第2137話「凍てつく矢」
レティたちが〈龍骸の封林〉に足を伸ばしていたのは、偶然によるものだった。彼女がログインした時、いつもは別荘で寛いでカミルに叱られているか、農園で土いじりをしてカミルに叱られていることの多いレッジがいなかった。場所を探ってみたところ、どうやらエイミーと一緒に宇宙旅行に行っているようだった
はーそうですか、まあいいですよ。べつにー。と言う気持ちを抱えたレティは、丁度よくログインしてきたラクトとシフォンを誘い、手っ取り早く何かを殴れる場所へ洒落込もうと考えたのだった。
「まさか、突発のイベントレイドボスと戦えるとは! ラッキーでしたね、ラクト!」
「苦労してここまで来た甲斐はあったかな。レッジの方もちょっと気になるけど……」
「あんな二人は置いておきましょう。それよりも、今はあのドラゴンを倒すことに集中しますよ!」
「はえぇ……。かえりたい」
突如として龍骸を破り現れた巨大な龍。"腐龍"イザナミ。
指揮官T-1から、その討伐指令が出された。ワニのような頭の上には赤いHPバーも表示されており、敵性存在であることは明白だ。極め付けは、先ほど周囲の調査開拓員たちを壊滅させた強烈な黒いブレス。堅固を誇るバリケードすらも穴が空き、惨たらしい状態を晒している。レッジが得意とする対話さえも、あれには届かないだろう。
「アストラ一人で抑えるのにも限界はあるでしょ。ちょっと手を貸してあげようかなぁ」
塹壕からすっくと立ち上がるラクト。その手には銀に装飾された短弓。彼女は軽やかに弦を弾き、歌うように詠唱した。
「『炉心解放》』『増幅する炉心』『並列詠唱』『完全詠唱』、『起動:圧縮回路』『自動最適化再構築』『深度過集中』、『対象指定』『鷹の目』『黄金の矢』『一射入魂』、『術式付与』――」
流麗な発声により、次々と自己強化が施される。
LP最大値が拡張され、LP生産速度が増強され、術式威力が増幅され、詠唱時間が延長され、詠唱中LP消費量が低減され、詠唱完了時LP消費量が削減され、詠唱時間が短縮され、攻撃対象へのダメージ補正が課され、通信監視衛星群ツクヨミの観測データ一部共有が行われ、射撃系テクニックの威力が増加し、〈弓術〉スキルテクニックによる第一撃の威力が増加し、特別な機術封入矢へとアーツを埋め込むことができるようになった。
だが、それだけではない。
彼女が全身に装備する様々な防具、アクセサリー。直前に食べた甘い菓子類。全てが計算済みで、彼女の望んだ効果を発揮する。
「『精密射撃』、『ロングショット』、」
ラクトは短弓に矢をつがえる。
銀色に輝く金属製の矢は、通常のものと比べてかなり長い。ただでさえ小型の弓につがえると、あまりにもアンバランスだ。その軸には無数の精緻な回路が刻み込まれ、今まさにLPが流れ込んでいる。
彼女が矢を引く。弦に掛けたテンションが、ギリギリと悲鳴をあげる。
強化された彼女の視界に映し出されているのは、戦場の様々な情報だ。暴れ回る腐龍イザナミと、その周囲を機敏に飛び回り、的確に切り込んでいる青年の姿も克明に映る。彼が龍と対峙し、何をしようとしているのか、手に取るように分かる。
だから、彼女は最初の鏑矢を決める。
「まずは動きを止めるよ。――『揺るぎなき永久凍土の深淵よ、極冷の凍て風よ、それは静寂と終焉の蒼雷、それは黒き永遠の宣告』」
固定の配列により特定のアーツを構成するスペシャルスペル。長大かつ難度の高い詠唱を、滑らかに実行する。一陣の風がラクトの青い髪を巻き上げて、ごうと巡る。
溢れ出す力の奔流は、御しきれぬ暴れ馬のように無差別な暴力を振り撒く。それに一筋の道を示すこと。それこそが機術師である。
「『絶対零度の奈落』」
ぴん、と矢が弾かれる。
それは風を切り裂き、最短距離を駆け抜ける。
塹壕から、龍骸の頂まで。長い長い距離を、刹那の瞬間に貫く。アーツを載せて、渦巻くエネルギーを宿し、思いを託され、稲妻を放ちながら。
煩わしい羽虫のように飛び回るアストラに意識を割かれていた腐龍は、一瞬出遅れる。地表スレスレを舐めるように飛ぶ細い矢は、あまりにも目立たなかった。
それは、1秒の時を越えて到達した。
「凍りつけ」
曇った鱗を弾き飛ばして柔らかな肉に深々と突き刺さる。流れ込んだエネルギーは理論を組み上げ、ナノマシンパウダーがそれを具現化する。
世界に穴が穿たれたように、黒が染み広がっていく。それは瞬く間に――腐龍イザナミを温度のない檻に封じた。
Tips
◇『絶対零度の奈落』
特定のアーツチップにより構成されるスペシャルスペル。長い詠唱と莫大なLPを求める大規模な機術。
それは空間の限定的固定により全ての物理的運動を完全に停止させる。光さえも動きを止め、完全なる闇が現れる。
"そこには苦しみも悲しみも存在しない。始まりも終わりもない。希望も救いもない。"
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