自分なら確実にそうなる。

というかそうする。

だがそれは出来なかった。


体が全く動かないのだ。

それは物理的にという意味ではない。

最初の衝撃でもう勝負は付いていたのだ。


「ああ…あ……」


心が折れる音が聞こえた。

ぽっきりと。

不思議と悔しさも、怒りも、悲しみも湧いてこなかった。


これが()()というものらしい。

()()に勝る感情はなかったのだ。


仲間が死んだ。勝てない。

その事実だけで俺は折れてしまった。




- 少し前の俺なら鼻で笑うだろうな。





この状況下で、ふと昔通っていた学校の先生の話を思い出す。


「人間、いつ死んでもおかしくない」

学校でよく耳にした言葉だ。

先生の口癖だったんだろうか。

当時は「何を言っているんだ?」と内心馬鹿にしていた記憶もある。


だが今ならわかる。


人間がこんな歪な世界で、今まで絶滅せずにこれたことが奇跡なのだと。

人間、いつ死んでもおかしくないくらいの状況にずっと身を置いていたんだと。


人間は『()()』という装備を通さないと魔術を展開できない。

生物が元々持っている『魔の力』を人間は生身で使用出来ないのだ。

魔物には出来るのに。

昔から人間は魔物には勝てなかった。


今から何百年前『マルハッド』という男が、人類の知識を集め、『魔備』を創造した。

おかげで人間は、『魔備』を通して魔術を自由に使用可能にした。

当初は『平和な世界』へ。

『魔物に負けない世界』へ。

そんな名目で創造されたものだったんだろう。

だがそこから生まれたのは歪な『超格差社会』だ。



人間は自分達が生物の頂点にいると勘違いしていた。


だが、絶対的な力というものは存在する。

この長い歴史の中で、それはいつだって、人間じゃなく魔物だった。

時代の経過で見て見ぬふりをしていただけだ。


絶対的力に立ち会った時、どれだけ偉くなり、強くなり、人生を重ねた人間でも、本当にどうしようもない瞬間というのは訪れる。


これが人間が生み出した自然の法則らしい。



そして今現在、俺の目の前には絶対的な力が存在する。

だからこそわかる。

俺はいくら『隊長』になっても、その人生を重ねてきても、それを目の当たりにすれば何かをすることもなく、ただ呆然とするしか()()()()()()







その化け物はやがて俺の仲間の死体を踏むのをやめた。

俺の反応を楽しみたかったのだろう。

だが、俺は反応を示さなかった。いや、()()()()()()


そんな様子の俺につまらなそうにしながら、化け物は目の前までゆっくりと歩みを進めて来る。



ふと、脳裏によぎる。

今日の出発前にエンリケが言っていた。

「気をつけろよ」って

今日に限った話じゃない、いつも出発前には言ってる。

多分習慣化された、特に意味もない言葉なのかもしれない。

普段から聞きすぎて、何に気をつけるんだよって適当にはぐらかしてたけど。

間違いじゃなかった。




そういえば、()()()にも別れを言ってない。()()()さんにも何も感謝を伝えれてない。

思えばまだ何も成し遂げてなかったんじゃないか。




化け物は再度、目の前で首を傾げた。

爪で頭を掻きながら、不思議そうにしている。

呆然とした俺の反応に困っている様子だ。


そいつはもう数センチ先にいる。

体は逃げるべきだと訴えているだろう。

だが心が動かない。


- 逃げたところでどうなる?



