94.【植物園1】七色の幻想森
山脈が夕焼けの空を隠している。
朝に村から出て荒野を歩き、やっと山道の手前まで着いた。
いい景色とはいえ足腰の負担のほうが強くてそれどころではなかったぞ。ルンルンと元気でいるミアは違うようだが。
「そうね。今日はこの辺で泊まるわ」
「あいあいさ~」
ソフィは休むことなく淡々とテントを張り、終わるとすぐに焚火の準備を始めた。相変わらず体力底なしか。あとロイバは休んでないでテント張るの手伝えよ。
「ん? どうかしたのかい?」
「この小石で失明させてもよさそうだなって」
「なんか物騒すぎるよ?」
そう言いながらロイバはこっちに来て布を広げ始めた。
棒を立てて、曲げて、押さえて釘差してと、二人がかりでやると凄く楽だ。
そもそもテント張りは複数人でやったほうが楽なのだと確認できる。数秒で立ててしまったあの女のせいで疑ってしまいがちだけど――――ってなんか睨まれてる?
「な、なんだよ?」
「聞こえなかったの? 水と食料の確保しに行くわよ」
「はぁ……」
ちょっとくらい休ませてくれよ。
ソフィ得意の気配読みは効いていないようだ。疲れ切っている俺を気にせず、ソフィは荒野を容赦なく歩いていた。
「シユウ……羊三頭でいいですよ」
「は?」
「ほらほら、早く行かないと置いてかれちゃうよ。ミアちゃんなら大丈夫だから」
こいつら――――鬼畜か。
もういい。最初から休もうとした俺が間違ってたんだ。こうなったら過労死するまで働いてやる。
そうして俺は荒野を全力疾走した。
羊が一匹、羊が二匹――――間抜けな羊の群れが草を食べている。今から俺たちに、いやほとんどミアに食べられることも知らずに。
俺は少し離れた木の陰から剣を握りしめ、羊の様子を伺っていた。
「いいから早く仕留めなさい」
「早くってタイミングがあるだろ?」
「だから今がチャンスってこと」
一体何を言っているんだ。
こっちは近接攻撃しかできない。だったらせめて羊の隙をついて一気に詰めるしか方法はないだろ。
「はぁ……あなた、狩りをしたことないの?」
「何回もしたことあるけど」
「ド素人ね」
さっきからソフィめ。好き勝手言いやがって。
そんなに文句を言うのならソフィが仕留めればいいのに。どうしてわざわざ俺にやらせる――――あ、狼の群れが乱入してきた。数匹の羊は殺され、その他は逃げていった。
「羊一匹も仕留められないくらいじゃ、剣術なんて教えられないわ」
「……なんだよ。それ」
あの狼、あの急な坂から下りてきたのか。近くに巣があるならぶっ壊してやりたい。
「モタモタしてたら夜になるわよ。急ぎなさい」
「ッチ……」
不満な気持ちを抑えつつ荒野を少し歩いていくと、緩やかに流れる河が見つかった。空も少し暗くなり始め、水気が肌寒い。
俺は河の水を手に汲んだ。
「やっと冷たい水が飲めると思ったけど、冷たすぎ――――あれ?」
なんか紅い沈殿が流れてきてるのだが、これって――――ソフィが魚の血抜きしてる。え、もう魚取ったのか。前腕くらいの長さの魚が数十匹ある。
「水を汲むのならもう少し上ってきて」
「……わかった」
ここまでくるとソフィって人間じゃないのではないかと思ってしまう。本気を出せば生態系に多大な影響を与えられるのではないか。
どことない不気味さを感じながら、俺は水をボトル数本分汲んだ。
「じゃあ帰るわよ」
「帰る? まだ羊を狩ってないぞ」
「もう夜になる。肉は我慢するしかないわ」
ソフィは何一つ変わらぬ顔ではっきりと言った。確かに困るのはソフィじゃないけど、なんでそんなに。まだ空は赤いし、あっちにはまだ羊の群れがいる。少しくらい時間は残っているだろ。
「ほら、早く戻らないと魚が傷むわ」
「……」
無慈悲で理不尽な背中は、迷いなくキャンプのほうへ進んでいく。
俺はまだ受け入れられない。ミアがガッカリするだけで何の意味もない。
「なんでだよ……」
納得いかないけどついて行くしかない。頑固ババアめ。
こんな女に剣を教わろうとしてる自分の弱さにイラつく。
「――――待てよ」
広い荒野にポツンと生える鮮やかな黄緑が見える。きっとあの森には動物が多く潜んでいるだろう。
森だったら狩りをしたことがあるし、獲物を沢山ゲットできるに違いない。うまく行けばミアも満足するし、ソフィを見返せる。いや違う、見返すんじゃない。
ソフィは森のほうをまったく見ていない。気づいていないんだ、森の存在に。
