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明らかに勝機が無くなった盤面と睨めっこをしていたエリスは、ぐぬぬと唸る。
「……も、もう一回……」
「君、結構負けず嫌いだね?」
ボードゲームで三戦中三敗目を認めたラゼに、ガイアスは苦笑する。
「相手になるのは構わないんだけど、そろそろ時間だよ」
「え!」
彼女はそうと言われて、はっと教室の時計を見た。
一戦だけして、他のクラスを回る予定だったのに、自分のわがままでつい長居をしてしまっている。負けたままゲームを終わらせなければならないことに少しの悔しさを抱えつつ、エリスはもうダメだと諦めの溜息を小さく吐く。
「完敗です。強いですね、ガイアスくん」
少し冷静になってみれば、このまま続けていても10回に1回くらいしか勝てない気がした。それくらい、彼は頭が切れる。
「昔から父親に付き合わされてたから。こういうゲームは得意かな」
前世でいうところのチェスのような駒を、ガイアスは指でつつく。彼女はその言葉に彼の強さを納得する。
「ちなみに、お父様との勝負はどんな感じなんですか?」
「そうだな。最近はやってないから、わからないけど。ゲームによっては俺が勝ち越すかな」
「えっ。すごい!」
あの総帥閣下下を負かす頭脳とは。エリスは尊敬の眼差しをガイアスに送る。
(誰かに負ける閣下とか、全く想像できないな! あ。でも、アルトリア様とはまた別か)
彼女は興味津々。
「まあ。ゲームはお遊びだし……」
エリスはその反応に、ちょっと驚きながらも駒を片付ける。
……
…
「こんなところで会うとは、奇遇ですね〜」
総帥と同じ瞳に睨みつけられたゼルヒデが撤退した先で出会ったのは、全く顔が笑っていない軍の男たち。
「お、お前ら!」
トヴェリに呼び止められたゼルヒデは、驚愕の表情に変わる。まさか、彼らが貴族だらけの学園にプライベートでやってくるとは考えてもいなかったのだ。
「で? どうやら、また仲良くしないとダメみたいっすかね?」
トヴェリの真っ黒な笑みに、ゼルヒデのプライドと本能が震え上がる。これ以上。もう、これ以上踏み込んでいけない。あれは軽々しく触れてはいけないものだったのだ。
合同訓練のことを思い出し、ガイアスの眼差しを思い出し。ゼルヒデはやっとの思いで口を開く。
「ざ、残念だが、ボクはもう次の予定があるからお暇させてもらうよ」
精一杯の強がりは、目の前の男たちに見透かされている。
「そうでしたか。それは本当に残念です」
ノルの一言を聞き終えるよりも前に、ゼルヒデは学園の出口を目指す。後ろ指を指されて笑われているような現状に、羞恥の心はもはや湧かず、残るのは小さな火種。
ふらふらと、学生たちの花の園の中を彼は進む。
「どうして、ボクばかり?」
胸の中にじりじりと広がっていく、苦い苦い思い。
周りの音は、次第に耳障りになってくる。
これまで、正しい道を進んできたはずだ。子爵の位を守るために仕事しかしない父親。目を盗んで他の男の元に通う母親。教育費という名目で金を巻き上げて、自分だけ家庭を持つとほとんど縁を切った兄。ヴァンドールを受験したが落ちて、部屋から数年出てこなくなった弟。
自分は、自分だけは、あの家の中で正しく生きてきたはずなのだ。軍でも貴族だからと舐めてくる、力だけの男たちは全てねじ伏せて来た。こんなところで、終わるわけにはいかない。自分は、人の上に立ち、誰からも認められる人間になるのだ。年下で、生きてきた時間も、この社会に耐えてきた時間も長いはずの自分が、どうして見下されなければならない?苦労してきた自分が、こんな惨めな思いをしなければいけない社会とは何か?
嬉々として声を上げる学生たちが、真横を通り過ぎていく。自分だって、この学園を受験したかった。
それをあの父親は許さなかったし、そんな金はなかった。
だから、他の領地にあるランクは落ちるが有名校に特待生として入学し、エリートとしての道を進むために軍を選んだ。
弟の面倒を見るのも、自分だった。
「うるさい……」
ぼそり、と。彼はおぼろげな瞳で呟く。今は、学園のすべてが頭に響く騒音でしかなかった。
「そこのお兄さん」
ゼルヒデを呼ぶのは、真っ黒ななグロスを塗った唇で、薄ら弧を描く男とも女とも取れないの声だった。
……
…
(……視線、なくなったな?)
他のクラスの審査に戻り廊下を歩くラゼは、それまで感じていた視線がなくなったことに気がつく。しかし、それまであった違和感が一気に消えていったこともまた、彼女にとっては気味が悪いことで。
(なんだろう。胸騒ぎがする……)
制服や私服に扮した騎士団員たちが、この学園を警備している。リストバンドで個々人の行動にも目を光らせているし、招待客が問題を起こせば招待した側にもペナルティが課されるので、そう簡単に下手なことはできないはず。
(……)
ただ。そこで、ゼルヒデと出会ってしまったことを思うと、どうにも嫌な予感が拭えない。
「そういえば」
そんなことを考えていると、隣を歩くガイアスが今思い出したかのように話し出す。
「今日は君の知り合い、来てるの?」
さっきの人以外で。という含みを察しながら、エリスは「どうですかねぇ」と口を開いた。
「一応、招待券は送ったんですけど。皆仕事が忙しいだろうし、せっかくの休日にわざわざ来てもらうのもなんだかなと」
そう答えたが、それでも副官のノルと、彼と仲が良いトヴェリは来てくれるのではないかと思う自分がいたり。
「そっか。なるほどね」
「?」
そこで何故か納得する彼の呟きに、エリスはキョトンと目を丸くした。
「どうかしました?」
「いや。気にしなくていいよ。たぶんこっちの話だから」
よく分からないが微妙に気になる返事をされて、彼女は眉を寄せる。
「そう言われると、すごく気になるんですけど?」
ガイアスはどうしようかな、と肩をすくませると、スッと視線を廊下の窓の外に飛ばす。そこには、先程から彼女の隣にいる“自分”を見定めるようにして尾行を続けている、男三人組の姿が。エリスが少し前から、あたりを気にしていることに気がついていたガイアス。
どうやらあれは彼女の知人らしいと、彼は推測する。エリスはまだわかっていないようだが、こうも注目が自分に向けられているとわかりやすい。しかし、何故あの大人たちからそんな視線を集めなければならないのかと理由を考えると、ガイアスは答えを躊躇する。別に、何も気にしなくても、「君に悪い虫がついていないか、心配してる人がいる」とでもいつも通り笑いを交えて言えば良いのだろうが、言葉が出てこない。
「すぐ分かるよ」
彼は言葉を濁す。