化け物はつまらなそうだ。

何故こいつはこうも怖がらないのかと。怒らないのかと。

そんな風に思っているんだろう。



数秒間の沈黙が続いた。


だがその時はやはりやってくる。


化け物が手を伸ばす。それはゆっくりと、段々と。

爪の先には魔術がこもっている。

最初の衝撃の時と同じ魔術だろう。



- 死ぬ。



それは瞬間だった。




魔術を出す瞬間、無意識に体は跳ね上がった。

腕に『魔備』はない。

魔術を展開することは不可能だ。

だが体は起き上がった。


心より、体が自分に正直になった。


そう、俺はまだ死にたくないらしい。

いや、死にたくないだけじゃないのかもしれない。

生きなきゃならないという感情が、一気に蘇った。


どうしてかは分からないが。


悲しみや、怒りは後だ。

後悔も焦燥も今はいらない。


冷静になって体を動かす。


俺は天才だ。

正直、誰がどう見ても俺は天才だ。


だから、ここで冷静さに欠ける行動は控える。

こういう一瞬の感情の抑制が、俺がここまで生き延びてきた所以だ。


まともに腕はないが、脚は動く。

出来るだけ遠くに逃げる。

とりあえずはこうするしかない。


脚の魔備は壊れていない。なら、

『加速』の魔術を用いて、その場から全力で離れるー





というのも無理だった。

瞬時に首を掴まれた。


それはもう物凄いスピードで。


俺の反応速度を余裕で超えてきた。


長い爪が、首の皮膚に食い込むのを感じる。

痛みと共に、一気に肺に空気が入らなくなる。


「っっっクソ……が……」


悔しさの声が漏れ出す。

ここにきてやっと、絶望以外の感情をあらわにした。


俺はコイツを殺したい。でも殺せない。

無力で情けなく、悔しさが込み上げる。


力量の差は明らかだ。

コイツはその気になれば、無力な人間なんか一瞬で殺せる力を持っている。

首を掴まれても尚、俺が生きているのは、コイツに遊ばれているのだ。

目の前の化け物が、人間の無力さを嘲笑っているように感じる。



どうすればいい? 思考を巡らせる。

魔術は発動不可能。

増援も来る気配はない。

仲間は全員死んだ。






考えても、どうしようもない。


俺より強い時点で、どうしようもないのだ。


死ぬ。


息が出来なくなると同時に、視界が白くぼやけてくるのを感じた。




ーーーーーーーー




「・・・だ、・・・」


聞き覚えのない声と同時に、突然、目の前の化け物から力が抜けるのを感じた。

化け物の手が自分の首から離れる。


白く染まったはずの視界が、光を取り戻した。


「ゲホっ、ゲホっ…!」


浮き上がった体が地面に落ち、尻もちをついて咳き込む。

一体何があった?


顔を上げると、目の前には見たことない二人の人間がいた。


一人はサングラスをかけた銀の髪をした怪しい若い男。

もう一人は黄色の髪をした小柄な少女。


「コイツ、マジでヤバい! せいぜい一分ってとこだから急いで!」


突如現れた小柄な少女が両手を伸ばし魔術を展開する。

すると次の瞬間、鎖の様な銀色に光る輪が化け物の体にまとわりついた。

同時に化け物の動きは止まった。


小さな少女が一人で化け物の動きを止めた。


完全に止めてれているわけではない。

よく見れば、化け物は少女の魔術に抵抗しようと小刻みに震えている。

だが、あの化け物を抑え込めているのだ。


一体何が起こったのだろうか。

対象の体を動かなくさせる魔術だろうか。


そうだとしても現実的ではないことが起きている。


「わかった、頑張って!と言いたいとこだけど…」


魔術を展開した少女に対し、もう一人の男は返事をしながら、咳き込む俺の顔を覗いた。

目と目が合う。

サングラスを通しても分かる。


男の表情は重く沈んでいた。


()()()()()()()()()()()()()()()()

「…リープにズレが生じた? でも、そんなの…あり得ない」

「あぁ…なんでだろうな…」


男は肩を落としあからさまに落胆した。


本気で残念がっている。

悔しがっている。

どこか悲しんでいるようにも感じる。


全く状況が掴めない。

何がどうなっているのか分からない。

二人が誰なのかも分からない。


俺の知り合いではない。

つまり『キングメイス』の人間が増援として来たというわけではないのだ。


男は立ち上がると、俺を置いて少女と話を始めた。

目の前の知らない二人は何か言い争っているように見えた。

少し怒っているような。

悲しんでいるような。


会話の内容はうっすらとしか聞こえない。

俺は両腕から血が流れ出ているのを感じながら、呆然と二人の様子を見るしかなかった。


三十秒もしなかっただろう。

二人はピタリと話を止め、それぞれの役割に戻り始める。

少女は魔術に集中する様に、更に両手に力を込め始める。

男は地面に膝をついて、また顔を覗いてきた。


「君は()()()()()()()()、間違いないよね?」


俺の名前だ。

何で知っているのだろうか?

