雨の日に、ただただ映画を見る二人
どしゃぶりの雨が、古びたアパートの壁を叩く。
私は少しだけカーテンをずらし、雨粒がぶつかり続ける窓ガラスを見て、そっとカーテンを元に戻した。
これでは洗濯物は全滅だろう。今更取り込む気にもなれず、私はまだ温もりの残る布団の中に戻りふて寝をすることにした。
「おぅい」
若い男の声とドアをノックする音が聞こえてきたのは、まさにそんな時だった。
私の家に、インターホンのような文明の利器はない。ノックする音と共に聞こえる声で誰が来たのか分かり、私は起きるのが億劫なので無視を決め込んだ。
ガチャリ。
鍵を開ける音が聞こえ、我が家の平穏を撃ち破る足音が聞こえて来た。
「やっぱいるじゃん。開けろよな」
ツナギを着た若い男……一応は私の彼氏のナギが、そこに立っていた。
「ハウス」
思わず、私は顔をしかめてそう言った。
面倒くさ、と呟いてナギは背負っていたリュックを置き、玄関に向かう。その背中から、濃密な汗と彼特有の臭いが漂ってきた。ナギは工場に勤めていて、職場にはエアコンがない。だから、頻繁に汗と機械油か何か、私の知らない臭いを撒き散らして私の家にやって来る。
また鉄粉がツナギ全体に付着しているので、彼が歩いた後は妙にザラザラする時がある。
ナギがやって来ると、私のテリトリーであるこの家の秩序が彼に蹂躙されるような気分になる。なので、私はわざわざナギのための服を買って玄関脇の段ボールに入れている。ナギには、来るたびにツナギを外で叩き、服を着替えるように頼んでいるが、それが守られることはない。
私が一言言わないと、ナギはそれすらやろうとしない。私にとってはそれだけのことでも、彼にとっては難しいことらしい。
「着替えて来たぜ。……ホント、お前このセンス何とかならないのか?」
かなり嫌そうな顔で、ナギは私のチョイスした上着を摘んでいた。
私が買ったのは、無地の短パンとキャラモノのシャツだ。ハローキャンディという有名なかわいいキャラクターが描かれていて、まぁ、それなりの値段がした。
「かわいいし、似合ってるよ?」
私がそう言うと、ナギはちょっぴり顔をしかめた。それからシャツを着て、私が寝そべる布団の横に座り込んだ。
「めくらないで」
いきなり布団に潜り込もうしてくるナギの手を冗談と分かった上で軽く叩き、私はしぶしぶ布団から這い出た。
私が欠伸をしつつ冷蔵庫の扉を開けて麦茶を取り出していると、呆れ半分、嫉妬半分といった顔で彼はため息を吐いた。
「のんびりと昼寝した挙句に欠伸か。ニートは楽でいいな」
「ニートじゃない。学生だし」
最も、例のウイルスのせいで全くと言っていいほど学校に行っていないから、学生という自覚はあまり無いのだけど。
「帰りにピザとコーラ買って来たからよ、これ食いながら映画でも見ようぜ」
「さすナギ」
私はニヤっと笑いながらレジ袋を突き出すナギに抱きつき、よしよし、とその頭を撫でた。
「もっと褒めろ」
もっと勢いよく、私はナギの頭を撫でてやった。
それで満足したらしく、ナギは私のタブレットPCの電源を入れ、amasanプライムという定額制のビデオが見れるサイトを開いた。
「何見る?」
私が持ってきたコップでコーラをグビグビ飲みながら、ナギはホラー、と答えた。
「なんで?」
「薄暗い雨の日にホラーって、雰囲気ベストマッチじゃね?」
なるほど、と納得がいくが、だからこそ私は見たくない。
「恋愛モノにしようよ」
「やだよ。お前の選ぶやつクセェもん」
私とは違い、ナギはストレートな恋愛モノが苦手だ。恋愛を主題にした映画は、そもそも私が誘わなければ見ない。ナギが好むのはpixivやTwinerで見れるような、短くほんわかした雰囲気の恋愛モノだ。ロミオとジュリエットのようなハラハラするストーリーは苦手としている。
「じゃ、アクションで」
「恋愛要素のあるホラーならいいだろ?」