きっとあのままソフィはキャンプへ戻る。魚数匹を持ってだ。でももしも、俺があの森で狩りに成功すれば、デカい動物を引っさげてキャンプに戻れる。
ソフィは魚だけ、俺はデカい動物――――見返すのではなく、見下せる。やり返せる。
「いままでの恨みの数だけ動物狩ってきてやる!」
足は疲れ切ったことを忘れたかのようにピンピンと動き、俺は荒野を駆け抜けていった。
ソフィのメンツをぶっ壊すチャンス、それが目の先にあったんだ。疲れなんてどうだっていい。むしろ疲れるほど、空腹になるほど、俺が捕まえる獲物の味は引き立つだろう。
森の近くまで来た頃には空は紫色になり、星粒が光り始めていた。
空気もさらに寂しげだった。
今更ながら疲れが回り体温も下がってきて、一人ぼっちでソフィへの復讐の炎もやや消えてしまっていた。
走れば走るほど風は冷たく強く、炎は揺らいでしまった。
「だけど引き返すわけにはいかない」
ここまで来たんだ。いまさら手ぶらで帰れるものか。動物共がすぐそこにいるんだ。
「ソフィを見返す。絶対に」
剣を抜き、改めて決意を込める。
そうすると重く節々が痛む体に対する不満とストレスが、努力による価値あるものだと熱くなれる。もっと疲れたならさらに頑張ったともいえる。
「あ、待て!」
森の中へ羊の群れがゆったりと入っていく。
間違いない。きっとあそこは動物の住処だ――――決意に再び火が灯った。
俺は剣を掲げ、羊の群れを追って走り出した。
すると羊らは俺に気づき、勢いよく森の中へ逃げていった。
真っ白だった羊毛も真っ黒になっているだろう。
木々が星空からの明かりを遮って辺りは真っ暗だ。いろいろな方向から草が擦れたり、枝を折る音が聞こえてくるのだが、その姿はよく見えない。
「ああ!」
森に入った途端にこれだ。
暗闇から漂う不吉さに加え、風が無くジメジメして、とても居心地が悪い。
どんなに固い決意であっても環境は知ったことではなく、灯を簡単にへし折ってくる。
「せめてマッチとかあれば……クソ」
無い話なんてしても仕方がないだろ。
外に出るか? 奥は暗く、まともに目も見えない。
行っても無駄――――いや、戻れない。そうだもう戻れない。
だったらこの暗い森の奥へ入っていくだけだろ。
「……」
疲労なのか恐怖なのか、足は少しずつしか出せない。
でもきっとこれはどっちでもなく武者震いだ。これだけ暗いってことは規模がでかい、動物は沢山いるはずだ。
それでもやはり勝手に体は縮こまる。息が白くなるほど寒いし、どこから熊などが襲ってくるかわからない。
耳を澄ましてキョロキョロして進んでしまうのは本能だろうか。
その視界に一つの光る球が映った。色は緑でキラキラしていて、大きさは玉ころがしの玉くらい。
暗闇の中であの球だけが煌めいている。あそこに何かあるのだろうか。
もしかして狩りの仕掛けか。いや、そんな風には思えない。なぜならあの感じは見たことがあるからだ。
そう、あれはクリスマスツリーによくある飾りに似ている。しかもそれはこの世界のモノではない。
「……行くか」
道しるべになるものなんてあれしかない。
俺はたった一つ見える玉へ忍び歩いていく。
何かの罠なのではないか。そんな気もしていた。あれに近づけば身の危険にさらされると。ただそうだとしても見えるものはあれしかなく、動くほかにはない。
そんな疑心のほかに、ほんの少しの希望もあった。
もしもあれが手に入れば明かりになる。だったら狩りができる。そんな希望を俺は信じてもいた。
「――――!?」
緑の玉を追っていると微かな光の筋が目を眩ませ、そこへ足を踏み出してみると――――暗闇は晴れ、辺りに湾曲し鮮やかな色々の果実を煌めかせる木々が、向こうには満月よりも大きく虹色の果実を実らす巨大樹がこちらを見下ろしていた。
七色の果実を光らすこの森は、妖精がいそうなくらい幻想的で思わず目を奪われた。
それに静かで涼しい空気が、さっきの気持ち悪さを後味無く消していた。
「綺麗な場所……だけど」
あまりに静かすぎて一人ぼっちだと実感させられる。虚しいな。
ってそうじゃないだろ、別に観光しに来たわけじゃない。狩りだ狩り。動物を捕まえないと。
「どんなに綺麗な景色でも空腹は満たせないだろ。ミアは」
近くに動物がいるような気配はない。あるのは見たことのない色の長い草ばかりだ。
帰り道のこともあるし、真っすぐあの巨大樹のほうへ進んでいきながら動物を探そう。




