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前世の知識を総動員して作り上げた学園祭。
画面の向こうでは、色とりどりの花で装飾されていた世界。
しかしそれとは打って変わり、今目の前には太陽の光を淡く反射させた星の装飾たちが輝いている。
「ちゃんとできた……」
開幕のチャイムと同時にだんだんと人が集まり、賑わい始めた校舎の広場にて、シロンは目の前に広がる光景に感極まった。ちゃんと変わっている。ちゃんと自分のやりたいことができている。
それは彼女にとって、シナリオは変えることができる――自分の運命を変えることができるという証明でもあった。
小説の悪役令嬢に転生してしまった自分。攻略対象者ではない聖職者に恋するヒロインのアリス。そして、同じ故郷の知識を持つ転生者エリス。
登場人物の存在が異なる時点で、ゲームのシナリオは成立してなどいなかったのではないか。それこそ、自分がこの学園に入る前、いや。前世の記憶を取り戻すよりも前から、すでに綻びは生まれていたのだろう。
(だって、そう考えないと何故彼が今も隣にいてくれるかわからないもの……)
シロンはそっと隣にいる人物の顔を窺う。
「綺麗だね」
「……はい」
自分に向けられたアランの声色は、ひどく優しいものに聞こえた。どうしてか、泣きそうになるのを堪えて、シロンはこくりと頷く。シナリオはとっくの昔に変わっていた。
そう考えるのが自分の都合の良い解釈だとはわかっている。
しかし、メインヒーローとして売り出されていた皇子あらんが、エンディングを控えた一大行事の学園祭で、ヒロインと一緒にいないなんてありえるか?それも、ヒロインと敵対するはずだった悪役令嬢の自分が代わりに、そのポジションにいるときた。
(夢でもみてるみたい……)
婚約者とはいえ、こちらはただの令嬢ではなく、悪役令嬢なのだ。本来ならこの時期にはすでにシロンとアランの仲は冷え切ったものになっていたはずだし、他の攻略者たちにだってシロンは嫌われる運命だった。次第によっては、まともな学園生活など送れないと。本気で悩んでいた。
「シロンナがみんなに働きかけて、努力したから実現したんだ。頑張ったね」
アランの真摯で真っ直ぐな眼差しに、目頭が熱くなって。
ついに一粒の涙がこぼれ落ちる。
「ご、ごめんなさ、泣くつもりはなくて」
頬を流れる涙を、シロンは慌てて手で拭う。
「でも、頑張ってよ、よかっ――――」
込み上げてくる感情と涙は、自分では止められそうになかった。彼女は何とかこの気持ちを説明しようと言葉を紡いだが、それも途中で温かい何かに阻まれる。
「ああ。すごいよ、君は」
シロンは顔を上げて、目を見開く。視界いっぱいに見えるのは、大好きなアランのかんばせ。彼女は、アランの腕の中にいた。
「……ッ」
知らない。こんな、イベントがあるなんて聞いてない。
彼がこんなに優しくて温かい人なんて、ゲームは教えてくれなかった。
「俺はそんなシロンの頑張り屋さんなところに惚れたんだ」
息を飲んだ。呼吸が止まった。心臓が止まったかと思った。
「えっ……?」
驚きのあまり、スッと涙が引いていく。
(なんて? え? 今、惚れたって……? え?)
