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〔7〕

 昨夜の少女のことで、今朝の気分は最悪だった。どうも、子供が相手だと気持ちを持って行かれそうになる。つまり、何とかしてやりたい気分になるんだ。

 かといって彷徨う魂の代わりに起因を探し出し、望みを叶えさせることなど一介の中学生には無理な相談だ。

 相手の思念が強ければ、自分の身も危うくなる。触らぬ『幽霊』に、祟りなしだ。

 気持ちを切り替えていつものバスに乗り、『ヒマワリさん』……俺が決めた児童公園の幽霊の名前……を眺め、踏切を確認した。

 なぜだろう、『踏切の片腕』がまだそこにいる事に俺は安心している。昨日の彼女に取り憑いていないか、心配していたのだろうか? 

 まさか、そんなはず無い。俺が誰かを気にするなんて事、無いはずだ。

 何度となく自分に言い聞かせても、気がつけば講堂に踏切の彼女を捜している。自分らしくない行動に、俺はだんだん苛ついてきた。

 結局、今日は彼女の姿を見つけることが出来なかった。

 終業後、軽い失意と脱力感をもって帰りのバスに乗った俺は、ぼんやり窓の外を眺めていた。帰りは反対車線になるから、『ヒマワリさん』のいる児童公園は見ない。

 だけど今日は、ふっと勘が働いて通り過ぎる児童公園に目を向ける。

「あっ!」

 彼女がいた。

 しかも、五歳くらいの男の子と手を繋いで『ヒマワリさん』の前に立っている。

「やばっ……」

 慌てて降車ボタンを押し、次のバス停で下りた俺は児童公園まで駆け戻った。

 その時、何に突き動かされて降車ボタンを押したのか。

 理由の分からない衝動が、俺を駆り立てる。

 昨夜の少女の、訴えかけるような瞳。子供を残して死んだ、母親の想い。

 普通じゃない自分と、居場所のない寂しさ。そして夏の日射しと、五歳の記憶に焼き付いた母さんの笑顔……。 

「ちょっ、きみっ、そこの女子っ!」

 息を切らせながら声を掛けると、振り向いた彼女は驚いた顔で俺を見た。

「結羅木くん……だよね?」

「えっ? あ、俺のこと知ってんの? えと……」

「隣のクラスの菜奈乃、須和菜奈乃すわ ななのだよ」

 目の前にいる菜奈乃さんは、清楚で大人しい感じの子だった。

 学校の制服で他の女子生徒の中にいたら、探し出すのが難しそうなタイプだ。でも私服姿はちょっと可愛いし、俺の好みかも知れない……いや、そうじゃなくて。

「あのさ、菜奈乃さん、そこで何するつもりなの?」

 少しも日に焼けていない、ほっそりとした腕を額にかざして菜奈乃さんは、小首を傾げた。

 腕を上げたとき、薄いピンクのキャミソールの胸元が少し開いて白いふくらみが……違う!

