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「うわっ」
「えっ?!」
「あれ。あの子さっき、大ホールにいたような?」
「俺は職員室で見たぞ」
「わたしは5年d組で見た」
「「「……?」」」
転移魔法で飛び回るエリスを見かけた生徒たちは困惑する。
魔石を起動するのには、脳を使う。慣れない作業と同時にスキルも使ってしまうと、脳への負担が増えて体調は崩れやすい傾向がある。が、しかし。少数精鋭の運営委員の中には、厳しい訓練を超えて〈影の目〉と呼ばれる特殊部隊に選抜された軍人がひとり混じっている。いわずもがな、エリスがその人で。彼女は学生たちとは比べ物にならない持久力を所持していた。
「エリス先生。音響照明について確認終わりました。あすにでも新しいものを用意します」
「……フローリアお前って双子だったりしないよな?」
「何おかしなことを仰っているんですか?」
真面目に仕事をしているエリスは、冗談を言うグレイスに怪訝な表情で返す。
「いや、だってな……。お前、ついさっきまで全然違う作業してたよな?」
「それはもう終わったというだけですよ」
彼女はグレイスに備品についての申請書を渡した。
「転移魔法をそんなにぽんぽん使って、何で事故らないんだよ…… 」
彼は資料を受け取りながら、不思議に思っていたことを問う。
「普通、転移先がわからないで飛べば、人にぶつかったりモノに着地したりするだろ?」
エリスはグレイスの話にきょとんとする。
「ぶつかる前に、違うところに飛べばいいだけですよね?」
それを聞いたグレイスは絶句した。
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「そうですが」
つまり、移動した場所に着いた瞬間、彼女はその刹那で状況の把握をして安全な場所に転移をしているということになる。瞬きをするような時間だけで、そんな芸当ができるとは、到底信じ難いことだ。しかし実際、エリスのことについて注意をしてくる生徒はいないし、事故も全く起こっていない。
「……そうか。さすがだな、特待生。安全には気をつけて頑張ってくれ」
グレイス考えるのを放棄すると、何か吹っ切れた様子でそう言った。
「もちろんです!」
エリスは激しく彼に同意する。
(お偉いさんの子供を怪我させるなんてっ。考えただけでも震えるわっ!)
護衛対象を自ら傷つけるなど、彼女からすれば論外もいいところなのである。
「戻りました」
「ん。おかえり」
運営室に戻ると書類にペンを走らせたまま、ガイアスが適当に返事を返した。集中しているのだろう。全くエリスには見向きもせずに作業を続ける。
(おかえりって久しぶりに言われたな……)
彼女は言われる機会が少ない挨拶に、ちょっと驚いた。同室のアリスやマータには言ってもらえることもあったが、まさかガイアスに言われるとは。彼からすれば、何とも思わない挨拶だとしても、帰る家に誰もいないエリスにとってその言葉は少しだけ特別だった。
「どうしたの。ぼーっと突っ立って」
ガイアスは、立ち尽くしていた彼女に気がつく。
「いえ。何でもないです」
エリスは首を横に振る。ちらりと横を向くと、アルレンはぐっすり寝ていた。
(まだ三十分くらいしか経ってないもんな)
エリスは時計を見て時間を確認してから、そっと椅子を引いてシロンの机に座る。
「外で作業しなきゃいけないことは、大体終わらせて来ました。後はこの資料を終わらせてしまいますね」
「あれだけ量のある作業をどうやったら、三十分足らずで終わらせられるわけ?」
ガイアスは自分が終わらせた資料に目を落としてから、ため息混じりに尋ねた。
「移動時間を省けば、これくらいで終わりますよ」
「確かに君なら可能か…」
少しエリスの事情を知っているガイアスは納得する。
まだまだ2人の作業は続く。




