夢追い人のピリオド
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「お前昨日パチンコ行ったんだろ。どうだった?」
「あー。昨日は良かったっスよ、三時間くらい回してたンスけど、だいぶ……」
「マジ!? どこで?」
「えっと、××ントコのデカいパチ屋で、台は……」
工場の外にある喫煙所で、二人組がパチンコの話題で盛り上がるのを聞きながら、俺はスマホをしまい、ボケっと月夜を眺めた。
今日はいい満月だな……。
蝉の声が止み、代わりにコオロギの声が聞こえ出した頃。
夏が終わり、夜風に冷気が混じり出したのを感じながら、そんなことを思う。
工場の夜勤は、疲れと退屈な単純作業が誘う眠気に耐えながら、朝ぼらけを待つ過酷なものだ。
だが満月の日は、その辛さが少しだけ和らぐような気がした。……勿論、これは単なる気の所為だが、このまま自分を騙すことが出来続ければ、それはちょっとした幸福だろう。
「よっ、お疲れー」
トイレにでも寄っていたのだろう、一人の男がまた喫煙所にやってきた。
「お疲れ」
俺が返すと、そのまま何も返さずに横に立ち、男は煙草に火を点けた。
俺とそう変わらない年頃の、二十代前半の男だが、不思議とその立ち姿は様になり、まるで工場の風景のようにこの場所と溶け合っていた。
流石は高校中退以降、ずっとここにいるだけはある。入って一年の俺とは年季が違った。
「あー、ようやくニコチン補給できた。もう一時間前くらいから、吸いたくて吸いたくてタマランかった」
そんなことを言いながら、旨そうに男は煙草を吸って、白く長い息を吐いた。
「お前は何を考えてたんだ?」
「朝飯なに食うか、だな」
月を眺めていた、なんてキザなことは言わず、咄嗟に俺はそう答えた。
「何食うんだ?」
「……多分、駅前の唐揚げ弁当」
「あれ美味いか? 学生向けっつーか……。ちょっと油っ濃いんだよな。安いけど」
「お前と違って、俺は金が無いんだよ」
「あー……。なるほどな」
男が頷く。そう、年が近くとも前職がフリーターで、新米の俺に貯金などない。
「情けだ。分けてやる」
「そりゃどうも」
男が差し出した煙草を貰い、俺は吸い終わった煙草を捨てて火を付けた。
いつも吸っているメンソール入りの爽やかな煙草とは違う、タールの強い煙草の味が肺と喉に染み付く。思わず咳をしそうになったが、ライト層とはいえスモーカーのプライドとして、俺は何とか我慢して吸った。
「ガツンとくるだろ? これで眠気とはおさらばさ」
男が笑い、旨そうに自身の咥える煙草を吸う。
「……こんなのばっか吸ってると、体に悪いぞ」
「そいつはいいな。もーさっさと死にてぇー」
ガチなのかネタなのか分からない声音でそう言って、男は煙草を灰皿へ落とした。
そして、特に声をかけることもなく無言で去って行った。
「仲いいのか?」
離れた所で煙草を吸っていた、谷口さんが唐突に話しかけて来た。
谷口さんは同じ部署の初老の先輩で、事務的なこと以外話したことはないが、流石に苗字くらいは知っていた。
「まぁ……そんなところです」
答えようがなく、俺はそう返した。
彼とは喫煙所で会った時のみ会話するくらいの仲だ。部署も違うから名前も知らない。
きっとこれからもそうだろう。
「そろそろ、戻りますか」
俺も煙草の火を消し、彼とは違う方向に歩き出した。
ガシャン。ガシャン。
音を立てて動く機械をぼうっと見つめる。主にそれが、今日の俺の仕事だ。
窓は小さい上に少なく、代わりにチャチな電灯の灯が、薄暗く大きな部屋を照らしている。
電子音を鳴らして作業完了を伝える機械に新たな命令を下し、俺はまたぼんやりと動く機械を眺めた。
退屈だ。……だが、まぁいつもこんなものだ。
