第2138話「赤兎疾る」
産声をあげ、暴れ回っていた龍が封じられる。光すら静止する絶対零度の牢獄に囚われる。それは反逆の狼煙だった。
「ひゅう! 一回使ってみたかったんだよね、このアーツ!」
「妙に気合いが入ってると思ったら……。というか、動けなくなってるじゃないですか!」
塹壕の底に横たわるラクトは、指先すら動かないほどの硬直を受けながら口元にだけ笑みを浮かべる。イベントレイドボスクラスの強敵さえも一人で封じられるほどのアーツが、ただのLP消費のみで実現できるはずもない。
ラクトは『絶対零度の奈落』を発動した反動で、10分間の全身麻痺と2時間のアーツ使用不能、7日間のLP消費量大幅増、10日間の重度疲労状態が課せられる。
「とりあえず、少なくとも10分は置物になってるから。レティたちは自由に遊んできていいよー」
深刻な状態にも関わらず、むしろ晴々したような明るい表情を浮かべるラクト。彼女はずっと温めていたアーツを使うことができただけで満足しているようだった
レティは呆れた顔でため息をつき、ハンマーを手にする。
まだレッジにさえ見せていない、ついさっきおろしたばかりの新たなハンマーだ。喪失した黒鉄の巨槌に代わり、彼女のメインウェポンとなる最新鋭のハンマー。
それは柄の両端にヘッドを持つ、奇妙な姿をしていた。
「"双頭の灼兎棍"――その恐ろしさ、とくとご覧あれ!」
兎の頭を模した二つのヘッドは、レティが柄を握り込むことで赤く熱される。熱伝導性と耐熱性に秀でた赤鉄鋼を合わせた特殊な超重量高耐久合金"ヒヒイロノカネ"を主材とした、特殊大型ハンマーである。
「行きますよ、シフォン!」
「はええっ」
白い狐の手を引いて、赤い兎が飛び出す。龍骸までは平坦な土地が広がっている。遮蔽物のない空間を走り抜けるのは、龍が封じられている今しかない。
レティの思惑は他の調査開拓員たちと一致していた。彼女とほぼ同時に、塹壕からワラワラと調査開拓員たちが湧き出してくる。手に武器を持ち、盾を構え、詠唱をしながら、彼らは先ほどの黒ブレスにやられた鬱憤を晴らすかのように、怒号をあげて走る。
「はえやっ!?」
「とぅあっ!」
彼らが半ばまで到達した頃。
龍を封じていた黒い箱が一部破れる。いかに強力なアーツとはいえ、龍を永遠に拘束できるものではない。少しずつ、氷塊が溶けていく。
いち早く動いたのはシフォン。彼女の動きに追従して、レティも動く。次の瞬間、黒いブレスが二人のいた地面を穿った。
「もう復活し始めて……ッ!」
「まだ頭だけだよ。はええっ」
黒い牢獄から、龍が双眸を覗かせている。ラクトとパーティを組んでいるレティたちには強いヘイトが向けられ、いの一番に狙われていた。まだ先ほどのような大規模なブレスは飛んでこないが、細かく繰り出される黒弾が二人の進行を阻害する。
「はえっ、はえやっ! はええんっ!」
「助かります、シフォン。そのまま前を走ってください!」
「わたし、カナリア扱いされてない!?」
黒弾の速度は凄まじく、常人では目視で避けるのは至難の業だ。レティでさえ、完璧に回避するのは難しい。
しかし天才的な危険予測能力を持つシフォンは、龍のわずかな動きや周囲の地形、その他の明言することのできない無数の小さな情報を本能的に読み取り、ほぼ無意識下で次の弾道を予測していた。
レティは目の前のシフォンの動きにだけ注目し、彼女と同じように動くことを考える。それが、一番安全だった。
「はえんっ! はえやぁっ! はえ――ほぁっ!」
近づくほど、攻撃は熾烈になる。厄介なのは、着弾地点に腐敗が残りつづけるということだ。回避する方向にも意識を向けなければ、すぐに袋小路に追い込まれてしまう。
やがて、シフォンの声にも余裕がなくなる。彼女は涙目になりながら、死にたくない一心で避け続ける。
「ひ、ふ、ぎゃふっ」
いつもより、さらに切羽詰まったシフォンを見て、レティも察する。
「ありがとうございます、シフォン。ここからなら、ギリギリ届くと思います!」
彼女の肩に手を置いて、後ろへ。レティはハンマーを握りしめ、前に出る。
腐龍イザナミまでの距離は、100mを越えている。短くも長い距離。次々と降り注ぐ黒い雨を避けながら進むのは、現実的ではない。
「『レッグブースト』ッ!」
ならば、避けずに進むしかない。黒いブレスが撃ち出され、再装填されるまでの一瞬で、この距離を駆け抜ける。
レティの太ももに纏われた人工筋繊維が一気に膨張する。供給されたエネルギーを取り込み、平時以上の力を発揮する。
彼女にはシフォンのような自動回避能力はない。エイミーのように正確に瞬間を捉える力もない。だが、
「『トップスピード』ッ!」
彼女の勇気、胆力、剛毅は本物だ。
わずかな怯懦が命運を分けるこの瞬間。凄まじい重圧が双肩にのしかかろうと、彼女は的確に一歩踏み出すことができる。
今、赤い閃光が地を疾る。
「はえーーんっ!」
後方にいた少女が爆風で吹き飛ぶのを一顧だにせず。
「『赤兎の烙印』ッ! だらっしゃーーーーいっ!」
赤熱したハンマーが、龍の鱗を叩き割る。
黒く爛れた体表に、兎のマークが焼き付けられた。
Tips
◇ヒヒイロノカネ
熱伝導性耐熱性に優れた上質精錬赤鉄鋼を、耐久性の高い上質精錬黒鉄鋼を主原料とした高耐久超重量金属と融合させた特殊合金。非常に重く固く、同時に粘り強い。あらゆる極限環境でも通用する強靭さを持つ。
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