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アリスは長期休みの間、孤児院で穏やかな日々を過ごしている。
「アリスねぇね!」
小さなきょうだいたちは、彼女が居てくれる間、目一杯そばにいようと何処に行くにしてもついてくる。親のいない子供たちであるが、アリスにとって大切な家族だ。
一生懸命自分について来ようとする子たちが可愛くて、彼女は顔を綻ばせる。
「どうしたの?」
「ミィちゃん、お外で遊びたい!」
「うん。じゃあ、洗濯を干し終えたらみんなで遊ぼうね」
「うん!!」
ぴょんぴょん跳ねて他の子供たちを集めにいった女の子を見送り、アリスは洗ったばかりの洗濯が入った籠を持って外に出る。とても天気が良く、爽やかな風が髪を靡かせる。洗濯日和だ。
学園に入学して一年と半年が経過した。学園にいる間はこうしてきょうだいと一緒に過ごすことはできないが、今では楽しい友達ができたので、休み明けが待ち遠しくも感じる。最初は貴族の学校などに自分のようなものが馴染めるのかと不安しかなかった。しかし、同じ境遇の女子生徒が一番に手を差し伸べてくれたお陰で、順風満帆な学園生活を送れている。
「エリスちゃん、お仕事忙しいみたいだけど、大丈夫かな……」
数日前、運営委員会で合宿を行ったのだが、解散時にエリスが物凄く寂しそうな顔を見せたものだから、アリスは気にかかっていた。
「お勉強も出来て、冒険者もやってて、魔法起動もケルくんより凄いなんて……。わたしと同じ歳なのに自立してるなぁ」
アリスは今は亡きクローディアの厚意で学園に通わせてもらっているが、卒業後の進路についてはまだおぼろげだった。
彼女の周りにいる友人――つまりは小説のキャストの皆様は、ある程度卒業後何をするか決まっている。大抵の場合、この学園に入った有力貴族のご子息は騎士団に所属するのだ。そうして魔物から民を守る力をつけ、同時に市井の暮らしというものをその目を以って知り、時が来れば新たなステージに登る。
シロナはどうするかアリスは知らなかったが、女性でも騎士になることはできる。彼女も優れた魔法を操る人なので、もしかすると騎士団に入団するかもしれない。他の貴族や豪商の子たちは、家に帰って家督を継ぐ準備に移ったり、さらに学びを深めるために研究室に入ったりする。
「……わたしはどうしたいんだろう」
知恵は価値のあるもの。持っていて損をすることは無い。クローディアそうに言われて入った学園。彼女も学校というものに興味があり、知らないことを学ぶことができることには心を惹かれたので、試験を突破するために必死になって勉強をした。
学園入れば、例え孤児でも人から認めて貰える。
……前までクローディアという人物の隣に立てるように頑張って来たが今はもう居ない。ましてや、今付き合ってるエリスの隣に立てるのだろうかと心配で仕方がない。
アリスはハッと手を止める。その表情はどこか哀愁漂うものだった。
(……そっか……わたしにとって勉学を修めてクローディア様に恩を返したいっていうのは建前でしか無かったのか……。本当は――)
籠から取った洗濯ものを握った手に力がこもった。
その直後だった。
魔物の出現を意味する警笛が鳴り響いたのは。
「アリス!早く部屋の中へ!!」
「はいッ」
先生に呼ばれ、アリスは急ぐ。この警鐘が聞こえたら、何よりも先に家屋の中へと避難することが求められる。
孤児院の奥には、魔物が生息する森がある。数年前にはその森の洞窟でスタンピードが起こり、怪我人も出た。孤児院には特別な結界が張られているが、過去を思い出しアリスは真っ青な顔だ。 この状況nanoで安全な教会や孤児院に怪我人が運ばれてくるそれは正直いって怖い。
