第2115話「腐敗迫る世界」
管理者機体というのは肝臓も強いようで、あっという間に酔いを覚ますこともできるらしい。つまりエミシは酔いたくて泥酔していたわけだが。
『あっ、やっと戻ってきましたね。いったいどこまでほっつき歩いてたんですか』
「いやぁ、すまんすまん。なかなか興味深い品種が多くてな」
チン、と音を立てて一階に戻ったエレベーターの扉が開くと、腰に手を当てて頬を膨らませるウェイドが待ち構えていた。
『エミシも付いていったのに、連れ戻すのにどれだけ時間がかかってるんです』
『申し訳ありあせん。レッジさんから有益なアドバイスもいただけたので……』
『そんなこと言って、また何か妙なこと吹き込まれたんじゃないでしょうね?』
『あははは』
怪訝な顔をするウェイドを、エミシはからりとした笑いで受け流す。彼女はビールを醸造していることをウェイドにも秘密にしている。他の管理者たちにバレたら、そのリソースでもっと注文を受けてくれと無茶振りされるのが目に見えているからだろう。それに、ウェイドたちも酒が飲めないわけじゃない。一滴たりとも、たとえ味見だとしても、渡したくないらしい。
「それよりも、ミカゲの方はどうだ?」
『流石の働き者です。しっかり結果を出してもらいましたよ』
話を変えるため、小麦の分析をしていたミカゲを探す。しかし、彼の姿は見当たらない。
『本人はこれだけ残して帰ってしまいましたが』
「ええ……」
暇だと言っていたから協力してもらったのだが、案外忙しかったのか? レティやトーカに埋もれて、本人が無口なこともあって目立たないが、彼もなかなか自由人だ。そうでなければ、〈白鹿庵〉に所属しながら非バンド組織である〈三術連合〉のリーダーなどやっていない。
ウェイドが懐から取り出したのは、わざわざ巻物にしたためられたレポートだった。密使の巻物と呼ばれる装飾の施された巻物は、執筆者が許可した人物にしか読めないようになっている。そして、ウェイドは中の閲覧を認められていないようだった。
なぜミカゲがそんなことをしたのか怪訝に思いなが紐を解いてみると、達筆な運びで詳細に呪眼視の結果が書かれていた。
「あー……。なるほど?」
『私はまだ読んでいないというか、読めないんですが、なんと書かれているんです?』
ミカゲが電子データで記録を残さなかった理由を早速察する。
達筆な文字……というかもはや古文書として書かれたその内容は、たしかにウェイドには見せられない。内容が気になる様子の彼女を置いて、エミシを連れてその場を離れる。
「エミシ」
『な、なんですか?』
「どうやら疾病は、酵母経由で大麦と繋がってるらしい」
『――ほぁ?』
間の抜けた顔をするエミシ。
ミカゲは調査の結果分かったことから推察を深め、さらに状況を読んで的確な判断を下した。素晴らしいファインプレーだ。
彼は大麦そのものに"疾病"の縁が繋がっているのではなく、大麦と縁の強い酵母――つまりビール醸造というエミシの行いを通じて寄ってきた。酵母と胞子は、存在そのものが隣接していて縁が強い。
『つ、つまりなんですか!? 私にびあを諦めろと!?』
「より重大なことだよ」
『びあより重大なことなんてありませんっ!』
一応ウェイドも遠くで不思議そうな顔をしているんだから、もうちょっと声を抑えてほしい。
とにかく、ミカゲの巻物に書かれている分析の結果は重大だ。
「エミシ。疾病の原因となる胞子は、醗酵や腐敗が発生している場所には、距離に関係なく現れる可能性がある』
胞子は縁を辿ってやってくる。
今回、エミシの小麦農場に現れたのは、急な醸造量の増大によって一時的に縁が強くなったからだろう。しかし、ここのように突然胞子が現れる可能性は、全世界に広がった。
「なんとかしないと、あちこちでモノが腐る世界になるぞ」
『そんな……。びあがなくなるなんて、そんなことは許せません!』
絶望に落ちかけていたエミシは、ギリギリのところで踏みとどまる。腐った世界という未来に、ビールをはじめとした醸造品、発酵食品は存在し得ない。
『私が全力でバックアップします。レッジさん、どうにかして"疾病"を抑えてください!』
真面目な顔をしたエミシが、即断即決で動き出した。
極秘の特別任務が発注される。
【芳醇な世界を醸すため】――彼女の希望が強く乗せられた任務のタイトルを確認して、俺も深く頷く。
『おーいっ! 結局なんだったんですか? ミカゲはなんと?』
遠くの方で律儀に待っているウェイドが、ぴょんぴょんと跳ねていた。
Tips
◇密使の巻物
秘密と共に走り、報を伝える者に託される巻物。特定の個人にしか封を開くことが許されず、内容は完全に秘匿される。
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