こいつは俺の知り合いにはいない。

少なくとも、俺はこの男の名前を知らない。


「………ああ…」


返事をしようと口を開いた。

そこで自分で自分に驚いた。

驚くくらい気が抜けた声が出たのだ。


死にかけだからだろうか。

血は止まらないし、視界も時々ぼやける。

それに体が寒い気もする。

意識を保ててるのがやっとなくらいなのだろうか。

自分でももうよくわからない。


そんな俺の声に、男は眉を細めたように見えた。


「…とりあえず、やれることをしよう。まだ死ぬなよ」

「…やれること?」


やれることとはなんだろうか。

何を言っているのか分からない。

まだ状況が理解出来ていない俺。

そんな俺を置いて、突如現れた男は、淡々と話し始める。


「よく聞いてくれ。俺は大事な話をする。今から話す内容、最初は意味がわからないし、()()()()()()()()()()()()()()。それでも君に話さなければならない。時間もないし、手短にね」


男は一旦息を吐いて視線を強く合わせてきた。

サングラスの奥からも分かるくらいに。


こんな状況で何の話をするのだというのだ。

ここでしなければならない話なんだろうか。


心の疑問は無数に絶えない。

だが、その男の視線に俺は口を塞がれた。

これは聞かなければいけない話なんだと、そう訴えかけているように感じた。


そして男はゆっくり口を開く。

まるで訳の分からない内容を。


「俺は未来からきた『使()()』。そして君は歴史を変える2()4()()()の『()()()』だ」







ーーーーーーーーー








男は話した。手短に、簡略的に。




「歴史的に完璧な平行世界を創り出すこと」

そう目的を掲げた、『()()()()』によって新たな世界が創り出される。



世界には()()()、もしくは()()な要素が無数にあり、その規模が大きい分だけ世界の在り方が変わる。

例えば歴史を動かすような事件、戦争、災害、誕生。


()()()()で歴史ごと無くすか、新たな歴史を創り出すか。

それらの行為をするために未来から選定された人間が『()()()』だという。

使()()』は『改変者』を導く未来から来たタイムリーパーだ。



『未来改変』はどの時代においても、絶対的にする必要のあることだ。

それは完璧な平行世界を創り出すために。


男は、俺がこのレイ・バーンニスという人間が、24人目の改変者であると話す。


本来なら()()()()前に接触し、『未来改変』へ進んでいた。

だが、それに()()が生じた。


それは今までに23個の平行世界を創り出した弊害か、はたまた人間の力による妨害か。


なんにせよ、現段階で俺は死ぬべき人間ではない。そう歴史で証明されている。

だが結果として死にかけている。

仲間も死んだ。


時空を超えたイレギュラーが発生しているのだという。



- 理解は出来なかった。





ーーーーーーーーーーーーーーー





「本当に説明不足で申し訳ない。()()が生じたんだ。コイツがいるならゆっくり話も出来ない」


そう言って、化け物に目を配らせる。

見れば、魔術で抑え込んでいる少女が、苦しそうな表情をしていた。

この化け物を止めるには相当な力が必要なんだろう。


残された時間はもうない。

少女の表情がそう言っている。


「本来ならもっとゆっくり説明して、今後について話したいんだが、君も死にかけだしね。こんなところで『改変者』には死んでもらうわけにはいかない。とりあえず()()()()()()()()()()をして君を生かす」

「……何を言ってるのかまだ理解が…」

「ああ、分かっている。でも本当に時間がない。俺も死ぬわけには行かないし。だから一番大事なことを今から言うよ」


正直、突然のことで意味が分からない。

この化け物はなんなのか?

俺が何故、『改変者』というものなのか?

未来からどうやって来たのか?

そもそも未来から来るってどういうことなのか?

平行世界とはなんなのか?

お前は誰なのか?


頭に浮かぶ質問は後を絶えない。

だが、聞く暇すら貰えないような状況になっている。




と、男は突然、地面に両手をつけて力を込め始める。

これは魔術だ。

なんらかの魔術を展開しているのだ。


しかも、見たことのない魔術だ。

俺が不思議そうに覗き込むと、男は顔を上げる。


「これは『代償』の魔術。俺の血と汗と涙の結晶だよ」


ニヤリと笑いながら、魔術を展開し続ける。

大規模な魔術なんだろうか。

とてつもない異様な空気を感じる。


「『代償』。人にとって大事な何かを代償にして、必要なものを生み出す魔術だ」

「…必要な…もの?」

「例えば、今の君でいう()()()()()だ」


傷の治療と人間の移動。

それが同時にできる魔術。

男はそう本気で話す。


ふと自分の体に目を落とす。

右手と左腕の断裂。

血は吹き出して止まらない。

考えるまでもない、今までの魔術に対する研究で答えは出ている。

どんなに高度な治療の魔術でも、()()を完全に治すことは不可能だ。

そう、不可能なのだ。現代の魔術では。


「…これを治せる…のか?」

「ああ、完全に治せる」


男は迷いもなく断言した。

そんなわけない。普段の俺ならそう言い切っている。

少なくとも俺の生きている時代の魔術では、損壊した傷の修復は不可能だ。


だがこの男は言い切った。

嘘を吐いているようには見えない。


だから納得するしかなかった。

男たちが未来から来たという話を。

この男の魔術を。

今までの話を。


俺はようやく、少し納得した。


「…それで、代償っていうのは?」


気になるのは『()()』という言葉だ。

言葉の通りなら、償いに対して、相応のものを引き出すというもの。


傷の治療にかかる相応のものとは?

