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吸血鬼エドガー・ポールディスは、清純な乙女に堕落の道を歩まされる

その領地の端には、強大な力を持つ吸血鬼——エドガー・ポールディスが住んでいた。

血のように赤い瞳に、雪のような白い髪。その気になれば領地の魔物を全て動かし、その土地全土を支配下に収められるような吸血鬼が。


「エドガー、さま……」

「来い、うら若き乙女。——新たなこの土地の領主。お前の行動次第では、オレは大人しく身を引いて隠居生活に戻ろう。お前の行動次第では、な」


その領地は数年前、領主が死んだばかり。うら若きご令嬢が土地を継いだ。

数千年生きている吸血鬼は、それを良い機会とばかりにやりたい放題をし始めた。作物を魔物に言って荒らさせる、家畜を攫う、夜に人間を脅かす。


先代の領主——彼女の父親は国で一番の騎士だった。強い、手が出せない。何度も刃を交えて戦った。

好敵手。そう言って問題ない。刃を交えては負け、心理戦をしては負けた。あの騎士には、勝てた試しがなかった。だからこそ好き勝手をしなかっただけ。


でも、この娘相手ならば。


若きご令嬢。世間知らずの領主様。名前はなんと言ったか、オデットだったか。

白鳥という名前の通り、白いドレスがよく似合う。

プラチナの髪と、明るい青の瞳。手の甲に指先を這わせると、水仕事の一つもしたことがない手だとわかる。恐らく剣も握ったことがないのだろう。


彼女は今日、この吸血鬼の城へやってきた。

エドガーの城へ自ら一人で乗り込んできて、彼の悪行を諌めようとしたのだ。その結果がこれだ。吸血鬼に抱き竦められて、動けもしない。青い瞳は視線を合わせては来るが、怯えた小動物のように見えた。


(……いいように使ってやる、血を飲んで、オレの魔力で好きなように操って……)


吸血鬼は口の端を持ち上げた。

オデットは微かな声で言った。


「……なんでも、致します……領地のためなら……私にできること、すべて」

「なんでも?ふうん、殊勝な心がけだ。ならばその覚悟見せてもらおうか、オレを満たしてみせろ」

「はい………」


彼女は決意した目をして、健気にも言った。






三時間後。


「くそっ、美味すぎる……!口が止まらない……!最高だ……!」


食事の音が、夜の部屋に響いていた。

何かを啜るような。吸血鬼の舌が唇を舐める。赤いものが舐め取られる。

その極上の味に、彼は呻いてから恍惚とため息をこぼした。


「……このトマトスープ……うっっっっっっっっま……!」


健康。

あれからオデットはいきなり彼の腕の中から抜け出し、唐突に厨房に向かった。

虚を突かれて反応できない間に、トマトを刻み出し、料理を初めて気がついたらおいしい食卓が整っていた。なんで?


「あんまり食べると太りますよぅ……。あっ、デザートもあります」


おっとりとオデットは微笑んで食後のプリンを出してきた。

ぷるぷるである。優しい卵色でめちゃくちゃ美味しそう。


「デザート……!?そんなにたくさん食べていいのか……!?」

「ここ数年、エドガーさまは何を食べて生きてきたんですか……?」

「血とトマトだ」

「それだけ?」

「鉄分とリコピンさんだぞ」

「リコピンさんって人の名前じゃありませんからねえ」


おっとりツッコミされた。

どうにもこの女領主、全体的におっとりしていて天然らしかった。


ところで、魔術栄養学科系協会により食べ物に入っている栄養素の研究は日々進んでいるが、あいにく吸血鬼は最新の情報はちょっと聞き齧っただけであった。

リコピンさんはトマトさんの別名だと思っていた。


「……それにしても百年のうちに、こんなに食べ物が進化していたんだな……」

「美味しいでしょう?」

「すごく……いや!まだ足りん、お前には……もっとオレを満たす役目が……」

「え、エドガー様を満たす……役目……?」


エドガーは深呼吸をした。マイペースすぎるこの娘にめちゃくちゃ振り回されたが、いや、いやいや……夜の褥に引き摺り込んでしまえば勝ったも同然!吸血鬼は夜の王。美味い食事なんかで絆されたりはしない。

