66.オッサンと豚汁
偽りの太陽は静かに夜の闇に埋もれて消えていった。
灼熱だった煉瓦の家の壁は冷たくなっても触れず、二階の窓から見える深く暗い夜空には星の粒が徐々に輝きだしてきた。
窓の向こうにある広場には、薄汚れたローブを着た顎髭の男がポツンと立って空をじっと眺めている。
あのアホ面のオッサンが禍々しい太陽で町を一変させた張本人だとは信じがたい。
「……ありえない。あ、ありえない!」
ロマーンが顔色を白くして、窓の外へ震える指を刺している。
「どうしたんだ?」
「どうしたって、シユウはどうして平気なんですか! た、太陽が…あ、あんなことが!」
ブルブルさせているロマーンの肩。
俺はゆっくりとその肩を両手で押さえ、宥めた。
あのオッサンは太陽を扱う、次元の異なる力を持っている。
この異常な現象の正体に混乱しているのだろう。
「ご、ごめんなさい。取り乱しました」
「気にするな」
「あの人、何者なんでしょう?」
あの超越的な力は間違いなく転生者だろう。
だが敵なのか、それとも別の何かなのか。
そこが気になるところだ。
「双眼鏡、貸してください」
「あ、ああ」
シュロムだとしたらミアを攫った野郎の仲間だ、ミアの居場所を知っているかもしれない。
でもそうなら俺たちはあんな馬鹿みたいな奴と戦うってことか。何の冗談だよ。
「―大変です!」
「どうした!」
突然、ロマーンが双眼鏡を放り投げて階段を駆け下りていった。
もしかして攻撃か。
あいつ、俺を見捨てて逃げるつもりかよ。
「この野郎、ふざけるな!」
俺は腰抜け野郎を必死に追いかけた。
しかし案の定、足の速さでは敵わなかった。
見捨てられたと外を見回すと、普通にロマーンは広場に突っ立ってた。
眩しく光るシャンデリア、艶々な木の机と椅子。
ここはロマーンの高級料理店。
晩になると席が埋まって少し暑苦しくなるが、今は夜中。俺一人だけが椅子にもたれかかって緑茶を啜っている。
「って安心できるか!」
「どうしたんです? 突然叫んで」
奥の扉を閉じながらロマーンは俺に声をかけた。
なんでいつものと同じ顔してられる。
そう思いながら睨んでも、ロマーンは苦笑いを返すだけ。
「なんか不機嫌ですね、お腹空いてます?」
「そんなわけないだろ」
俺の言葉も無視してロマーンはエプロンをつけ、迷うことなくニンジンとジャガイモをキッチンの机に置いた。
人の話を聞け。
「作っても食わないぞ」
「別にシユウ君に作っているわけじゃないですよ」
「は?」
手際よく野菜を切っていくロマーン。
本当に手慣れているのが気持ち悪く感じる。
誰にでもタダで料理を与える馬鹿野郎に。
「顎髭の人は空腹で倒れただけでした。だからシユウ君の分は作ってないですけど、今なら間に合いますよ?」
「いや、そうじゃなくてだな……得体のしれない奴を助けるなんてどうかしてるぞ」
あいつはシュロムかもしれない。
俺たちの敵だ。ミアを誘拐した野郎の仲間だ。
「どうかしてるのはシユウ君のほうです。道端に倒れている人をほうっておくのは酷いし、ましてや縛り上げようとするだなんて外道でしょう?」
「それは奴が敵かもしれないからだ」
「例え敵でも、ケガ人はケガ人。見捨てることはできない。」
どこまでも善人な。
どうして自分に関係ないやつでも救おうと思うんだ。
「アホか。目を覚ましたら殺しかかってくるかもしれないだろ」
「その時はそのときです」
何を言ってもキッパリと言い返される。
こんなことは慣れているって感じだ。
「あとシユウ君は食べないんでいいですか?」
「……食べる」
夜食なんて、いつ以来だろう。
だいたい夜中に腹が減って食うものと言ったらカップヌードルとかだろう。
だからこの時間に箸を持つのも違和感ないし、下を火傷しそうな熱さも心地いい。
ただ、ただ一つ奇妙なんだ。
「どうしたんです。豚汁は苦手でした?」
「いや、オカンか!」
間近で手を組んでいるロイバに叫んだ。
カップヌードルを出せとは言わんが、豚汁って。
苦手じゃないし、むしろ好物だし。てか苦手な人でも好きになるくらい美味いし。
「涙流してまで食べなくても……」
「違う! 嬉し泣きだ!」
もう一生食えないと思ってた。
あれだけ探しても、この世界のどの店にもなかった。
泣かずにいられるか。
「初めて作ったからそう言ってもらえて良かった」
「マジかよ。料理人向いてるぞ!―って料理人だったな」
「そうですよ。和食だってできる数少ない料理人ですから」
「他にも和食作ってる人いたのか!?」
「ええ、この大陸の西のほうで店をやってる人がよく食べに来てくれて……最近は見かけなくなりましたけど」
見かけなくなったか。
山賊とか事故で亡くなってしまったのか。こんな物騒な世界だからな。
数少ない転生者の理解者が。
転生者の理解者?
「おかしい」
和食文化はこの世界には存在していないし、味噌だって無いはずだ。
箸もこの店で久しぶりに触った。
でもここにあるのは間違いなく豚汁だよな。
「なにがおかしいんでしょうか?」
前のめりになって目を輝かすロマーン。
そんな期待することじゃない。
「……味噌ってどうやって仕入れたんだ?」
「味噌が悪かったですか。改良の余地が―」
「違う。そうじゃなくて、味噌って珍しいから」
「ああ、そういうことですか」
ロマーンは納得した様子で立ち上がった。
味噌を取りに行くだろうとキッチンを見たが入ってこず、そこに立ったままだった。
「何してるんだ?」
「何って、味噌を作るんです―!!」
その言葉と共にロマーンは手を合わせ、捻じり、開いた。
すると、その手のひらに茶色い塊が落ちてきた。
「はい。味噌です」
見た目も臭いも味も味噌に違いはない。
でもどうやって出したんだ。
「……手品か?」
「違いますよ。魔法? みたいな感じでしょうか」
魔法だと。
ロマーンが魔法を使えるなんて知らなかった。
でもそれじゃない。
「なんで味噌の存在を知ってるんだ―って言いたいんだろ?」
「!?」
知らない声に俺はキッチンのほうを振り向いた。
そこにはデカいおたまを逆手持ちして汁を啜る髭面の男が立っていた。
「行儀が悪い!」
「オカンかよ!」
髭面はそうツッコミながらも今度は鍋ごと持ち上げ、ゴクゴクと一気に飲み干した。
満足げに腹を撫でている。
「豚汁なんて何年振りか!」
俺は笑顔でいる謎のおっさんと、それに髪を逆立たせているロマーンに夜中の恐怖を思い知らされていた。
この髭、ただのおっさんじゃね?
もうしばらく戦いません。
お話ばかりになります。




