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彼女が降り立ったのは、突然現れたバケモノに恐怖する広場。数多くの生徒や祭りの参加者が騎士団員や教師の指示に従って、一斉に転移装置のあるホールに誘導されていた。
「バケモノね……。シロンに言われた時から考えてたけど、やっぱりこういうことか」
ひとりだけその場に立ち止まって、原型を失ったソレを見つめる。シロンが破滅と口にする度に、エリスはそれがどんな要因で起こることかを考えていた。害獣でもなく、人がバケモノになる。そう聞いて心当たりがあったのは、ひとつだけ。
「魔力を多く含む薬物や魔力を直接注入される技術……」
エリスは無意識に、自分の脇腹に残る黒い傷を服の上からさすった。彼女が軍大学時代に提出した論文がある。
それは軍の中では高い評価がされているが、今も公に発表されていない。理由は、ダンジョン任務を遂行する軍人たちを守るためにあった。
エリス書いた論文は、魔物が人体に及ぼす影響についてを取り上げていた。その内容は、黒傷が残っている軍人ほど、身体能力が高いということ。それがある一定の割合を超えると、魔物に近くなっていく。そして、自分の肉体や体液を摂取された魔物から採れる魔石は、適合率が著しく向上し、魔石の力を従来の数倍引き出すことができるようになることの二点だった。これについて広く発表することができないのは、この世界にはアリスも所属している教会というものが、害獣や魔物などの穢れを嫌うことにある。だから、何も知らない民間人たちは、今ここに現れたアレを、バケモノと表現するより他の言葉を持ち合わせていない。この件も、呪いやらなんやらで、適当に原因は誤魔化されるだろう。
「落ち着いて、こっちへ!!」
「押さないで!! 順番に引くんだ!!」
大人たちの声と、暴れるバケモノの声が混じる。数名の騎士が、魔物化したソレと対峙しているが、未知の獣に剣が悲鳴をあげていた。騎士たちでは、弱すぎる。圧倒的にソレを相手にする経験が足りていない。エリスは視界の端に、自分の部下たちがいることに気がついて、腹を括る。彼らにアレを相手させるのは、上司としての心が許せない。
「OOOOFAAAAAGAAAA!!」
鳴き叫ぶそれと、彼女の視線が交差する。エリスはそれで、魔物になったのが誰なのか、理解してしまった。
「オルサーニャ……」
たいして仲良くなかったしむしろ嫌いであったがまさか同じ軍の仲間が化け物になってしまうのは悲しくもあり滑稽だなと思った。自分の私情で周りを巻き込まないで欲しいとも。
(はぁ、あの化け物はスキルを解禁しないと倒せそうにないね。あれは、竜の力を遥かに超えて龍種に軽く踏み入れてるほどの強さだ)
彼女は煌びやかに飾られた校舎を見て、これ以上ここを破壊されてたまるかと、一歩踏み出す。
「エリス!?」
自分の名前だからだろうか。この騒ぎの中でも、聞き慣れた声が拾えた。
「エリス!? 早くこっちへ!!」
「シロン、出るな!!」
何故、一番この場から逃げなければならない人たちが、まだそこにいるのか。正直よくわからなかったが、生徒全員が無事に学園生活を過ごせるようにすることが目的なのだら、誰であろうと護衛対象に違いはない。
守り切れば良い話だ。
彼女は今にもバケモノに噛まれそうになっている騎士に向かって、距離を詰める。制服のスカートがふわりと揺れたかと思うと、大きく踏み込んだ足が力強く地面を打った。
次の瞬間には、回し蹴りがバケモノの顔面らしき場所を穿つ。
「GAッ!!」
魔物化したオルサーニャは、生徒たちが逃げる方向とは逆側に吹き飛んだ。エリスは間髪入れず、飛んで行ったオルサーニャに合わせて自身も移動する。更に天理眼で虚数能力で作った矛で貫く。
「ッGAAAAAA!」
矛で貫かれた箇所は穴があき魔物の紫色の血がながれだす。
「さようならオルサーニャ。なにッ!」
トドメを刺そうと矛で脳天を貫こうとするがなにかによって防がれた。透明な空気のようなものだ。亜空の矛なので貫けないのは意味が分からなかった。
「ギア゛ア゛ア゛ア゛」
全く別の個体が化け物になったオルサーニャを守っていた。これまた、エリスは直ぐに誰かわかった。
優しく強い先輩。そして、いつか軍に来て欲しかった先輩だった人。
(ルナ先輩まで、ひとの心は弱いね。せめて苦しませないようにころしてあげよう)
