18本目×生命体
本田さんと2人でクライアント先に向かっている。
クライアント先は堺東駅から徒歩10分の場所にある。
8月の強い日差しの中、10分も歩くのは辛い。
今日のクライアント訪問では、本田さんに1人でレポート報告をやってもらう予定だ。
会社を出発するギリギリまで、2人で何度もレポート報告の練習をしてきた。
「大丈夫?緊張してない?」
「まだ、大丈夫です!」
「とりあえず緊張してきたら深呼吸な!」
「はい!」
クライアント先に到着した。
入り口の内線電話で、担当の福井さんに繋いでもらい、入り口まで迎えに来てくれるのを待つ。
これまでに何度も繰り返している、いつも通りの流れだが、何だか俺まで緊張してきた。
隣に立つ本田さんを横目で確認する。
「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」
本田さんは一点を見つめ、ひたすら深呼吸を繰り返している。
やはり緊張しているようだが、酷い時は悪魔に取りつかれたような、手に負えない状態になるので、今日はまだ調子が良い方かもしれない。
「大丈夫!いけるぞ!」
「すぅー、はぁー」
「あれだけ練習してきたんだ!」
「すぅー、はぁー」
「今、ここで限界を超えるぞ!」
「すぅー、はぁー」
あれ…?これはもしかして…、意識を失っていないか?
本田さんに話しかけても、一点を見つめて深呼吸したまま、全く反応を示さない。
「本田さん!聞こえてる?聞こえてたら右手を上げて!」
少し大きな声で呼びかける。
本田さんは、一瞬ビクッとしてから、ゆっくりと右手を上げた。
よかった…、意識が戻ったようだ。
深呼吸に集中し過ぎて、ゾーンにでも入っていたのだろう。
「お世話になってます!お待たせしました!」
入り口のドアが開き、福井さんと伊原さんが迎えに来てくれた。
軽く挨拶を交わし、“今年は暑いですね”と他愛もない会話をしながら、いつもの会議室に案内される。
本田さんも2人とにこやかに会話していて、今のところ問題はなさそうだ。
「先月は申し込み多かったですよ!」
「よかったです。今日はそれも含めて、本田からご説明させて頂きます」
本田さんが席を立ち、向かいに座る2人にレポートを配る。
「それでは、本日は私からご報告させて頂きます!」
練習した通りの一言目からスタートし、その後も凛とした表情で、流暢にレポート報告を進めていく。
全く緊張していないように見える。
「先月、新しく追加したバナーのクリック率が高く、さらにそのバナー経由で流入したユーザーのCVRも高かったことが、CV数が増加した一つの要因となっています」
おぉ、いいぞ!
何度も練習してきた通りに、しっかりと説明できている。
「この効果の高いバナーだけに絞って配信したらダメですか?」
本田さんの説明に対して、福井さんから質問が入る。
さぁ、どうだ?答えられるか?
ここで質問が入ることは、想定していなかった。
でも、こんなことはよくあるので、ここは1人で乗り越えてほしい。
「効果の高いバナーのみ配信するという方法もあるのですが、懸念されるのはフリークエンシー、つまり広告とユーザーの接触頻度です。配信先のボリュームが大きくないので、バナーを1つに絞ってしまうと、1人が同じ広告を何度も見ることになってしまいます。そうなるとすぐに飽きられてしまうので、バナーは複数パターンで回すことをおすすめします」
「なるほど。そうなんですね」
「はい。この効果の高かったバナーをもとに、また新しいバナーを作成して配信します」
「なるほど」
おぉ…、これは本当に本田さんか?
想定していなかった質問にも、動揺せずに1人で対応できた。
欲を言えば、2人のリテラシーに合わせて、もう少し分かりやすく説明した方がよかったが、初めてにしては上出来だ。
「バナーの他にも、LPのフォームを改修したことも、CV数が増加した要因となっています」
本田さんはその後も、よどみなく流暢に、時ににこやかにレポート報告を進めていった。
「では、今月もこの調子でお願いします!」
「はい!頑張ります!」
結局、本田さんは最後まで1人でレポート報告をやり切った。
特に緊張した様子もなく、それどころか余裕さえ感じさせる内容だった。
「本日はお時間を頂き、ありがとうございました。失礼いたします」
エレベーターホールで福井さんと伊原さんに見送られ、エレベーターのドアが閉まってから、本田さんに感想を尋ねる。
「今日のレポート報告、どうだった?」
「ちゃんとできた気がします。どうでしたか?」
「めちゃめちゃ良かったよ!練習通り説明できてたし、質問されても1人で答えてたし!」
「よかったです…」
「話し方もスムーズで聞き取りやすかった!福井さんと伊原さんも褒めてくれてたしな!」
「ありがとうございます…」
緊張し過ぎて失敗する本田さんを見てきたので、1人でレポート報告をやり切ったことが本当に嬉しい。
“よーし!よしよし!”と言いながら、頭をワシャワシャしてあげたいほどテンションが上がっている。
それなのに、なぜか本田さんは嬉しそうではない。
妙に落ち着いているというか…、少し切なげというか…。
一体、どうしたのだろう?
