72.偽りの信仰
平野はまだわずかに暗い。しかしその空には巨大な炎の玉が眩く佇んでいる。
そこから離れた温かい程度の平野の南東には、数えきれないほどの銀の甲冑が倒れていた。
青ざめ、足を後ろに引いている兵士たち。その数も多いせいで夜明け前の戦場は、薄く青く包まれていた。
「なんだ。あの女」
「勝てるわけがない」
長く尖った槍を左手に、右手には折れた剣を握ってゆっくりと後退していく兵士を見回している軽装鎧の若い女。
「腰抜けばかりね」
女が剣だけを投げ捨てると、その音だけが平野に響き渡った。
それは兵士たちが完全に心を折られる音だっただろう。
圧倒的に強い女騎士の前に、軍勢は負けを認め逃げようとする雰囲気である。
「……」
もはや勝負は決まっているのに静寂な空気。兵士は堪らず、その司令官を睨みつけようと目を向けた。
しかし兵士たちはすぐに目を逸らした。直視できなかった。
手を扇いでニコニコしている中年司教、その顔に目が合いそうになる恐怖を。
「ロウエル、いい加減にしたらどう?」
「何がですか? まだこちらは敗北してませんよ。そうですよね?」
キョロキョロと兵士たちを見ているロウエル。銀色の兜の側面しか映らない。
それでも微笑んだまま、ロウエルは女騎士に目を止めた。
「ソフィ。いえ、シュバリーエルミエールのほうがいいですか?」
「どっちでもいいわ」
「ではソフィ。さっきも説明しましたが、教会はあなた方を指名手配しています。こうやって兵士たちをいじめると、また懸賞金が上がってしまいますよ」
「……あっそう」
ロウエルが真顔になってその放った声はソフィの後ろ姿を透けて通り越した。
その先で立ち尽くしていた兵士たちが躊躇いなく道を開けていく。
「まったく、意味が分かりませんねぇ。どうしてロアマトの子を攫った女が、ロアマトの子が捕まっている屋敷を目指すのでしょうか。それも鬼の形相でねぇ~」
「何のつもり?」
ロウエルのほうを振り向き、その鬼面を披露するソフィ。
兵士たちはソフィの言葉に小さく頷いていたが、その威圧感に顎が硬直した。
そしてロウエルは周りをほんのりと見回した後、再びソフィのほうを向いて、頬皴を深めた。
「いえ、あなたならわかっているでしょう。戦いにおいて相手を感情的にさせるのは有効だと」
「はぁ……ただ部下が倒されるのを笑って眺めていた奴が何を言っているのかしら」
「そうですね。その真意はあなたにはわからないでしょうね」
「わかりたくもな―!?」
ソフィは体勢を崩し、膝を地面につけた。
その髪が不自然になびいて乱れていく。
「魔法?」
しだいに目も開けられないほどの強風が吹き荒れる。
何か口を動かすロウエルが腕の隙間から見えるが、暴風のせいで聞こえない。
「フロン、フドゥール……!?」
口の動きからその言葉に気づくとソフィはすぐに頭上を見上げた。
淀んだ雲はないが、澄ました耳にその唸りが響いた。
「っ!―気に入らないわ」
風はその体を押さえたまま上昇し、ソフィは少しずつ浮かび上がっていく。
槍を地面に刺して留まろうとするが、唸りは怒鳴り出し、頬を擦る風は速くなるばかりであった。
「さ、さすが第二司教!」
「この規模の聖術、僕たちは囮だったのか!」
「作戦だったんだ、俺たちの戦いに意味はあったんだ!」
目を輝かせている兵士たち。その視線の先には天高くほとばしる黄金、その奇跡の源流が煌めいていた。
ソフィの頭上の数メートル、徐々に黄金は強く激しく光り、金色の雲のようである。
「……さぁシュバリーエルミエール、どう出てくる?」
つま先が地面から離れ宙を昇っていくソフィを、ロウエルは真剣な顔で見ていた。
ソフィは体をがむしゃらに動かして抗うが、上昇気流はその身動きを遅くしていく。
「わずらわしい―!」
吹き荒れる風の中からソフィは槍を投げ飛ばした。
鋭い槍先はロウエルの胴のわずかに横へ逸れ、ロウエルはニヤリとした。
「手は抜きませんよ。そういう約束ですから」
細い黄金線は集まり咆哮をあげ、そののちソフィをとらえて突進した。
輝く光は髪の先まで止まったソフィを溶かすように照らす。
「!!!」
そして地面に到達した界雷は煌めく柱となった。
「……」
兵士たちは目を瞑らず逸らさず、心を奪われていた。
目にも止まらぬ速さで駆け抜けた雷、そうしてできた柱はしばらく消えず、感傷に浸る時間を十分に与えているようである。
ただそのせいで風が止んだことに気づけない。
「―!!」
黄色く映る槍の先。それはロウエルの顔面へ直進する。
しかし呆気なくその顔の前で折れ、どこかへ飛んで行った。
それが地面にぶつかる音と同時に黄金の柱は消え、兵士たちは気づく―直前にロウエルが攻撃されたことを。
「危なかったですね。もう少し遅かったら、防護を貫通していましたよ。怖い怖い」
「……」
ロウエルの涼しい顔の前、濃く光る金色の膜。
凄まじい殺気を放つソフィに、ロウエルは微動だにしていない。
その気持ち悪い顔が黄金となってさらに濁り、ソフィは耐えられず後ろに飛んで下がった。
「貸して」
「は、はいぃ……」
兵士の顔も見ず、銀の槍をソフィは奪った。
ロウエルは引かず、後ろに手を組む。
「お手柔らかにお願いしますね。私は非戦闘員ですから」