……どうやらナギは、意地でも私にホラーを見せたいらしい。そんなに、私が怖がる顔が見たいか。
「ほら、これなんかいいだろ?」
そう言ったナギが見せてきた画面には、薄暗い暗闇の中に一組の男女が手を取り合って立っている場面と、「雨音と化け物」とタイトルが書いてあった。
恐怖に歪んだ女の顔が印象的だった。
「いや」
「まあまあ、別にいいだろ?」
コイツ、マジで勝手だ。
こうなったナギが私の話を聞いたことはない。私は諦めてため息を吐き、貸し一つね、と答えた。
「……分かったよ」
渋々、といった顔でナギは了解し、卓袱台の上のスタンドにタブレットPCを置き、ピザの箱を地べたに置いて箱を開けた。その間に、私はコップを二つ取ってきてコーラを注いだ。
二人で布団の上に座り、開始ボタンをタッチする。
映画が始まった。
薄暗い闇の中を懐中電灯で照らしながら進む女が、一人で進むシーンが描かれる。不安そうな彼女が、瞼を瞑り過去を回想するシーンから物語が始まった。
土砂降りの雨の中、びしょ濡れになりながら雨宿りのために洋館に入る二人。洋館には誰もおらず、二人は洋館の主人を探そうと歩み始める。
どこまでも続く廊下、終わらない雨音。雷が鳴るたびに一瞬意識が飛び、何かが歪んでいく奇妙な感覚。
……そうそう。これだからホラーは嫌なのだ。
ありきたりな展開。ハイハイ、定番のこれね……そう思うシーンでさえ、妙に心がざわつく。
この後の展開なんて、ある程度分かっている。だというのに。
「ねぇ、そっちにいっていい?」
画面の中の彼女が、怯えた顔で恋人に身を寄せる。瞬間、雷鳴が鳴り響き、雷光が周囲を明るく照らした。
雷鳴に少し遅れて、かん高い悲鳴が響き渡る。
……恋人は、既にゾンビになっていた。
「グオォ」「ぐおー」
下手な声真似をしながら、画面の中の男が彼女に飛びかかるのとほぼ同じタイミングで、ナギが私に背後から抱きつく。
ありきたりだ、安直だ。だというのに……。
「ひぇっ」
……私は、情けない悲鳴を上げた。
ナギがゲラゲラと笑い出し、散々腹を抱えて大笑いした後、コーラを自身のコップに注いで飲み始めた。
私はその間、羞恥心で顔を赤くしながら、悔しさでプルプルと震えていた。
「だからホラーはイヤだったのに……」
「そう言うなよ。俺、次の映画は何も口出ししないからさ。それで手を打ってくれよ」
既に夜も深まってきている。この次の映画が、今日最後の映画だろう。
思いっきり甘ったるい恋愛モノにしてやろう。そう、私は心に決めた。
「しぐれ」
私がタブレットPCの画面をスライドさせていると、ナギが私の名を呼びながら、最後のピザの切れ端を突き出してくる。
……偶然なのだが、何だか不思議と初めて名前を呼ばれた気がした。
何処か親しみの籠った声音でナギに名前を呼ばれるたびに、私は静かに自覚する。ああ、なんだかんだ言っても、ナギと一緒にいる時間は悪くないな……と。
私はお腹いっぱいだったので断ると、不満そうな顔をして、折角譲ってやったのに、と言った。
「これ以上は太るから」
「もし太ったら、二人でサイクリングでも始めたらいいじゃないか」
「嫌。運動は苦手なの」
答えながら私がタブレットPCをスタンドに戻すと、ナギがうげ、と呟いた。
タイトルの時点で既に甘ったるい映画に、思わずげんなりしたのだろう。
意図せずだが、さっきのホラー映画と少しシチュエーションが似ている。
雨の中、一組の男女が雨宿りしているところから話は始まった。
意を決した顔で、女の子が一歩、男の子に向かって距離を詰めた。
先ほどの意趣返しとばかりに、私は、
「ねぇ、そっちに行っていい?」
と尋ねながら、上目遣いで距離を詰めた。
「ぐおー」
したり顔のナギに飛びつかれ、私たちはごろごろと布団の上を転がった。
違う、そうじゃない。
……でも、これはこれで悪くないかな。