第887話「至福の飲み物」
レティがカンカンに怒り狂った設備部のドワーフたちに連行されていくのを見送って、俺とラクトとカミルは中央管理区域へと戻った。カフェエリアで時間でも潰そうかと思っていたのだが、俺たちは腰に手を当てて仁王立ちしたオモイカネにそのまま捕まってしまった。
『まったく、施設に新造したばかりの人工知能矯正室の初めての使用者がレティになるとは思いませんでしたよ』
「いやぁ、本当に申し訳ない」
どうやら彼女はレティが記録保管区域の壁を10枚ほどまとめてぶち抜いたことに対して苦情を言いにきたらしい。こればっかりは俺たちが悪いので、素直に謝罪する。
「再訓練時間は?」
『規定に則り5分です。設備部からは永久追放を求める声もありますが』
「短いな」
被害の割には刑期が短くて驚いていると、オモイカネは呆れた顔でこちらを見る。
『レッジさんの30分が長すぎるだけですよ。普通は長くても15分程度ですから』
「そっかぁ」
「レッジって重罪人なの?」
ラクトが冷たい目を向けてくるが、それに関しては断固として否定したい。俺が自由に遊んでいると、何故かサイレンを鳴らした車が駆けつけてしまうだけなのだ。人気者は辛いね。
『とはいえ、レティも素直に警備部の指示に従っているようですし、特に延長もないでしょう。もしお二人が暇なら、少しお話を聞いてもらっても?』
「もちろん。なんか飲み物も奢ろうか」
どうやら、オモイカネもただクレームをつけに来ただけというわけではないらしい。俺は彼女を誘い、4人と1匹でカフェエリアに向かう。
「なんでも好きなもの頼んでいいぞ」
『私、一応ここの管理者なんですけどね……』
「ま、今回のお詫びも兼ねてってことで」
そう言うと、オモイカネはメニューを広げて悩み始める。今までずっと拠点の改装やDWARFたちの編成整理などの激務が続き、このカフェエリアも使ったことはなかったらしい。まあ、管理者は元々そういうものが必要ない、というのも大きな理由の一つになるだろうが。
ともあれオモイカネは長々と悩んだ後、ようやく口を開いた。
『ホワイトチョコレートモカフラペチーノキャラメルソースヘーゼルナッツシロップ チョコレートチップエキストラホイップエスプレッソショットをデキャンタで。あとスペシャルフィナンシェを三つお願いします』
「なんて?」
怒涛の勢いで流れてきた注文に思わず聞き返す。オモイカネはやれやれとでも言いたげな顔で首を振り、もう一度繰り返した。
『ホワイトチョコレートモカフラペチーノキャラメルソースヘーゼルナッツシロップ チョコレートチップエキストラホイップエスプレッソショットのデキャンタを一杯。それとスペシャルフィナンシェを三つお願いします』
「すまん、自分で注文してくれ。支払いは俺でいいから」
『ふーむ。わかりました』
オモイカネが頷き、注文を進める。俺の財布から2,000ビットほどが引き落とされ、思わず頬が痙攣した。
「あー、わたしはコーヒーでいいかな」
「了解。ええと、ラクトは砂糖多めだったか……」
「あっ! わ、わたしもブラックで」
ラクトは珍しくブラックコーヒーを飲むようだ。俺もいつもと同じようにブラックコーヒーを選ぶ。
「カミルはカレーでもいいか?」
『馬鹿にしてるの?』
「ちょっとした冗談だよ……」
ギロリと睨まれ、粛々とカモミールティーを注文する。
程なくして、人数分の三つのカップと一つの植木鉢のようなコップ、それと大皿に載った山盛りのフィナンシェが届く。フィナンシェはオモイカネの注文分とは別に俺たちの分も頼んだら、合わせて持ってきてくれたようだった。
「えーっと、すごいな」
俺はオモイカネの目の前に鎮座する小さめのバケツのようなサイズのコップを見て言う。山盛りのホイップクリームにチョコチップやキャラメルソースなどが振りかけられ、見るからに甘そうな糖分の塊だ。正直、どこにコーヒー成分があるのかも分からない。
「……糖分は当分いいや」
「レッジ、なんか言った?」
「なんでもない」
フィナンシェもドワーフたちの大好物ということもあり、なかなか手が混んでいる。大ぶりでまさしく金のインゴットのような風貌で、バターの良い香りが漂っていた。
『やはり、頭を使うと糖分が欲しくなりますからね』
「そっかぁ」
砂糖の塊に臆することなくスプーンを突き刺すオモイカネを見て、気の抜けた声しか出ない。管理者というのも、それぞれ個性が豊かである。
「うぐっ」