エリスは、必死に亜空の矛を止めたせいか化け物の力が弱っていたので剣を創造し、トドメを刺そうと歩む。
「――待って!!!」
その手を止めたのは、鈴の音が鳴るような綺麗な声。
「やめてっ、エリスちゃんッ!!」
龍なみに強さがある化け物なのに蹴り1発と亜空の矛だけで22匹を倒せるとは思えなかった。動かなくなった魔物達から目を離して、エリスは後ろを振り向く。
こちらを見ていたのは、新緑の瞳を持つ少女。
エリスがこの学園で一番一緒に時を育んで来たアリスであり、平和を捨てた自分。彼女は大人たちの制止を振り払い、こちらに向かって走ってくる。
「わたし、見たの!その人達は人間だった!殺しちゃダメ!!」
どうやら、アリスは彼等が人から魔物に変わるところを目撃してしまったらしい。人であるそれを殺そうとするラゼを、彼女は止めに来ていた。しかし、エリスはフォリアから顔を背け、再び剣に力を込める。ここまで魔物化が進んでしまえば、もう人間には戻れない。黒傷を治す方法がないのと同じだ。ゼルヒデ・ニット・オルサーニャは、もう死んだのだ。これ以上、彼を苦しめる必要はない。同じ軍人として、引導を渡さねばなるまい。
「エリスちゃん!?」
いつもなら自分の話に、必ず返答をしてくれるエリスに無視されたのはそれが初めてで。アリスの表情には焦りと戸惑いが浮かぶ。エリスにはその声が聞こえていたが、他の誰かに処理されたくないというエゴが勝った。
嫌われてもいい。許さなくてもいい。でも、命のやり取りをする今だけは、軍人の自分でいさせて欲しい。
エリスの瞳が、細くなった。躊躇はいらない。一瞬だ。剣を握った手が、再び急所を狙う。
「ダメ!!!!」
悲痛な叫びが聞こえて、ナイフがその額にあたろうとする刹那。ゴウっと音を立てて、強風がラゼの身体を宙に浮かせた。二度目の妨害に、彼女はすぐさま犯人の姿を探しながら、身体が浮き上がるほどの強風から逃れて地面に足をつく。
(――この魔術は……。ガイアスくんか。)
こちらに照準を合わせているガイアスを見つけるが、エリスの表情は一向にポーカーフェイスのまま。
「やめてよ、エリスちゃんッ」
その間に走り込んで来たアリスに押し倒されるように、抱きつかれた。こんな危ないところに突っ込んでくるのは、さすがに感心できない。
「離れてて。危ないから」
エリスはアリスの言葉は聞かず、彼女の肩を押す。
「信じられないかもしれないけど、この人は人間だったの。だから、殺しちゃダメッ」
アリスはエリスの腰に抱きついたまま離れようとする気配がない。彼女を預けられる騎士はいないのかと、エリスは周囲を確認するが、こちらに割かれた騎士たちは負傷してぼろぼろである。
「違うよ、アリス。これはもう人間じゃない。もう、人には戻れないんだよ」
エリスは幼い子どもに言い聞かせるように、アリスに言う。聞いたことのないような冷たい声音に、アリスはぶるりと肩を震わせて彼女を見上げる。
「どうして……」
失望の色が、綺麗な瞳を濁していた。
「治す方法がない。仕方ないんだ」
既に諦めているエリスに、アリスは怒りを隠せない。
エリスは相手が人間だとわかっていながら、殺そうとした。そのことが、アリスには信じられなかった。
「そんなの、やってみないとわからないじゃん!! なんで人の命を勝手に諦めるの!?」
「人を蘇生させること事人間の傲慢だよ。彼等は、もう化け物になってしまった。アリス貴方の力でもし治せても彼らの心の傷は治せない程までにしょうもうしてしまってる」
エリスは腰に抱きついたまま離そうとしないアリスを解き
耳元で呟く。
「アリスは、優しいね。私には殺すことしか出来ない」
「どうしてッ!」
「ごめんね」
泣きながらアリスは、エリスに必死に叫ぶ。人を殺しちゃダメだと。まだ助かるのだと。だけどエリスにはきこえなかった。
「貴方達の来世に祝福を。」
剣を振り上げもと人間の2人は絶命した。
「エリスちゃん……どうして。」
「エリスあなたは……」
軽蔑されるかのような視線を向けるアリスとシロン。
そして周りには未だに状況を掴めない人がいた。
エリスは、アリス達からの視線を逸らし後ろに歩き消えていった。
これ以降学園は休校になり、更にその一週間後、モルタ帝国と戦争を続けていた大国ベルドルーク王国は、空から落ちてきた、巨大な槍が飛来し、大陸で1番広い国土が一瞬にして消滅した。
これを見た商人が噂を広めたことによりこの日は神罰の日と歴史に飾られることになった。
また、エリスも姿を消した……。




