111.【東京編 5】朝方、空っぽの夢の語り
心地よい風がシャツを揺らして俺の腹を擽る。それは夜空の中、翼をはためかせて俺を担ぐガキと同じように笑えと促すようだ。そう、日本人特有の”空気を読め”の雰囲気だ。
ガキの笑みは天使にそぐわず気色悪く、その先は地上で自身の分身と交戦中のソフィへ向いていた。勢いよくその翼に跳び掛かるも、軽く避けられ、その刀は空ぶるばかりの、無謀な女の姿のほうへ。
「やっぱ、面白いね、異世界人って。柊人君もそうは思わない?」
「思わない。いいから下ろせよ」
「違うか、面白いのは柊人君がいるからなのかもね!」
こうやって東京の空を飛んでみると、また別の景色が見えてくる。
すぐ近くにあるスカイツリー、こういう角度から眺めると期待ほど大したことがない。あっちの雷門、上からじゃ駐車場と見分けもつかない。むこうのレインボーブリッジ、遠すぎて適当な色の八つ橋のようだ。あとはあっちにある大仏や箒が飛び交う岩城、赤レンガと太陽の顔――――ああ、ここは幻の世界だった。
「もちろん彼女は東京はおろか、日本もおろか、この世界を知らない。だからわかんないんだよね、だからあんなに強張って戦ってるんだよね! はっはっは! あの女、死ぬとでも思ってんのかな! ねぇ!」
「いいから下ろせよ!」
悪夢を象徴するガキの顔面へ勢いよく肘をぶつけようとするも、ガキはサッと俺を放して避け、また俺を捕まえた。
「こんな高いのに怖くないものなのかな? 割と現実と似た感覚だと思うんだけどね、まぁ僕は投身自殺なんてしたことないからわかんないや」
「何が目的だ? 俺たちは死なないんだろ、ソフィを倒したところで何にもならないだろ」
「そうだね、ここは夢の世界。女神様の力によって創り上げられた、僕たちの故郷、いや、それ以上の楽園だね! ふつうは死にたいなんて思わないし、殺すつもりもないんだけどね」
「話を逸らすな、夢から覚めれば俺たちは元の世界に戻る。だからここで何をしようと意味はないだろ」
「そうかなぁ、柊人君は忘れられない夢を見たことがないの? まぁだったら今から見せてくれるけどね、ほら」
天使を自称するクソガキは、俺の質問の答えを、飛ぶ先にそそり立つスカイツリーよりも高く太い、謎の尖塔へ示した。
――――マジか。気持ちわる。
思わず吐き気がして口を塞いでしまったのは、塔の上付近、その周り、右往左往と飛び回っている翼が目で追えない数以上、あったからだ――――天使はコイツだけじゃなかったのか。
「そんな顔しないでくれよ、マイフレンド、柊人君」
「マイフレンド?」
俺が天使のほうへ振り向こうとするとちょうど、天使は急加速して俺を放した。なんかのアトラクションかよって、叫び声も出せないのは、転がる地面に口を防がれているからだ。
「――――っぐ。なんで雑なんだよ……うぇ、気持ちわる」
嵐のごとく上を回っている天使共。尖った塔にみえたのは、あれの錯覚か。
そうじゃないほうがいいと訴えるように、俺は平らな地面を強く足で踏むが、固いコンクリートの感じだけだった。
「もう上向くのやめるか……」
「坊や大丈夫? どこか具合が悪いの?」
痺れるほど艶めかしい声になぞられて、俺は顔を上げる。そのまま穴に吸い込まれる鉄球のように、そしてゆっくりと、俺はその美女のほうへ歩いていた。知らない感覚に気絶しそうになる。
「だ、だれだ?」
「ほら……」
知っている。ぼんやりとする頭は、脳にある今までを優しく剥がして、それを見せる。そう、生まれる前から知っていたみたいな。
「なんだ、これ? うぅ……」
初めて出会ったはずなのに何回も出会ったことのある記憶の再生、甘く化学的な匂い。ふらふらともたつく足は不安定なのに定まっているかのように、俺は女神の胸元へ身体を預けようとする。
少しの抵抗、残る何かが、ちょっとどこかにあるのに、それすらもあれは溶かしていた。
「おかえり坊や、もう安心していいのよ」
吐き気は消えていた。だって女神が背中を摩ってくれているから。
蕩ける気持ち、一体感、安らぎ。求めていたもの全てがここにあったのだと悟った。そしてわかる、なんの疑いもない、怖くない、明日もずっと夜で、今日は終らない。命は永遠で、老いることもない、こんな風に眠れるのはいつ以来だろうか。
気付くと俺は目を閉じていた。柔らかい全ての中で――――――――、
空を飛びたいと願う、そんな青空があった。いつかは飛べるようになると信じて、高いところから跳んでみて、怪我して泣いていた。
あの時はそんな日々があったはずなのに、まったく思い出せない。なのにあんな感じの空気があったって、どこかで残っている。
意識が明確になってから、そんな夢心地は失せていって、引き裂かれる事ばかりになった。あの頃はよかった、そう思うこともできない。ずっと探していたのは、忘れ去れたからだ。
大人に近づくにつれて青空は嫌いになった。夜空ばっか見てたくせに、それだって嫌いで、どうすればいいのかもわからなくなって、本当はそんな不安なんてなかったのに。
あの時の空はわからなくても不安にはならなかった。今はそれを求めて、落ちる空があるだけだ。
「もしもその瞬間に空を飛べるようになったのなら、俺たちは夢を思い出すことができるのだろうか」
――――そしたらあなたも刎ねて、地面に突き落してやるわ
「え?」
