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エリスは黙々と作業を進めた。
机に積み重なった資料を確認をしてチェックやらサインやらをすること数十回。
「よし。あらかた終わったかな」
途中でアリスの様子を覗きに行ったり、休憩を挟んだりしたが、校舎の開放時間の終了間際で彼女は任務を遂行した。
(やることはやったけど……)
しかし、エリスはやり終えた書類の山を見て浮かない顔だ。
「それ、全部終わらせたの?」
「……一応」
ガイアスに声をかけられて、彼女は曖昧に頷く。
「何か不備でもありましたか?」
「いえ。ただ、シロンならもっと色々細かく考えて指示を出すのかなと。私は事務的にチェックしただけなので……」
アルレンに答えて、エリスは自分が手をつける前シロンが終わらせていた資料を手に取った。そこには「こうすればもっと良くなる」というアドバイスなど、学園祭をより良くするための言葉が事細かに書かれた資料が添付されている。
(ひとつひとつ、こんなに丁寧にやってたら仕事が終わらない訳だ……)
決して口に出しては言わなかったが、シロンがこの学園祭にかける熱量を知ったエリス。手が抜けないところが放っておけなくて、彼女の長所かつ短所でもあるとは思うが、これと比べてしまうと自分の仕事がずさんに感じてしまう。
学園祭は由緒正しきヴァンドールで、初の試み。貴族の学生たちに屋台みたいな感じです、なんて言っても伝わり難いし、こうして細かくコメントをしてあげないと、方向性もあやふやなのだろう。理想とする形をわかっている前世の知識があるものたちが舵取りをしなければ、その道のプロを雇って学校にお店を開きましょう、という「学生が店のプロデュースをする会」に趣旨が変わってもおかしくなかった。
実際、そのようなお金持ち思考の企画案が提出されたことがあり、その度にシロンが説明へと走った。つまり何が言いたいかといえば、シロンの努力は偉大なのである。
思い描く完成形を知識で共有しているエリスにはそれがよくわかった。シロンはこちらの世界で「働く」ということはまだしていないはずなのに、ここまで初めてやる企画を形にしていくことができるのは、やはり前世の経験によるものだろう。この世界ではすでに成人を迎えたとはいえ、普通の学生がやるような作業の範疇を越えている。こういうところに、前世の行いは影響するのかとなんだか感慨深い気持ちになりながら、エリスは手に取った資料をそっと置いた。
(こうやって資料が並べられた机で作業すると、軍での生活を思い出すなぁ)
彼女は肩をくるりと回す。
「お疲れさまです!」
そこで作業をひと段落させたアリスたち装飾チームが運営室に戻ってきた。
「お疲れー。外装はどんな感じ?」
エリスはアリスに進捗を尋ねる。
「いい感じだよ。明日からはアブロ先生も来てくれるから、オブジェの配置のチェックを進めようと思ってるんだ」
アリスは自信に満ち溢れた表情で報告した。しかし、エリスはその言葉を聞いて内心穏やかではない。
(シーナ・ウィク・アブロ……)
その原因は、この学園の美術教師の名前が彼女の口から出たことにあった。
(護衛しながら敵の様子も探らなきゃいけないなんてさ。人手が足りないよ、本当に)
十五年前からずっとこの学園で息を潜めていた帝国の使者。それだけの時間をかけて、金の卵たちを潰そうとする帝国の執念にエリスは頭が痛い。
(向こうはまだ、自分が密偵だってバレてることに気がついてない。彼女の連絡手段は私が押さえて、協力者たちについては〈影の目〉が捕縛するのに成功したから、こっちはあと上からのゴーサインを待つだけなんだよな)
彼女は学園生活の裏で起こっていた出来事を振り返った。
