64.蜃気楼の奥
なぜ夜になると青かった空は黒くなるのか。
その答えは世界を越えても変わらず、何も知らない子供でもそれが太陽の光のせいであるとわかっていた。その理屈は違っても太陽のせいだと理解した。
だがそこに反例が出された。
凍え死ぬような寒さの土地にあるストラーダの夜にそれは突然現れたのだ。
「おい、なんだあれ?」
「ん、なんじゃこりゃ」
「あれは……ロアマト様だ……」
「そんなわけないだろ」
空を見上げて戸惑う町の人々。その顔は白色の光に照らされていた。
ある人はそれを神、別の人は悪魔と悟って手を握って祈り、大多数の人はぼんやりと事態を眺めていた。
だがその学者はこのどちらにも当てはまらなかった。すぐにその正体を暴いたのだ。
「あれは太陽だ。小さい太陽に違いない」
暗い空に浮く巨大な炎の玉。
日焼けしそうな眩しい光と体に纏わりついて離れない熱が町を覆っていく。
紫色に染まった煉瓦の上を走っていく。
あたりには誰もいない。ただ遠くから反響した声がぼやけて聞こえる。
その他にはジリジリという、焼かれている火の玉が放つ音だけ。
だんだんその光が俺の瞼を閉ざそうとしてくるが、それよりも煩わしいのは薄れて耳に入る鈴虫のような喚き声だ。
こっちは命を懸けているのに、笑っている目をしている奴らが許せない。
「シユウ君! 待ちなよ!」
肩を掴かまれ、強引に足が止められた。
ロマーンの真っすぐな眼が、あの太陽にこれ以上近づくのは危険だと伝えている。
強く握った手に生ぬるい汗が滴った。
「離せ、お前はついてこなくていい」
「何言ってんだ! 周りをよく見ろよ!」
ロマーンが叫び声に心臓が止まるところだった。
空気を吹き飛ばす咆哮に俺はわずかに冷静になって気づいた。
周囲の建物すべてが赤く黄色く、死ぬほど熱い。ストーブの中か、ここは。
「これ以上あれに近づけば、絶対に死にます。だからこれ以上進むのはやめましょう」
確かに向こうのほうは青くて暗い。涼しそうだ。
逆に今から向かうところはさらに赤い。危険だってわかる色だ。
「―だからなんだってんだよ!」
手を振り払い、構わず走り出した。
この現象は間違いなくシュロムの、ミアを攫っていった奴の仕業だ。
それがわかっているのに止まってなんかいられるか。
「くそ、熱すぎる」
肺に入ってくる空気が痛い。
ずっと走っていないと足の裏が焼かれてしまう。
ロマーンが必死になっていた理由が今になって気づいた。
でも胸が熱くなるほどに、気持ちも高ぶってきている。
「ん、何の音だ?」
引っかかるような弾けた音。それが連続して鳴り響いている。
それもすぐそこ、太陽の足元からだ。
「マシンガン?」
「!?」
後ろで呟く声に驚いて振り向く。ロマーンが手に口を当てていた。
マシンガンなんてこの世界にあるわけがないだろ。見たことないぞ。
だけど耳に馴染んでくる音は、映画で見たものに近い。
「ってなんでお前ついて来てんだよ!」
「シユウ君を放っておいて一人だけ逃げられるわけがないだろ!」
すぐに言い返すロマーン。
その声は鳴りやまない銃声に負けず、頭を震わせた。
「シユウ君、間違っていますよ」
「まだ止めるつもりか?」
「違う、道が間違っている。たぶんあれは海沿いの広場の下のほうだ。それだったら道はこっちだ!」
ロマーンは走り出した。
そうだった。このストラーダの町は入り組んでいるし、ロマーンは町に詳しい。
でもそう言って遠ざけるつもりじゃないのか。
「って足速いな!」
「置いて行きますよ!」
なんで料理人のくせに足が俺よりも速い。
必死に俺はロマーンについて行く。
本当に置いて行かれそう。
「ほら、こっち!」
「あ、ああ」
靄ついている海のほうに出て、横に曲がって走る。
一直線の海沿いの道だ。
「臭いな」
いくつかの船が静かに燃えている。
風が海側だから煙はそこまで来ないけど、それでも最悪な空気だ。
海に飛び込みたくなる衝動を堪えて、黒い空に浮かぶ太陽に向かって行く。
「止まって。この壁の向こうだ」
「ああ」
薄い煉瓦の壁に隠れる。
銃声と吹き荒れる風が壁の隙間から飛んでくる。
俺たちは息を呑んで、ゆっくりと広場の中を覗き込んだ。
「なんだ……あれ?」
巨人が四人いる。それも逆立ちしているのが。
しかもそれが動いて人数と身長が定まっていないような。
どうなっているんだ。
「蜃気楼だ。たぶん」
「シンキロウ?」
なんのこっちゃわからない。
そんなことも知らないのかと見てくるロマーンだが、俺は初めて知ったぞ。
「もう少し近づいてみますよ」
「お、おう」
広場はだいぶ広い。
地面と壁に穴が開いているところを歩いていく。
そして適当な家の中に隠れた。
「蒸し暑いな」
「…………。」
「どうした?」
窓の向こうを双眼鏡でじっと見つめているロマーン。
そんなもの持っていたのかと疑問に思ったが、どうやら違うらしい。
この家の大きな机には地図と積まれた本、鉛筆とコンパスなどが置いてあった。
「シユウ君、どうぞ」
「おう」
双眼鏡で外を覗く。
度がかなり高くてどこを見ているかわかんなくなりながらも、それを振り回して見つけた。
広場で暴れているその正体を。
俺は双眼鏡を壊れるほどに強く握った。
「……帰りましょう」
あれは奴らじゃない。
まったく別の部類だった。
複雑になっていきます。
色々と要素が増えるから。




