〔3〕
どこの学校でも一人や二人、「俺は幽霊を見た」とか「わたし実は、霊感が強いの」と自慢するヤツがいる。
だけど俺の経験からすれば、幽霊とコンタクトできて良いことなんか何もなかった。
小学校低学年の頃は、『変な子』のレッテルを貼られいじめられた。
幽霊の恐ろしさに泣き出しても、誰も助けてはくれなかった。
長い長い時間、辛くて恐くて悲しくて、孤独だった。
だけど俺だって馬鹿じゃない。四年生になった頃から本当の自分を覆い隠し、大人の考えの裏を読み、友達にすれば得だと思われる人間を演じてきた。
近くの公立中学ではなく私立を選んだのも、小学校で『変わった子』扱いされた事を知られたくなかったからだ。
ご近所のオバサン達は「頭が良くて羨ましい」とか「優秀な遺伝子があるのね」とか「お爺さん孝行で感心ね」と言うけれど、裏では「特待生は爺さんのコネだ」「優秀さを鼻にかけた嫌味な子だ」と陰口を叩いている事くらい知っている。
公団住まいで私立中学に通うのは贅沢だから、学費を半分にするため俺は死ぬ気で勉強して特待生になったんだ。以前は教師で市の社会教育委員まで努めた爺さんだけど、使えるコネなんかあるわけない。
全ての人間は、嘘つきで利己主義者だ。仮面の裏の素顔は、昨夜の訪問者と同じくらい不気味でグロテスクかもしれない。
むしろ、裏表のない訪問者の方がマシなくらいだ。
恨み、辛み、憎悪、未練……死に際に残された思念が形になり、彼等の姿は憐れなくらい自然で素直で素敵だ。
だけどたまに、負の感情とは違う残像を見かけることもある……。
俺が苦手な、『想い』の思念。
学校に向かうバスの中、吊革につかまって外を眺めていると、つい目がいく場所があった。今日は見ないと決めていたのに、やっぱり見てしまう。
公団から、五つめのバス停にある児童公園。
そこは歩道との境目が花壇で仕切られていて、いまの季節、咲き乱れるミニヒマワリがまるで黄色と緑の柵のように見えた。
そのヒマワリの向こうに、いつも一人の女の人が立っているんだ。
つば広の白い帽子をかぶり、エスニック柄のサンドレスを着た二十代後半から三十代前半くらいの女性。肩までの髪は派手じゃない程度の茶髪で、顔はよく見えないけど細面で優しそうなイメージだ。
この公園にヒマワリが咲き始めた頃、子供連れの母親が事故にあった。
道路に飛び出した子供を助けようとして、車にひかれたそうだ。母親が命懸けで突き飛ばした子供は、軽い怪我だけですんだらしい。
あの母親は、なぜ逝くことが出来ないんだろう?
子供を残すことが、よほど心残りなんだろうか?
だけど連れてはいけない、連れていってはいけないんだ……。
サポーターを巻いた右腕が灼けるように痛むのを感じながら俺は、バスが公園から遠ざかるまで目を離す事が出来なかった。