「手は抜かない。そういう約束だったわよね!」
ソフィは槍を握りしめ、目の前に立つムカつく敵に飛び掛かっていった。
その様子に兵士たちは頭を抱えたり、祈っていたりした。
―数週間前、ロアマトの子が閃光の騎士に誘拐されたという情報が教会本部に届いた。
第二司教をずいぶん信頼していたためか、教会本部はそれをデマだと無視した。
しかしそれから数日後、ヲーリア都でロアマトの子が攫われたという話を聞いたという旅人や商人が噂めいて、これを聞いた信者が教会に押し掛けたのだ。
それで教会が真面目に調べてみると……何という事でしょう、本当にロアマトの子が誘拐されているではありませんか。
「しかもすでに誘拐犯はレイロンド大陸のほうへ逃げて行ってしまっていた。私は頑張ったんですけどねぇ」
「さっきから煩いわね!」
ソフィはロウエルの気色悪い微笑みに槍を突き刺そうとしたが、その黄金の膜が槍の先端を弾き飛ばした。
その偽りの太陽に輝く銀の尖がりが宙を舞っていく様を眺めながら口を開くロウエル。
「知っていますか。町では誘拐した理由が金目的とか、レイロンド帝国の思惑とか……過激なミアファンの仕業なんて言われてたりもするんですよ……面白いものですねぇ」
「そうね」
折れた槍を投げ、ソフィは近くの兵士の槍を奪い取ってロウエルに飛び掛かった。
その動作は俊敏すぎるのにもかかわらず、ロウエルはまったく驚くことなしに微笑んだままであった。
「戦場にまで来てお喋りばかり、舐めてるのかしら!」
「いえ、そんなことはないですよ。しかしたまには分かる人と話したい、それほどに退屈なんですよ」
同じくして槍は黄金の盾の前に折れ散った。
ソフィは歯を噛みしめ、欠伸するロウエルを睨みつけながら一歩下がった。
「何を怖がっているんです? 追撃してこないんですか?」
「そう言うのなら攻撃してきたらどう、防御してばっかよ」
「無駄なことはしない主義です」
空が青ざめ、日が出てくるころ合い。
泥だらけになりながら偽りの太陽へ行進していく聖兵を横目にソフィは汗を拭いた。
「何が目的? あんたがここにいるのって時間稼ぎじゃないの?」
「そのつもりでもあったのですが……あの人たちが考えることなんてわかりませんね」
「だったらさっさと私を通して―!」
投げつけられた長い銀の棒はロウエルの胴まで近づいたところで黄金に跳ね返された。
その棒は二人の周りを囲む兵士の群れに降り落ちた。
「私は第二司教。罪人を目の前にして命乞いなんてする器じゃないですよ」
不敵な笑みを見せるロウエル。
「そう、だったら勝負をつけるしかないわね」
銀の槍を振り回し構えたソフィ。
殺伐とした空気。周りの兵士は呼吸することも恐怖していた。
「…………―!?」
瞬きして消えたソフィ。
その行方に気づいたのはロウエルただ一人。その位置は背後。すでに槍を突きあげていた。
やはり簡単に槍の折れ、先端が宙に舞う。
「あなたの攻撃では防護は貫通できない。そのスピードも私たちの探知の前には無力。何度同じことをしても結果は変わりませんよ―!?」
少しだけ長い銀の棒をその横腹に叩きこむソフィ。
至近距離からの素早い攻撃にロウエルは一瞬遅れた。
「っ!」
効果的に見えた一撃だったが、体全体に薄く纏わせた防護に銀の棒は折れた。
意表を突いた一回きりの攻撃は失敗に終わり、ソフィは一歩引いた。それを見てロウエルは溜息をついて、横腹を撫でよう手を伸ばした―その一瞬をソフィは待っていた。
「終わりよ―!」
銀の凶器の先端は一瞬だけ青く反射したあと、その首に触れる寸前で静止した。
反応できなかった。ロウエルは首元にわずかに触れる、短く尖った銀の棒に身動きが取れなくなってからソフィが攻撃してきたことに気づいた。そしてその戦術も。
「私の防護を利用して槍を短剣に変えたのですか。それで重量が落ちて、さらに素早く……さすがですね」
「早く降参しなさい。さもないと―」
「わかってますよ、私の負けです。ど、どうか命だけは助けてくださいぃ! 僕は巻き込まれただけなんですぅ!!」
涙を流しながら命乞いをする第二司教。
その情けない泣き声が平野に響き渡った。
「なんか楽しんでいるように見えて、気持ち悪いわ」
「そ、そんなことないですぅよ!」
ソフィはロウエルを蹴り飛ばし、短剣を放り投げた。
大きくため息をつき、落ちていた銀の剣を握り屋敷のほうへ歩こうとした。
「待ちなさい」
「なに?」
「私はロアマト教会の第二司教。もっと懲らしめたり、金銭を要求したり、罵ったりしてもいいんですよ?」
「そういう性癖なの? 気持ち悪い―!?」
「そうだ。そいつは気持ち悪い」
冷たく静かで威圧的でもある声。その若い男のきな臭い気配。
白馬に乗った銀の鎧の騎士。その背中には巨大な大槍。
その凛々しい顔立ちが現れた瞬間に周りを囲う兵士たちの目は輝きだした。
「我が名はエメリーベン=ドュッホ、第六聖騎士である。貴様がミア様を攫った賊だな?」
真ん前、その上から真っすぐソフィを見つめる高位聖騎士。
完全に沈没していた兵士たちの士気は上がり、辺りはその歓声に包まれていた。
ロウエルが出てきた理由は完全に戦わせたら面白そうってだけだったけど、それなりに楽しめた。




