4本の管
『生きている意味』は「なんのため」とか「なにがしてくて」ではなくて、そういうのは『生き甲斐』であって。
生きている意味なんて種の保存くらいしか最初から理由はなくて、
生きていること、それ自体にそもそも意味があるのだと思う。
私の父は4本の管で生かされている。
肺、喉、陰部、心臓。
どれか一つでも外れれば、けたたましい警報のような音が病室に響き渡るようになっている。
父は、口をもごもごとさせる。すると喉に繋がれた管を通って機械音となった声で会話ができるのだ。
便利になったもんだな。とまるで他人事。
寝返りも打てなくなった父の首は骨と皮だけに、白い髪はもうあってないようなものだった。
ある日、父は頭の左隣にある機会に目を送りながら言った。
『あれは何の機械だ』
「あれは肺に酸素を送り込む機械だよ」
あれは?尿をすいとる機械。
あれは?心臓を動かす機械。
あれは?あなたが声を出すための機械。
そして父は私を見ていった。
『いくらなんだ』
『この機械はいくらするんだ』
わからないと答えると医者に訊いて来いと言った。
「寒くない?」
父はこくりと頷いた。
大きな窓のある廊下に出るとちょうど担当医がいたので、声をかけた。
窓の外には中庭が広がっていて、真ん中には大きなケヤキの木がある。まだ何枚か茶色い葉が残っていた。
担当医は、苦い顔をしながら私の質問に答えてくれた。
ケヤキの木が光を受けて私の顔に影を落とした。
尿は20万、肺は800万、喉は1000万、心臓は5000万だって。
『そうか』
父はそれから目を閉じて、眠ってしまった。
親子だから、30年も一緒にいたから、父が何を伝えたかったのか、私にはわかる。
でもね、お父さん。
みんな、そんなものだよ。
木が枯れた葉を落とすのは、いらなくなったからじゃない。
残った栄養を全部、新たな芽の養分にするためなんだ。
延命を決めた時、あなたはとても怒っていたね。
でも今もこうして、あなたは私に与えてくれる。
愛した家族を失っていく悲しさを。それを乗り越える強さを。
だから生きていてほしい。なるべく、長く。でも苦しくないくらいに。
また明日も来るね。
もう少しで、新た芽が生まれてくるから。
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