第1夜:いざ魔いる
人間など恐れるに足らない存在だ。命は短く、体は脆く弱い。わざわざ魔王が出向く必要もない。人間を支配することは、我ら魔族にとって容易いことだ。
魔王謁見の間には黄金の玉座に座る魔王と、玉座から3段下がったところで、魔王に向かって頭を垂れ跪いている少年がいた。
「面を上げよ、我が息子……ベルフォードよ」
魔王が告げると、ベルフォードと呼ばれた少年は、はいと返事をし顔を上げる。サラサラの金髪に金の瞳、白を基調とした軍服のような装いで、見た目は神々しく、神か天使のようだ。
「人間界に行きたいのだったな? ベルフォード」
「はい、父上」
「なぜ?」
顎をさすりながら、首を傾げる魔王。
「人間について興味を示す年頃だということは理解できる……が、ならば図書館にでも行けば良かろう。魔界、天界、人間界、地獄界、それぞれの世界について、ありとあらゆる書物が置かれている。わざわざ下界に降りることもあるまい」
「俺は人間を支配したいんです」
「なんと!」
「兄上は漫画とやらに、姉上は乙女ゲームとやらに心を奪われてます! このままでは、魔界は人間界のもので溢れてしまう! つまり、人間に支配されてるようなもの!」
うーむ、と唸る魔王は、また顎をさすっていた。
「魔界は人間界に関心を持っても、人間界に介入せず、人間界は魔界、天界、地獄界を想像の材料にしても、これらに介入せず……お互い暗黙の了解にしていることだ。世界は微妙なバランスで成り立っているのだよ。だから支配しようなど思わぬように、良いな」
何かしでかしてしまいそうなベルフォードに魔王は念を押す。ベルフォードは立ち上がると、未だ顎をさすっている魔王に言った。
「けど、このまま黙って見てる訳にはいきません! フン、人間界のもので魔界が染まってしまう前に、人間界を魔界色に染めてしまうのです! まぁバランスが大事だとおっしゃる父上の事も分かります。んじゃ人間界をこの目で見て、聞いて、感じて……支配すべきか、放っておくか決めます。それなら問題ないでしょう」
「いやいや、ベルフォード……手を出すなと言ったのだがな。うむ分かった。ここで言い合っていても仕方ないようだ。気が済むまで人間界を見てくればいい」
ベルフォードの顔がパッと明るくなる。ようやく許しが出た。
「ありがとうございます、父上」
「ベルフォード……家庭教師も、世話係も、誰もついて行かぬからな。1人でどうにかしてみせよ。とは言っても可愛い息子だ。行きの下界ゲートくらいは用意しよう」
顎をさすりながら、魔王が玉座から立ち上がる。そのまま、魔王はベルフォードの側に歩いて来た。ベルフォードは、魔王の顎の辺りを指差しながら、何かあるのかと尋ねる。息子にまじまじと顔を見られ、魔王は恥ずかしそうに笑った。
「ん? 剃り残しが気になって仕方ない」
「普通のおっさんかよ。父上って魔王なのに威厳ないですよね」
「ハハハ、よく言われる」
魔王は顎から手を離すと、体の正面に左手を突き出し、その横に右手で円を描く。
「人間界ゲート……開け、ゴマ油」
ぼやんと淡い紫色のカーテンが魔王の前に現れた。魔王は、ベルフォードに向き直ると、帰るときは行きと同じ動作をするが、開く言葉はゴマ塩だと伝える。
「では父上、行ってきます」
ベルフォードは、意気揚々と未知なる世界へと繋がるカーテンをくぐった。