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『ア、ア。聞こえる?』
待機室には、不正を防ぐためにエリス以外は誰もいない。そうと分かっているからか、魔石の通信機能にアクセスがあった。高めの音にどこか硬さを感じるこの声の主は、
大会の警護を統括しているジュリアス・ハーレイ大将だ。
念のため周囲に気配がないかを確認した後、エリスは口を開く。
「聞こえてるよ。これ、個人通信?」
『そう。あなたが泳がせてるって人が、勝敗を見て動いたから報告』
「どんな様子だった?」
『びっくりしてたわよ。殺気だだ漏れ。あたしの探知がそこだけめちゃくちゃ反応したわ。前もって話を聞いてなかったら、速攻で捕まえに行かせるレベル』
ジュリアスの探知は、人の肉体的な動きを見るだけではない。人のまとうオーラというものに反応し、糸のように巡らせた探知網がアバウトに感情を伝えてくるそうだ。何とも便利な能力で、こういった護衛の任務には引っ張り凧である。
「そっか。……わかった。ありがとう」
シロンを貶めようとしている疑惑があった容疑者がほぼ確定することになり、エリスはその人物を思い浮かべて複雑な顔だ。
(人は見かけによらない、か……)
これもまた、自分が言えたことではない。
国を守るためとはいえ、防衛戦ではたくさん帝国兵を討った。シアンは防御こそ最大の攻撃とでも言わんばかりに、侵入者を許さないものだから。ここにいる学生に、敵国から「首切りの亡霊」と呼ばれる自分を知るものはいない。
『これから先、荒れるかもしれないわね。先方も思い通りに行かないことに、そろそろイラついてくる頃でしょう』
「それは私が卒業してからにしてほしいね。まあ、向こうは短気だからな。もしそうなったら、すぐにでも私が首をとりに行くよ。学生たちの楽しい学園生活に支障を出すのだけは避けたいから」
『やだ、こわ〜い。そしてあなたが言うと全く冗談に聞こえないからやめてよね』
この国一番の軍人が、敵国主将の首を取りに行くなんて言うのだから、ジュリアスの言うことは尤もだ。エリスも冗談半分本気半分なので、やってしまってもおかしくない。
「とりあえず、これで交渉は決裂だから。あとは向こうの出方を見るしかないよ。……その前に、私は次の試合をどうするかなんだけど」
先が思いやられて、盛大にため息を吐く。
『ああ、それなら伝言を預かってるわよ』
これを伝えるために通信したの。
『宰相殿から「遠慮なくやってくれ」ですって。夫人からも「うちの息子をよろしく」と』
それを聞いた彼女は瞳を閉じた。
(まさか、ガイアスくんが勝ち上がってくるとはなー。)
『じゃ、そろそろ時間だと思うから切るわねー。あとは頑張りなさい』
待機室にかかった時計を見れば、そろそろ時間だ。
エリスは少し軽くなった腰を浮かせる。
「私とそんなに戦いたかったんですか?」
「……君、変なものでも食べた?」
いつもと様子が違うエリスの顔をみて困惑した。
「食べてませんよ。それに、ガイアスくんが、戦いたそうにしてたのでアルレンくんには、勝たせてもらいました」
いつもと雰囲気が違うと言われたのでしっかりと否定し
背筋を凍らせるかのような笑みを浮かばせる。
「私を楽しませてくださいよ?」
「ッ!」
エリスは試合用の短剣をくるりと回して右手に掴んでみせる。審判から確実にクリティカルと判定してもらうために、この試合では武器を持った。彼女は、本気の1割を出すことにした。
……
…
「おッ。団長、勝つ気だ!」
エリスの挑発を見て、喜びの声を上げたのは部下のトヴェリだった。
「目的達成したから、負ける気なのかと思ったけどやったな!」
彼は嬉しそうに隣にいるノルに話しかける。
「……あの笑い方、キレてる時に似てるけどな……」
ノルは苦笑いで答えた。
「理由は何だっていいんだよ。やっちまえ、団長!オレたちが将来尻に敷かれるかもしれない奴らなんて、ぶっ潰してやれ!」
「お前なぁ。防音してるからって、それはないだろ」
遠慮なく「やっちまえ」「ぶっ潰せ」なんて言う相棒に、トヴェリは呆れた表情だ。
彼女はその相手を護衛するために、この学園に潜入中であるというのに、何ともおかしな光景である。
「ああ……」
そこでノルはやっと気がついた。
「代表が相手を傷つけないで降参させるのって、学生は護衛対象だと思っているからか」
「お前、今頃気付いたのかよ? どう考えてもそうだろ。オレたちを訓練する時の代表を思い出してもみろよ」
トヴェリはギョッとしてノルを指摘し、訓練時を思い出して顔を青くする。
「遠慮なんてあったもんじゃねぇ……」
トヴェリがうんとひとつ頷いてそう呟くのに、ノルは苦笑した。彼女の訓練は下手をすると、実戦よりも痛い目に遭わされる。大怪我をしても治癒師に治してもらえるし、回復効率も上がるから大丈夫だ!と笑顔で言われる。今のうちに酷い目に遭っておけば、実戦も問題なくこなせるなんて言われた時には、暴論だと思った。実際には、エリスの言うことは全て間違っていないため、「モルタの百鬼夜行」なんて呼ばれる部隊が仕上がっている訳なのだが。
「あの人、怪我どころじゃなくて、大怪我を負わせることが手加減だと思ってそうだろ? だから今回の大会を見て、
オレは安心した」
トヴェリの話に、ノルは思わず吹き出す。
「確かになっ! でも、そうなるとやっぱり団長は、俺たちにわざと厳しくしてるってことになるな」
「そーだな。まあ、こっちは練習の試合とはお話が違うからな。厳しくても仕方ない」
「もう始まるぞ」とトヴェリそこで会話を止めた。
一組だけになった試合会場。
観客全員から注目を浴びるエリス・フローリアとガイアス・ラ・フェライト。
最早、エリスの勝利をまぐれだというものも居なくなり、どちらが勝つのかは予想がつかない状況だったが、数人はエリス・フローリアの勝利を確信していた。
「うちの息子、あとどれくらいしたらシュヴァルツちゃんに勝てるようになるかしら?」
「……アルトリア。まだ試合は始まっていないよ……」
貴賓席で息子の試合を観戦中の宰相殿とその夫人もそのうちのひとりで。ザハードは妻の言葉を聞き、息子のためにそっとフォローを入れる。
しかし、
「え。あなた、ガイアス、勝てると思っているの?」
と、正気を疑うような顔をして問い返されて撃沈した。
「もうこうなったら、シフトチェンジかしらね。シュヴァルツちゃんを囲えるだけの知能と権力をつけていくしかないわ。そういうことはあなたの担当よ。うちに帰ったら一緒に作戦会議ね」
「いや、わたしは……」
「なに?」
「……何でもないよ。すぐに仕事を片付けてくるから、一緒に話し合おう……」
仕事が溜まっているので、もう成人になった息子の指導方針など会議したくなかったのだが、「なに?」の威圧にザハードは負ける。ここでガイアスが勝ってくれればな、と思うのだが、今大会初めて武器を握って登場したエリスに望みは薄れた。
そうして、カーンと最後のゴングが鳴る。