オモイカネの食事風景に圧倒されていると、隣ではコーヒーを飲んだラクトが小さく呻いている。やっぱりブラックは苦かったのだろう。俺は砂糖とミルクを追加で頼んで、彼女に渡す。
「飲めないなら無理しなくていいんだぞ。美味しく楽しむのが一番だ」
「そうかもだけど……。レッジに言っても仕方ないか」
何故か深いため息をつきながら、ラクトは砂糖を次々と溶かしていく。彼女も結構な甘党だな。そういえば。メルたち〈七人の賢者〉も同様に甘いものを好んでいた。
「機術師ってやっぱり甘い物好きなのか?」
「どうだろう? 機術師向けのバフ飯はスイーツ系が多かったりするけど」
機術師が甘味を好むのは個々の嗜好ももちろんあるが、バフの都合も大きいらしい。戦いの前には必ずパフェを食べる者もいるようで、俺は聞いただけで胸焼けしてきた。
「近接戦闘職なんかだとお肉食べたりするんだけどね。機術師はLPの最大値よりも回復速度の方が重要だから」
そう言って、ラクトは甘いコーヒーを飲み、ふにゃりと笑った。
『こほん。それでは、本題に入っても?』
ラクトに気を取られていると、オモイカネが咳払いをして注意を促す。俺たちが頷くと、彼女は口を開いた。
『実は、もうレティには伝えてあるのですが。彼女が破壊した壁の向こうに、私の認知していない新たな記録保管区域が現れました』
「ええ? そんなことがあるのか」
オモイカネはフィナンシェを齧りつつ、なんでもないような様子で言う。その態度と言葉の内容のギャップに戸惑う俺に、彼女はすぐに言葉を継ぎ足した。
『それ自体は良くあることなので、大丈夫ですよ』
「よくある事なのか……」
オモイカネはこの記録保管庫の管理者だし、それ以前にDWARFの最高責任者であるはずだ。そんな彼女が管轄にしている施設の全容を掴んでいないことなどあるのだろうか。
『わたしがエネルギー供給に専念して休眠している無期限封印状態の時に、ドワーフたちが増改築をしていたようなんです。長い年月のなかで封鎖されて、そのまま忘れられたエリアも多いようで、今徘徊している機械警備員たちも、そこへ逃れていたという説が濃厚です』
「なるほど。寝てる間に荒らされて、荒らした当人たちもそのことを把握できてないのか」
『簡単にいえばそうですね。ただまあ、そういった未確認区域にも重要な記録が保管されていないとは限らないので、サルベージの対象となります』
フィナンシェを食べながら言うオモイカネの思惑を察してきた。
「つまり、俺たちにそこへ潜れと」
『話が早くて助かります。レティの“喪失特異技術研究任務”も次の段階に進める手配が済んでいますし、ちょうどいいと思いますよ』
「そうだな。俺たちもただレティの付き添いをしてるだけじゃあ物足りなかったところだ」
突然降って沸いた面白そうなイベントに、俄然やる気が出る。ラクトも同じようで、わくわくした顔でフィナンシェに手を伸ばしている。
『そういうところってドワーフ独自の建築様式が見られたりするのかしら』
当然自分も付いていくものだと思っているカミルも、早速カメラの手入れを始めている。危険が多いため留守番してもらいたかったが、それを許してくれそうにはない。
『そういえば』
フィナンシェを食べながら、オモイカネが言う。
『以前、〈破壊〉スキルに関する新たな情報を見つけた調査開拓員も、偶発的に見つかった未踏破区域の調査でその成果を挙げていましたね』
思わせぶりなセリフと共に、彼女が片目を閉じる。彼女が期待していることが分からないほど、俺も鈍くはない。
オモイカネが最後のフィナンシェを手に取ったちょうどその時、反省部屋のある方から猛烈な勢いで駆ける足音が近づいてくる。
「レッジさーーん!」
彼女は赤い髪をなびかせ、手に持ったハンマーをブンブンと振り回している。刑期を終えて、やる気も十分にあるようだ。周囲に立つ警備部のドワーフたちがピリついているが、構う様子もない。
俺は立ち上がり、すでに準備万端なラクトたちと共に彼女を出迎えた。
Tips
◇“未踏破区域調査任務”
種別:特別任務
受注条件:管理者オモイカネの許可を得た者
説明:
〈第一オモイカネ記録保管庫〉第34階層にて、偶発的な構造壁破壊事故の結果、新たな未踏破区域が発見された。当該地の内部調査を行い、その構造の把握と敵性存在の撃破を可能な限り遂行せよ。
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