「えっ? 何してるって……この子のお願いを聞いてあげるために、朝から公園に来てるんだけど……」

「その子は?」

「隣に住んでいる、和樹かずきくんよ。今朝、この公園に来たいといって出勤前のお父さんを困らせていたから、代わりに連れてきてあげたの」

 そう言うと菜奈乃さんは、手を繋いでいる男の子に視線を移した。

 俺の腰より少し上ぐらいだから身長は一二〇センチもなさそうだ。日に焼けた肌は快活そうな印象だけど、何かに怒っているような暗い顔をしている。

「もしかしてさ、その子のお母さん……」

 言いかけた俺の言葉を、菜奈乃さんが目配せでさえぎった。

「カズくん、菜奈ネェは、このお兄さんとお話があるんだ。ちょっとブランコで、遊んできてくれる?」

「うん、いいよ」

 まるで恋仇を見るような目つきで俺を睨むと、男の子はブランコへと駆けていった。なかなか根性のあるガキだ、まあ俺を敵にするには百年早いけど。

「和樹くんのお母さんが公園前の通りで亡くなったこと、結羅木くん知ってるんだ?」

「いや、知ってたわけじゃ……事故の話は聞いた事あるから、そんな気がしてさ」

 菜奈乃さんには、『ヒマワリさん』が見えているに違いない。どの程度『見える』のか、どの程度『感じる』のか。出来れば俺の情報は出さずに、上手く聞き出したいところだ。

「実は……結羅木くんの思ったとおり、和樹くんが事故で助かった子なの。でもまだ小さいから、死がどんなものか解かっていないみたい。お母さんは、どこか別の場所にいると思って、病院や公園や知ってる人の家に行きたがるのよ。だから和樹くんが納得するまで、私が何度でもこの公園に付き合ってあげようと思って……」

「ふうん」

 ヒマワリの花壇に縫い止められたお母さんを見ると、和樹くんに向ける顔はもの寂しげだった。優しさから菜奈乃さんは、二人を引き合わせてあげたのだろう。

 だけど息子と一緒にいたいと願う母親が、菜奈乃さん自身に憑いてしまう可能性を考えなかったのか?

 何も考えずにリスクを負うなんて、随分とお人好しだな……。

 迷った末に小さく溜息を吐くと、俺は慎重に忠告の言葉を選ぶ。

「でもさ、もう帰った方がいいと思うよ。これ以上、公園にいても意味ないし和樹くんだって辛くなるだけじゃない?」

 菜奈乃さんは、むっとした顔で俺を睨んだ。

「何も、知らないくせに」

「知ってるから、忠告してやってんだよ。同情であのガキを連れてきたって、どうせ普通の人間には見えないんだ。それどころか、おまえが憑かれるぞ?」

「別に疲れるほどのことじゃないし、余計なお世話なんだけど」

「その疲れるじゃない。『憑依』されるぞって、忠告してるんだよ」

 言ってしまってから俺は、心の中で舌打ちした。

 なるべく具体的な話をしたくなかったのに、つい口が滑った。

 中学校で被っていた常人の仮面が、菜奈乃さんの反応次第で剥がれ落ちる不安。胸がざわつき、手の中に汗が滲んだ。

 一瞬、怪訝そうな顔をした菜奈乃さんは、すぐに俺の言いたい事が解ったらしい。とたんに顔色が変わった。

「いま確か、『普通の人』って言ったよね? それに『憑依』って……もしかして結羅木くん、見える人なの?」

「……ああ」

 覚悟を決めて無愛想に頷くと、なぜか菜奈乃さんは明るく微笑んだ。

「そっか、そうなんだ。なんだ、そうだったんだ。じゃあ、心配してくれたんだね? なんか、嬉しい……」

 意表を突かれて、俺はうろたえた。

 まさか、こんな反応が返ってくるとは思わなかったからだ。

 心配したワケじゃない。ただ、ちょっと気になっただけなのに、妙に照れくさい気分になる。

「心配してくれるのは嬉しいけど、和樹くんのお母さんは悪い幽霊じゃないよ。だから大丈夫、私にはわかるの」

「なに言ってんだよ、おまえ。バカじゃね? 幽霊に良いも悪いもないって」

「ううん、お母さんは和樹くんにさよならが言えなかったから、この場所から動けないのよ。事故にあって病院に運ばれたとき、和樹くんのお母さんはまだ意識があったんだって。でも顔の怪我がひどかったから、和樹くんがショックを受けるだろうって会わせてもらえなかったらしいんだ。だから、最後のお別れをさせてあげたいんだけど……」

 みるみる菜奈乃さんの瞳に涙があふれ、夏の日差しに上気したピンク色の頬を伝い落ちた。この突然の出来事に、俺の心臓の鼓動が跳ね上がる。

「私には見えるけど、和樹くんには見えないんだよ。どうすれば、さよならを伝えてあげられるんだろう? 何も出来なくて、すごく悲しい」

 俺は大きく深呼吸をすると、花壇に立つ『ヒマワリさん』とブランコに腰掛けこちらを見ている和樹くんを順に見つめ、ゆっくり菜奈乃さんに視線を戻した。

 お節介め、放っておけ、と頭の中に声がする。

 だけど動き始めた気持ちを、もう止めることが出来なかった。



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