工場作業員として新米の自分に、まだ複雑なことはできない。簡単な仕事を、ただ黙々とこなすだけだ。
会社や部署によるだろうが、俺のところは何でも一人でやるのが基本なので、会話らしい会話はない。無言で会社に出社し、仕事の命令を受け、喫煙所であの男と少しだけ話し、お疲れ、とだけ言って帰路に着く。一人暮らしだし友人も多くはないので、後は暇潰しにスマホをいじり、寝るだけだ。
無味無臭、乾いた人生なのかもしれないが、まぁ、それなりに気に入っている。
――だが、ふと思う時もある。
その瞬間、夢を追っていた日々が、胸中で鮮やかに蘇り始める。
薄暗い心の中に、消えたはずの情熱の炎が燻り出す。
例え描きたいものを描ききったとしても。
……才能の無さを、これでもかと見せつけられたとしても。
あの日々は、俺が死ぬまで心の内に焼き付いて離れないだろう。
人生は辛い。夢破れ、この道に逸れていった時から、いやもっとそのずっと前から、それは分かっていて。
経歴も何もかもドブに捨てて、それでもなお届かなかった未来。一時は絶望こそしたが、不思議と後悔はなかった。
自分なりに死力を尽くした日々に敬礼しつつも背を向け、夢半ばに散った後の新しい日々を愛する。
……こんな風に悩むのは、満月の日だけだ。
夜、煙草を吸いながら真円の月を見ていると、大いなる何かに覗き込まれているような気になる。
『……お前は、それでいいのか?』
そう、聞かれているような気分になる。
今まで考えたこともなかった構図が浮かんでくる。詩が浮かび、また、絵筆を取りたくなる。
「これだから、夢を追うってのは嫌だ……」
思わずそうごちる。
捨てきれない思いの残滓が、燃え尽きたはずの選択肢が、時々脳裏をチラつく。
手が届かないものを望むのは悲しいことだ。
俺は一度作業を止めて、上を向いた。
灰色のトタン屋根の天井が、月光を遮っている。
(……そうだ、ここまで届かなくていい。それは、今の俺には不要なものだ)
フッと息を吐き、俺は仕事を再開した。
「お疲れさまです」
同じ部署の仲間にそう言い捨て、俺はロッカーが並ぶ部屋を出た。
帰る前に一服しようと喫煙所によると、休憩時間に必ず会うあの男がいた。
「お疲れ」
俺がそう言うと、男は軽く手を上げた。
「いつもここで吸って帰るのか?」
「まぁな。どうせ、帰っても寝るだけだし」
「俺もだ」
隣に立ち、俺も煙草に火を付けた。
汗臭い作業着が入ったリュックサックをアスファルトに下ろし、深く吸い込む。
メンソールの爽やかな味が実にいい。
「なんだかんだ、お前は楽しそうだな」
ぽつりと、男が呟く。
「そんなことはないと思うが……まぁ、そうなのかもな」
この男に俺の過去を話したことはない。もしかしたら、ちょっと話したくらいだとそう見えるのかもしれない。あるいは、面接を担当した奴から何か聞いていて、夢を持っていたということをかなり前向きに捉えているのかもしれない。
夢破れ、願いは灰となったというのに。
そう言う人は、たまにいる。
「日が、昇るなぁ……」
素朴な何の変哲もない山に、陽線が現れる。
男は立ち上がり、吸いかけの煙草を捨てた。
「さっさと帰ろう。俺に日の光は耐えがたい」
「吸血鬼かよ」
思わずそう返すと、男は自嘲的な笑みを浮かべた。
「……お前の方が、幸せだと思うけどなぁ」
俺がその背中に呟くと、男は振り返った。
「そりゃそうだ。俺は高校を中退した、ワルのサラブレッドだからな」
何本か足りない前歯で小さく笑い、今度こそ、男は去って行った。それが精一杯の強がりであるように感じられたのは、決して気のせいだけではないだろう。
俺は煙草をしまい、男の後を追って工場の出口へ向かった。
これから向かうから弁当屋のことを考えつつ、
「俺らにも、また陽が差す日が来るのかな……」
何も考えずに、そう呟いた。