呆然とする彼女に、アランはくすりと笑う。
「好きだよ。シロンが婚約者でよかったと、心の底からそう思ってる」
「へっ!?」
その一言に、ボンと火がついたようた顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「本当は後夜祭のときに言うつもりだったんだけどな。まあ、シロンがあまりにも可愛いから、仕方ないか……」
アランは愉快そうに青色の瞳を細め、シロンの頬に残った涙を指で掬う。
「え、あ、え……っ」
距離の近さに、想定外の告白。キャパシティを大きく外れた彼女からは、戸惑いの声が上がった。
あたふたするシロンに、アランはゆっくり口を開く。
「物語の運命なんて関係ない。それに、滅ぶときはわたしも一緒だ」
自分のことを“わたし”と言ったアランに、シロンは小さく固唾を飲んだ。これは夢でも、嘘でもない。
彼は本気で、真剣に、自分に向き合ってくれている。
シロンはそっとアランから体を離すと、小さく震える両手を握りしめて小さく息を吐いた。ちゃんと自分も応えなければ、ならない。
再び、青い瞳をその目に映す。
「わたくしもずっと前から、アラン様をお慕い申し上げておりました。……好きでいてもいいんですか……?」
言った。ついに、言ってしまった。悪役令嬢の自分が、こんな幸せでよいのだろうか。そこにヒロインだったはずのアリスに対する罪悪感は、不思議なくらいなかった。
あるのは、大きすぎる幸福感からくる不安。あまりにも贅沢すぎる悩みだ。
ずるい問いかけだとわかってはいても、シロンは問わずにはいられない。そして返事を瞬き一つせずに聞き終えたアランは、満面の笑みに変わった。
「もちろん!」
「わっ」
彼はシロンを抱き上げると、その場でくるりと一回回る。シロンのロングスカートがふわりと広がり、花が咲く。
「ありがとう。ドレス選びはいつにしようか!」
嬉しさにはしゃぐアランは、小さな子どものようにくしゃりと無邪気に笑っていて。
「ふふっ」
言いたいことはたくさんあるはずなのに、気がつけばシロンも釣られて笑っていた。
……
…
乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったが、何故か婚約破棄しそうにない。ヒロインはメインヒーローどころか、攻略対象者以外と恋愛模様。出会いイベントから、シナリオ崩壊。不穏な破滅フラグはどこに行ったのか、自分は今アランと手を繋いでいる。その事実で、シロンは胸がいっぱいだった。
「次はどこに行こうか?」
アランと一緒にミニゲームをしたり、演劇をみたり、ご飯を食べたり。一通り校舎を回ったふたりは、次にどこへ行くか考える。
「あ。あそこの教室、すごい賑わってますね」
「5年A組『マスカレード』……。仮装ができるクラスか」
アランに言われて、シロンもそのクラスのことを思い出す。単純に仮装を楽しむだけではなく、来てくれる保護者側が服装で身分の差が分かりにくくなるという配慮が隠された出し物だったので、受諾したシロンもよく覚えていた。
夏のバトルフェスタや冬の大会を一番経験した、最高学年だからこそ気がつけたことだろう。ただ、衣装の用意は苦労していたので、一番ギリギリまで調整をしていたクラスだ。
「すごい盛り上がってるみたいですね?」
教室を取り巻く雰囲気に、シロンは呟く。
気になったふたりはそちらに足を進めた。
「もしかしてお前も見たのか? トロイヤのやつ」
「見たみた。ちゃんと髪セットしてて、まるで別人だった。オレもばっちり決めてもらうぜ」
「いや。トロイヤは顔が良すぎた」
教室に入るためにできた学生たちの行列。熱をもった盛り上がりを見せる学生たちで、所々列が膨らんでいる。
見たところ5年生らしき男子たちが、興奮した様子で語り合っているのが耳に入ってきた。
「あれはずるいよな」
「本当にな。アローラの婚約者と親相手に直談判なんて、あいつ男すぎるだろ」
「流石に見直したわ。今日の夜は、トロイヤの部屋に酒持って集合な」
「「「いいねぇ〜〜」」」
男子学生特有の悪戯な声が、ぴったり重なる。
「何かあったみたいですね」
シロンは口元に片手を当てて、こっそり小声でアランに囁いた。他の方向を観察していたアランは声をかけられ、彼女に体を傾けて頷く。
「せっかくだから、わたしたちも寄っていこうか」
「はい!」
彼と一緒ならどこでも嬉しい。シロンは盛り上がっている男子学生たちの後ろに並んだ時だった。
「いやぁ〜。“婚約破棄”なんて、トロイヤも思い切ったなぁ〜」
その内のひとりが何気なく口にした一言。
(え?)
今の自分には何も関係のなくなったはずのその単語に、シロンは自分の脚からサアッと血が引いていくのがわかった。
(いや。自分のことじゃないの……。もう関係ない。小説に囚われるのは、もう――)
頭ではそう思っていても、胸騒ぎは止まらない。お前は何かを見落としている。まるでそう告げられたような……そんな感覚。
「どうかした?」
無意識にアランと繋いでいた手に力がこもる。
「あ、いえ――」
大丈夫です。そう言って笑おうとしたのを、嘲笑うかのように、歯車は動き出す――。
「GUGAAaaaaAAAGAaaAA!!!!!」
パリンとガラスが割れる音と共に、腹の底を突き上げるような獣の咆哮が、学園を支配した。
「――――え?」
驚きに振り返った窓の外。
何故か見覚えのあるバケモノの背中が落ちていくのが、はっきりとその目に映る。
本当に、ここは小説とは何の関係もない世界だったのか?本当に、イベントは起こっていなかったのか?
本当に、自分が運命を変えていたのか?
シロンの開いた口からは、何も音は出てこなかった。