なんとしてでもこの女領主、オデットに取り入り、操り、貪って領地を我が物としてやる。目の上のたんこぶだった騎士が死んだ以上、もう好き勝手してもいいのだから。


エドガーは吸血鬼らしい凄絶な色気を精一杯放った。


「……寝台だ。寝台にこい、オレに奉仕しろ、いやとは言わないな?」

「夜に、部屋で二人、ですか……?」

「そうだ……オレを飽きさせるなよ……?楽しませろ」

「はい……」


オデットは微かに震えた声で呟いた。






「最高すぎる……こんな極上の楽しさをどうして今までオレは……知らずに……」

「エドガーさま、もう私疲れました……もうやめましょう……」

「断る!早く続きをするんだ」


二人はベッドの上で——……めちゃくちゃゲームをしていた。

ボードゲームである。オデットが、『このゲームがお気に入りなんですよぅ』とか言いながら持ち込んできた品だ。数百年一人、孤高の王として君臨していた吸血鬼、エドガーにとってこれは抗いがたい快楽であった。


駒を進めて、王の駒を取り合う。女王の駒が一番強く、そのほかにも沢山の駒がある。何よりも勝ったり負けたりが本当に楽しい。長期戦だって楽しい。

目の前にいる相手が、こちらが良い手を打てば賞賛し、こっちを追い込んでも楽しそうに笑うのだ。


(オレの目の前で嬉しそうに笑う人間だとか、魔物だとか、暫くずっと、いなかった……)


みんな怖がった。みんな逃げ出した。それは多分、エドガー自身が悪いのだ。

高貴な吸血鬼のイメージを保とうとして、そればかりを考えていた。

でも、今はこんなにも相手と一緒に遊ぶことが楽しい——……なんという快楽!


「エドガーさま、ジュースもありますよぅ」

「ジュース……」

「はい、ぶどうのジュースです。あ。あとですねえ、芋を薄焼きにして、バターとお塩をかけたものも……」


ポテトチップとジュースとボードゲームを、ベッドの上で。

完全なる堕落であった。堕落すぎた。


「くそっ……こんな……オレが堕ちてたまるか……!!!!」


エドガーはごろんごろんした。

吸血鬼だって、数百年前は子供だったのだ。童心に還りそうになる。


「……お話とかしましょうかぁ……?」

「おはなし」

「はい、物語などもお聞かせできます、子守唄でも」

「くそっ、どこまで堕落させようとしてくるんだ……!!オレを甘やかすな!!やめろ!!」

「じゃあいりませんかぁ……?」


しょんぼり。

彼女が肩を落とすのを見て、エドガーはなんだかめちゃくちゃ悪いことをしたような気分になった。オデットの父、アーサーもこんな顔を時折見せていたことを思い出す。


城下で彼の騎士は、まさしく英雄だった。並び立つ者などいなかった。

民を守る騎士。会いにきて語らいをして、歳を経るごとにエドガーの事を心配そうに、眉を下げて見たのだ。同じ色の、青い瞳で。


「……いる」

「! ふふふ」

「何笑ってる」

「いいえぇ、なんでも。……父が言っていた通り、エドガー様は優しい方なんだなあって」

「優しい?オレが?はん、おめでたい頭だ」

「いいえ、優しいですよぅ。私に気を遣ってくださって、ありがとうございます」


雪のような白い髪を撫でながら、そうして、オデットは語り始めた。

優しい声で、柔らかい声で。寝物語を。

おかしいな、今頃はこの娘を組み敷いて、悲鳴を聞いていたはずだったのに。どうしてだか丸め込まれて、ポテトチップとジュースに埋もれて堕落しつつ、寝物語なんか聞いている。