「な、なんで? そんなまさか! 嘘!」
目が開く。コンクリートに転がる死んだ子供の顔、人形みたいな虚ろな目があった。
生臭い血の――――むせ返る全てに酷く身体は揺すられ、俺はとにかく暴れた、その身体を振り払い、驚く女を蹴っていた。
「あっ! ああっ!!」
「待ちなさい」
「……え?」
冷たい血が布を通して肩から伝う。でもその手は、興奮しきった血液が、血管から飛び出そうとする血があるとわかるくらい、ぎっしりとしていた。
けれども身体の覚えていたその殺気が、俺の夢を覚まして、夢とは逆の現実よりも向こうの世界から俺をここに戻した。
「なにが? 一体何が? 天使? ガキ? あれ?」
満月が映る。気色の悪い嵐に隠されていた月だ。その光がぶつかって、余計に夢が冷えていく。
凍えそうなほどなのに、わずかに白く出る息が、生きている実感をまた知らせてくる。
裂かれた翼、残骸、血塗れのビルがいくつも。スカイツリーの尖端には身体のデカい赤ん坊が突き刺さって動かなくなっている。
「おかしい! お前! なんなの!」
「……」
腰を抜かし、息を荒げる、女神。その艶やかな髪もボサボサに崩れ、化粧も解けて、服もはだけ、まるで別人のようだった。
それと同じくして幻の東京は歪み、ぼやけ、溶けていく、だんだんと建物は消えて風も止んで、暗くなっていく。
女はその影に飲みこまれないように、這いずる。唯一、残された月のあるほうへ、その光のほうへ、とにかく這いずる――――が、それはソフィの刀だった。
「ぎゃあああああ! あっああ!!」
切り落とされた手首、止まらない血。消えゆく夢に埋もれる手首。
次はその逆の手首、次は切り裂いて腕と足と、そして顔。じっくりと何かを女に刻むようにソフィは女をいたぶっていた。
「どうしてぇえ! なんで終んないの? 私の世界なのにぃ!! 早く! 早く!」
「ちゃんと痛いのは同じみたいね。よかったわ」
「ああああああああああああああ!!!」
四股を完全に斬って、刀はその悲惨な顔を撫でて、血管を掘り起こす。
「死なない体なら首を切ってもそうやって叫べるのかしら?」
「ああっ!! あっあっ!」
月も埋もれて消えていく。残った暗がりのわずかな光の中、最後の一振りの前――――、
「現実にいるあなたも殺しに行くわ」
真っ暗に生々しい音だけが鳴いた。
忘れられない夢。きっと俺はここにあった事を感覚も含めて、何度も思い出すことがあるだろう。
たぶんそれはあの女にとっても、、同じだとしたらあの痛みもずっと――――
――――青白い朝方の空とそこを飛ぶ烏が窓から見える。起き上がったベッド、肌寒さに布団を抱え込む。
「なんか、なんだっけ」
何か忘れているような、げっそりとした疲れが血をなぞって感じる。肩こりとかじゃなくて、力が入んないんじゃなくて、気分とか心とかでもなく。げっそりと。何かを失くしたような。
それが特に外にあるわけでもない。なのに俺は、気を紛らわすためか、その空を見ていた。
やっぱ冷たいけど透き通った風は、どこか懐かしく、どこか寂しく、でも素敵だ。
「まぁいいか。ちょっと飲み物でも、ロビーはもう開いて時間だな」
ベッドから出て立ってみると足がふらつく。あと肩の下、背中のほうくらいが痒い。
なんか、こんなんだったっけ俺の身体? 朝方はやけに調子が悪い。
軋む床に歩けている実感を抱きつつも、俺はロビーまでゆっくりと、だんだん慣れてきた、そう思ったくらいでちょうどロビーに着いた。
あ、もう開いているみたいだ。宿屋のおばちゃんがいる。
「あら、シユウ君も朝は早いのね。なんか飲むかい?」
「えっと、じゃあ温かい飲み物を……」
「はいよ」
カウンターの椅子に腰を掛けると冷たい。凍りのようで、そのせいだろうか、俺は反射的に戸棚にある色々な高そうな酒瓶のほうに目が行って――――したら、おばちゃんがわざとらしく優しくマグカップを置いて、音鳴らして、ココアみたいなのを入れてくれた。
「今日出てくんだろ? こんな北のほうまで来てくれる人は少ないから、ちょっと寂しいねぇ……あたしが美女だったら変わってたかいねぇ?」
「ご、ご冗談を……」
「あはは、それはどういう意味だい?」
なんか凍てつくババアのジョークに八方塞がりになってた。その痛々しい視線を逸らし、逸らし、あれ――――。
「シユウ君? これでもあたしは若い頃には――――ってちょっいと!」
俺はおばさんを無視して席へ向かう。触る風はまた凍てつくようで、でもあのおばさんに付き合うよりかは全然いい、そうして俺はココアを置いた。
「なんできたの?」
少しばかり憤った声はこちらに背中を見せるまま、ずっと外を見ていた。何度も見てきたその背中はこの朝方だけは、どうしてか、小さく寂しく映っていた。
「ってあれ、水? 冷水? 熱でもあるのか?」
「違う。あなたには関係ない」
「いやでも、さすがにこの極寒に水は。ココアもらってくる――――」
「いい、夢覚ましだから」
わずかに掠れた声は、ココアをすでにカウンターに置いていたおばさん、そっちへ向かう俺を止めて戻した。
ずっと何も話さず、二人、朝日を待って座っていた。でも何回のかの眠くもない欠伸、これだけが続いていた、まるで会話のように。
天使との空中戦を書こうと思ったが、なんかそうはならなかった。
ノリで書いている部分が多いのだった。
それにしても欠伸ってオシャレだね。