そもそも()()という言葉も引っかかる。

どこへ俺を移動させるつもりだ?


「ああ、今回必要なものは非常に大きい。死にかけの君を助け、しかも君をコイツから逃がすために遠くに移動させる。となると…」


男は少し考え込むように沈黙した。

額に一粒の汗を流しながら。

意を決した表情だ。


「代償は、君の『記憶』だ」


- 記憶?


「治療をするのに、体のどこかを代償にするわけにもいかない。これは一種の賭けだ。君の『改変者』としての運命力を信じたい」

「…記憶を失ったら…どうなる…?」


ゾッと恐怖を感じた。

記憶。

それは今までの自分にとっての全てだ。

今まで歩んできた人生の軌跡。

それが全て収納されたものだと言っても間違い無いだろう。


- それが生きるための代償?


「もちろん今日の出来事、俺との出会いまでにあった全てを忘れる。でも君は『改変者』だ。記憶を失ってもまた俺と再会できる。多分、いや必ず」


男は必ずという言葉を強く主張した。

自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

実際そうなのかもしれない。

自信はある。だが確定ではない。

そんな表情だ。


「俺は今回起きたズレの原因を探るために、元の世界、未来へ帰らなければならない。24番目の平行世界にズレが生じたままだと歴史は創られない」

「ちょっと! もう、限界よ!!」


男が話している最中、化け物を食い止めている少女から声が上がった。

息も上がっている。見ると凄く険しい表情で、全身から汗が吹き出し、体中がびっしゃりとなっている。

魔術を使い続けた際になる症状だ。

既に限界を超えている。


男の額にも汗が流れだす。

焦っているのか、緊張しているのか。


だが、話している間に、魔術の展開はすでに終えたようだった。

地面に置いた手を離した。


地面に描かれた魔術の陣が力強く光りだす。


「いいかい? よく聞くんだ。記憶を失っても君は『改変者』だ。五年後、またここで俺と接触するように()()()した。このマルハッド王都の南の外れ、『インラクリアル』でね」


男がそう言うと、魔術の陣がより輝かしく光出す。

青く、眩い。

どこか懐かしいような。どこか寂しいような。

不思議な感覚が体全体を包み込んでくる。


『代償』の魔術が展開される。

何の話も出来ないまま、魔術が展開されてしまう。


「記憶が存在しない。そこが一番怖い賭けになる。でも君は必ずまたここへ来る。ここで失った『代償』がかき消されるくらいに、今日つないだ命が、未来へと繋がる」


男の言葉に、少女も頷く。

理解できていないのは俺だけだ。


「…待てよ…。なんだよこれ。俺はどうすればいい? 死んだアイツらはどうなる……!?」


話についていけない。

俺を置いて話を進めすぎだ。

俺はまだ代償に対する承諾もしていない。

生きたいなんて男に言ってない。


- それより死んだ仲間はどうなる?


- これは夢じゃないのか?


- これが俺の最後の記憶なのか?


疑問しか俺には残らない。

だが、短い時間というのはすぐに過ぎ去るものだ。



男は言う。


「五年後再会すれば全て上手くいく。それまでは死んでも生き残れ。仲間の死を無駄にしたくないだろう?」


男は肩をガッと掴み、またその力強い眼光を光らせる。


「賭けに、勝てよ。『改変者』。君なら出来る。信じてるぞ」


待ってくれ。そんなことを言う暇さえなかった。


男がそう言った瞬間。

全てが始まった。






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場所は、アルステッド王国、

王都マルハッドの南の外れに位置する場所、インラクリアル。


キングメイスの七隊の内、

レイ・バーンニス率いる部隊、『朱』の壊滅が確認された。


隊長は行方不明。

現場環境からの推察として、おそらく『死亡』。








壊滅の確認から数日後、王都は陥落。

アルステッド王国は全機能を失った。

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