(でも、わたしは治癒が使えるんだからしっかりしないと)
外に出ようとしていた子供たちの点呼を取り、全員の安全が確認されてから、アリスは受け入れの準備を始めた。
*
「アリスこっちもお願い!」
「今行きます!」
孤児院運び込まれた地方騎士の治療に追われるアリス。前回のスタンピードとは違い、吐き気を催すような怪我をしている人はいない。
ただ、
「急いで! こっちにも解毒薬を!!」
今回森から出てきてしまったのは、毒を持った虫の害獣だった。小さな傷でも、早く手当てをしなければ命に関わる。青く変色する傷口にアリスは懸命に魔法を使い続けた。
「誰か!! 急いで来てくれ!!」
そこに切羽詰まって大声で叫ぶ男が現れる。
あまりにも鬼気迫る声にアリスは振り向く。
「え――」
彼女は言葉を失った。
逞しい体躯の男に担がれていたのは、オールバックで黒髪の男。この孤児院の経営者 ロードルフ・フォン・ペンドラゴン。 彼女を拾ってくれた人だ。そして、お母さんのお父さんだ。
サアッと血の気が引いて、その一瞬がとても長く感じた。
「アリス!」
「っ!」
アリスは名前を呼ばれて、弾かれたようにロードルフの元へ駆け出す。
「どうして、ロードルフ様が!」
「仕事が早く終わったから、お嬢さんと会おうとして孤児院に向かっていたところだった。まだ避難できずにいた街の子供を庇って、毒蜂に刺されたッ。すまない、おれがついていながらッ」
ロードルフの護衛を務めていたハンスは涙目だ。
「っ、あっ」
ベッドに運ばれたは意識が朦朧としているのか、酷い汗を浮かべ、身体を小刻みに震わしたかと思えば、がたがた大きく震え始める。
「っ、ロードルフ様!!」
アリスはとにかく、刺された脇腹に治癒魔術をかける。
状態を見ようとして脱がした服の下には、身体を蝕むように黒い痣が浮かび上がっている。これまでとは違い、スキルの効き目を感じないアリスの手も震えていた。
震えるロードルフを抑えているハンスも唇を噛み締めている。
(どうしよう。どうして、なんでこんなっ……。これじゃあ、ロードルフ様が、し、死んでしまうッ)
アリスの魔術によって、痣の侵食のスピードは少しだけ遅くなったが、このままでは長くは保たない。
「それにロードルフは前回のスタンピードでも毒蜂に刺されて危なかったんだ。それにこいつを刺した毒蜂、普通のやつとは違って、真っ黒だった……」
「そんな! そんな事、わたしにはっ」
「心配させたくなくて、黙ってたんだ。こいつは毒蜂の毒と相性が悪い……」
ハンスは苦渋の表情である。それはアリスが助けられないのは仕方ないと遠回しに言われているようなもので、彼女は息を呑む。
「――わたしは諦めない!! 絶対に助ける!!」
アリスは声を荒げた。人に怒鳴るようなことなど見たことがない先生たちは、彼女の声に思わず目を見張る。
(もっと。もっと力をッ)
魔石を無理やり起動させ、頭が割れそうに痛い。食いしばった歯が力んで、顎も震える。それでも、アリスは止めなかった。目の前で大好きな人が死にそうなのに、痛いとか辛いとか言っている暇などない。
(時間魔術は、危険だからエリスに止められてる!治癒魔術でなんとか!)
必死に魔力を振り絞る。だけど、ロードルフの黒い痣はどんどん侵食をしていく。
「あっ…」
-バタン
「アリス!」
彼女の身体が地面に着く前に、ひとりの少女がアリスの身体を受け止めた。
「しっかりして。すぐ楽になる魔術を――」
ここにはいないはずの彼女の声が聞こえて、アリスは曖昧な意識でその人を見上げる。
「え、りすちゃん?」
そう呟いた後、彼女は答えを聞かぬまま、瞼を閉じた。