エリスはシロンの毒入りパウンドケーキ以降、図書館の利用状況を気にしていた。何せ、この学園の図書館は許可があれば外部からも学校関係者ではない人間が出入りできる。何かやり取りをするならば、打って付けの場所だった。もともと『芸術は爆発だ』なんて、前世では有名だが、 ゲームの世界にはなかった瞬間的芸術論を語ったアブロには違和感を覚えていた。それが調べていくうちに、定期的に図書館に出入りをして、バトルフェスタやらなんやらでは殺気を放っていらっしゃったので、最終的にはターゲットに絞られた経緯があった。
(まあ、私は報告してるだけで、大したことはしてないんだけど)
密偵の仕事など、そんなものだ。
相手は十五年も影薄く過ごしていたのだから、たった数年でそれを暴いてしまったことには同情すら覚える。
(まさか本当にスパイがいるとは思わなかったな)
軍人の自分が生徒に紛れることになって、ずっと平穏な日々を送っていた。毎日美味しい食事ができる。お風呂にもバッチリ入れる。可愛い女の子の友達とお喋りできる。
正直、護衛活動という名目のサバティカルだと思っているところがあったのは、否めない。平和ボケして、だらけそうになることは何度もあった。だから、実を言うと、こうして軍人として自分のやるべき仕事があることは、エリスにとって嫌なことではない。
(生徒たちの気持ちに配慮しなきゃいけないし、アブロ先生の排除はひっそりやる方針だけど。それまで面倒を起こさないで欲しいなー)
エリスはそんなことを頭で考えながら、アリスがニコニコしてアルレンやウレックと話しているのを見つめた。
普通に考えて、学園にいるスパイを泳がせてると知られたら、保護者に訴えられる案件。裏で工作する悪役の気分を味わっていた。
「さて。もう時間ですし解散しましょうか」
寮に戻ったらまず先に夕食にしようと心に決めて、エリスは席を立つ。
「シロンを迎えに行かないと」
彼女はそう言ってアランの表情を窺った。
「わたしも行く」
視線を受け取った彼は勿論だと言わんばかりの返事。
ですよねーと思いながら、彼女は皆と一緒に部屋を出る。
そして扉を開けて、エリスは目の前に現れた人物に目を見張った。
「フローリアくん」
「理事長先生!」
そこには理事長ファルスがいた。
「今、いいかな?」
この後、隙を見てファルスの部屋を訪ねるつもりだったのだが、直接彼が会いに来たことに彼女は焦った。
ちらりとアリスを見ると、
「シロン様のことはまかせて!」
そう言って頷いてくれる。
「ありがとう」
エリスはアリスとアランを一瞥し、廊下に出てファルスの前に立つ。
「すみません、私から伺うつもりだったのですが」
「いや、こちらこそ急に尋ねてすまないね。食事はもう摂ったかい?」
「いえ。まだです」
ファルスが歩き出したのに合わせて、エリスもその隣を行く。
「そうか。なら、理事長室で食べながら話そう」
ふたりの姿はそこでふわりと煙のように消えた。
◆◆◆
「エリスちゃん、何の話をするんだろう?」
エリスとファルスがいなくなった廊下を振り返り、アリスが呟く。それは純粋な疑問を口にしただけの言葉だ。
「わたしが会議を終えた後に、フローリアに伝言を頼まれていたから、その件だと思う」
アランはアリスに答える。
「そうなんですか。……エリスちゃんも、たくさん作業して疲れてないかな」
彼女は息抜きにマータと遊ぶのだが、エリスと遊べないからか少し悲しそうにしているのに気がついてる。それでも表に出さないのはエリスがしていることを気がついているからだろう。
「後で言わないと……」
物思いにふけるアリスから漂うほんのり桃色のオーラに、ケルヘラムが敏感に反応する。
「フローリアなら別に心配しなくてもいいでしょ」
恋敵に味方されてしまう彼にとって、やっぱりケルヘラムは苦手な存在だ。
「確かに、とても疲れがたまっているようには見えませんでした」
アルレンは集中して次から次へと書類を片付けていた彼女を振り返って苦笑した。
「そういえば」
その隣を歩いていたウレックは、頭の後ろに組んだ両手を置きながら、何となく思い出したことを声に出す。
「女は強いから、男はちゃんと彼女が弱味を見せれる相手にならないとダメだって。お爺さまがよく言ってたな」
彼のさりげない一言は、思いの外廊下によく響いた。