ベッドの上に散らばった、チェスの駒。


倒れたナイト。まだ立っている女王の駒。







「……むかしむかし」


昔々。あるところに、一人の騎士がおりました。

彼は、英雄と人々に呼ばれていました。悪い魔物をはじめ、最後には魔物たちの親玉の吸血鬼を領地の端に封じ込め、彼を大人しくさせて人々の安全を守ったからです。

けれども。

実際のところは違いました。英雄は剣で語らううち、吸血鬼と親友になっていったのです。


親友を悪者にし続けることに、英雄は悩んでいました。

そして、彼をいずれ置いていくであろう自分の老いもまた、身を苛んでいました。


だからこそ、彼は、頼んだのです。

娘に。


吸血鬼の城へ行ってやってくれ。自分が死んだら、彼と友達になってくれ。

美味しい料理を作ってあげてくれ。

一緒にベッドでボードゲームに勤しむのもいい。

『友達』と、することを。『親しい人』とすることを、彼としてやってくれ。


誰よりも寂しがりな彼が、寂しくないように。

悪い事をするかもしれない、でもそれだって誰かに見てほしいからだ。

子供みたいな吸血鬼なんだ。誰よりも寂しがりなあいつを、どうか頼むよ。


娘はうなずきました。

そして、吸血鬼の城へ一人——向かったのです。




彼女は語り終えて、少しだけ息を吐いた。


「……エドガー様」

「うるせえ」

「泣いておられます?」

「……うるさい、」

「……わたしのした、友達らしいこと……ちゃんと、あなたのことを、喜ばせてあげられましたか?」

「……放っとけ……」


オデットは暫く、ベッドに突っ伏したエドガーの頭をゆるゆると撫でてから、瞳を細めて微笑んだようだった。エドガーは目を閉じて、親友のことを思い出した。そして、その面影を引き継いで、今ここにいる彼女のことを、思った。

思えば最初から変だった。

どうして一人でやってきた、護衛も付けずに。若い女が、乙女が。吸血鬼の前にやってくるなんて危険すぎる。襲われるかもしれないのに。危ないのに。


「……友達に、なりたかったから……ひとりで?」

「そうですよ」

「オレが襲って殺したかもしれない」

「あなたはしません」

「血を啜って、操ってやろうと思っていた。今も考えなくもないぞ」

「あなたはしません」

「——オレは……悪いことが好きだ。悪い事をすると胸がすく。皆がこっちを見るだろ」

「わあ、かまってちゃん。その分私があなたに構いますねえ」


おっとり彼女は微笑んだ。

オデットは放り出してあったチェス盤を持ってくる。

それから、ポテトを薄く焼いた料理や、ジュースや。いつの間に用意したのかチョコレートやクッキーや、ちょっとしたお酒まで用意して。


「——友達になってくれますか?わたしは父にはなれません。父の代わりにもなれませんけど……あなたのことを、頼まれたんです、だから、友達に、」

「いやだね」

「え……」


友達なんてまっぴらごめんだ。

そう言うと、オデットはおっとりとした口調で眉を下げて笑う。

父親に似た、笑い方だった。


「……では、共犯者で」


これからもわたしと、悪いこと、いーっぱいしましょう。


そう言った時、彼女は子供のように目をきらめかせた。

それを見た瞬間、胸の奥が締め付けられるような感情を覚えた。


しかし、数千年生きた吸血鬼はそれに気づかなかった。

エドガーはふんと鼻を鳴らして、彼女が差し出してきたクッキーを頬張る。

甘い。堕落の味だ。


でも、今までだったらきっと知ることができなかった、味だ。


「……共犯者ならいいかもな」

「うふふ。まだ私のこと、操りたいと思います?」

「そうしたらチェスで必勝できる」

「わあ、ずるーい……わるーい」

「オレは悪い男だからな」




そう、悪い男なので。


今日もエドガーは堕落する。女領主オデットのところへ遊びに行き、ソファに座る彼女の膝を勝手に乗っ取って膝枕させたり、夜に眠れなさそうにしている部屋に忍び込んで朝まで菓子パーティをしたりする。


時折メイドたちが笑って噂する、また吸血鬼さまがオデット様のところに遊びにいらっしゃってるわよ、と。


領主の館の前で、二人は待ち合わせをする。ある晴れた春の日に。

オデットは白いワンピースに白い帽子を被り、花とサンドイッチの入った籠を抱えて歩く。エドガーは吸血鬼だからとマントをすっぽり被りながら、その後についていく。


二人の後ろ姿を、英雄の騎士の像があたたかな光に照らされて見送っていた。

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