「今日は頑張ったから、特別に窓際に座らせてあげよう!」
会社に戻るために電車に乗り、空いていた2人掛けの席に座る。
「いつも座らせてくれるじゃないですか!」
窓際の席を譲ると、本田さんは子供のような表情で喜ぶ。
その表情が可愛いので、いつも本田さんに窓際を譲る。
今日も窓際に座った瞬間は嬉しそうな顔をしたが、すぐにその表情は消え、電車が動き出してからは無表情で窓の外を眺めている。
「これで…、終わりですか?」
窓の外を眺める本田さんが、こちらを見ることなく尋ねてきた。
何が終わりなのか、全く分からない…。
「何が?」
本田さんがゆっくりとこちらを向く。
「私の教育係は…、これで終わりですか?」
今度は目が合った状態で尋ねてきたが、その瞳はウルウルしていて、今にも泣き出しそうだ。
教育係がこれで終わり…?
一体、何を言っているのだろう?
「えーと…、終わりじゃないけど…。年内はやるよ?」
「えっ?えぇーーーー!!」
さっきまでの弱々しい声から一転し、本田さんが急に大声で驚きだした。
周りの人たちが、”何事だ?”とこちらを見てくる。
「ちょっと!声が大きい!」
「あ、あぁ…、すす、すみません!」
慌てた本田さんが、周りに頭を下げる。
何をそんなに驚いたのだろう?
「3ヶ月で終わりじゃないんですか?」
「最初は3ヶ月の予定だったけど、部長と相談して延長になったよ。言ってなかった?」
「聞いてないです!!信じられない!!もう知らないです!!」
「えっ、ごめん…。そんなに怒ること?」
「怒りますよ!人の気持ちも知らないで!これはまた焼き肉でも奢ってもらわないと割に合わないですね!」
口では怒っている本田さんだが、表情や声が明るくなり、何だかとても楽しそうだ。
「延長されたってことは、もうちょっと…、い、一緒にいれるんですよね?」
さっきまで怒っていた本田さんだが、今度は耳を真っ赤にして、しおらしく尋ねてくる。
クライアント先を出てから元気がなかったのは、俺の教育係が終わってしまうと思っていたから?
い、一緒に居るって、きょ、教育係としてってことだよな?
な、何て答えればいいんだ…?
「一緒にいれるよ…」
言ったぞ…。
これで合っているのか?
気持ち悪くなかったか?
やばい…、本田さんの顔を見ることができない…。
“コテッ”
本田さんの顔を見られず、正面を向いていると、左肩に何かが乗っかった。
ん?何だ?
ゆっくりと左肩の方を見ると…。
えっ?ほ、本田さんが俺の肩に、ああ、頭を乗せている!
な、何が起こっているんだ…?
“一緒に居る”って、やっぱりこういうことか?
「スースー」
あれ?これは…、寝ているやつか…?
ゆっくりと肩を上下させ、本田さんの様子をうかがう。
「ムニャムニャ…」
あっ!これは寝ているやつだ!
何だ…、そうか…、そうだよな…。
1人でレポート報告をやり切って、きっと疲れているのだろう。
“ゴソゴソ”
寝ている本田さんが動き出し、俺の左腕に抱きついてきた。
ぬぉぉ!俺の左腕が本田さんに包まれている!
こ、これは起こした方がいいのか?
せ、せく、セクハラにならないか?
いやいや、俺は何もしていないぞ!
…まぁ、落ち着こう。
今、本田さんが俺の肩に頭を乗せ、腕に抱きついている。
そう!それが全てだ!
本田さんが起きるまで、俺は全力で”今”を感じよう!
本田さんの呼吸、本田さんの体温、本田さんという生命体が、俺の左腕と一体化している。
な、何て…、心地よいのだろう…。
そして!本田さんの寝顔だ!
色が白い…、まつげが長い…、鼻が高い…、唇がぽってりしている…、めちゃくちゃな可愛さだ!
あぁ…、俺はやっぱり本田さんが好きだな…。
何て…、何て幸せ…、なん…、だ…。
「真中さん!着きましたよ!起きてください!」
あれ…?どこだここは…?
もっと寝ていたい…。
「真中さん!大阪駅ですよ!」
「んーんー」
「寝ぼけてないで降りますよ!」
ん?もう大阪駅か…。
何だかよく寝たな。
大阪駅が終点でよかった。
「もー!早く降りますよ!」
本田さんに腕を引っ張られ、席から無理やり立たされる。
あれ…?何だかとても幸せだった気がするが…。
「真中さんの寝顔はじめて見ました!よだれ垂れてましたよ!」
「ほんとに?起こしてよ!恥ずかしい」
「ウソです!」
本田さんが俺をからかって笑っている。
いつもの本田さんだ。
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