第2113話「秘密の蔵」
エレベーター内部のディスプレイはB72のまま。一般には公開されていない秘匿区域へと俺を運ぶ。別に何かを期待しているわけではない。そもそもウェイドの植物園を土台としている研究所ならば、下への増築は前提条件だ。73階層がすでに準備されていても不思議ではない。
だが、
「素直には開けてくれないか」
ディスプレイに表示されたのは、B73ではなくB72。システムを弄って、階層を一段上に誤認させているから正常だ。しかし、ドアが開かない。さっきは本当の72階層に到達し、本来は権限を持たない俺が乗っていたにもかかわらず、扉は開いた。
つまりは、扉は外部の力によって開かないようになっている。
おそらくは管理者クラスの権限がなければ開かないのだろう。
「頑丈な鍵がかけられてるのは、中に宝物を隠してるって宣言してるようなもんだぞ、エミシ」
例えばウェイドなら、俺から没収した原始原生生物の種をどこに隠すだろう。彼女はわざわざ最高の警備を容易して、常に目を光らせるなんてことはしない。きっと、あえて適当な木箱にでも入れて、どこかの建物の倉庫の奥にでも雑に置いておくことだろう。
ネットワークから完全に遮断してしまえば、俺は追跡することもできないからな。
逆にこうして重厚な扉で遮断されると、好奇心が疼いてしまう。
「たぶん、エレベーター側からのアクセスはできないな。となると一度、施設のイントラネットに潜るしかないか」
研究所の攻性電子障壁に阻まれた時、一応種を撒いておいた。20分に一度のセキュリティスキャンで異常検知すらされずに消滅してしまう程度の簡単なプログラムだが、深い海に浮かぶ小さな枝程度の助けにはなる。そこから少しずつ拡張していけば、立派な筏を作ることもできる。
一階の方ではエミシが研究所を非常警戒態勢にしている。俺が散歩に出掛けて、ちょっと驚いているみたいだ。そんなに焦らなくても、迂闊なことはしないというのに。
標準セキュリティシステムに見つからないようにレイヤーの低いところを手探りで進む。気分は通風口を匍匐前進で進む特殊部隊だ。実際には別に身体はエレベーターの中から動いていないのだが。
「んー、ずいぶんと厳重だな」
しばらく歩き回っても、73階層のロックに繋がりそうな道が見つからない。想像していたよりもずっと厳重な封印がされているらしい。
ここよりも更に上となれば……。
「一度、中央制御塔のシステムに入るしかないか」
73階層のロックが研究所内のイントラネットだけで完結していない。となれば中央制御塔の認証システムを通過する必要が出てくる。エミシに見つからないよう迂回しながら、堅牢を誇る中央制御塔のシステムへ。
ある程度、中央制御塔のシステムの癖なんかも分かっている。下手にダミーやデコイを残せば逆に検知されて警戒レベルが上がるから、堂々と走った方がいい。
「エミシは流石だな。情報格納もすっきりしていて見やすいよ」
基本は同じでも、管理者によってある程度の個性は出る。ウェイドが構築した制御塔のシステムは乱雑に物が置かれたような情報空間になっていて、これはこれで逆に隠れやすい。エミシのようにすっきりと整理整頓が行き届いている方が、逆に進みにくいまである。
それでもまあ、頑張ればなんとかなるもんだ。
「中央制御塔から直々の開城命令だ。流石に従ってくれよ」
祈るような気持ちでコールを送る。
レスポンスは瞬時だった。
「よし!」
音もなく目の前で扉が開く。
照明の落ちた暗い73階層が、目の前に現れた。
拡張工事の真っ最中というわけでもなく、空の収容室が並んでいるわけでもない。そこには、通常の階層とはまるで異なる風景が広がっていた。
「……エミシも管理者ってことか」
ふっと息を吐く。
独特の香りが、鼻の奥まで流れ込んでくる。隠しきれない存在感が、部屋の中に満ちていた。
エレベーター側のスイッチで照明を点けると、より鮮明に部屋の中があらわになる。
「随分と大規模に仕込んだもんだなぁ」
俺の身長を優に超え、天井にまで迫る巨大なタンクがずらりと並ぶ。色々と配合を試しているのか、タンクには色々と書き殴った跡が見える。室温は高く、湿度もある。ここならばきっと、効率よく作業が進められるのだろう。
「しかしこれ、全部……」
タンクの側には抽出機や充填機など。赤や黄色のケースに、黒い瓶がぎっちりと詰まって積み上げられている。今も自動で作業が行われているのか、ガシャコンガシャコンと軽快な駆動音がどこからともなく聞こえていた。
チン
思わず立ち尽くす俺の背後で、軽い音が鳴る。
エレベーターが到着したのだ。
『見て、しまいましたね』
音もなく開く扉の向こうから、掠れた声がする。振り返らずとも、それがこの部屋の主のものであることは分かった。
『簡単には入れないようになっていたはず。万が一、異物が混入しないように、厳密を保っていたはずなんですが』
「あー、えっと。ちょっとノックはしたんだが」
いつもの朗らかな声ではない。地の底から響くような低い声だ。
ゆっくりと背後を見れば、瞳から光を失ったエミシが呆然として立っていた。
「まあ、その、なんだ。――あんまり飲みすぎない方が」
『誰のせいだと思ってんですか!!』
張り上げられた声が、醸造室に響き渡る。巨大なタンクがずらりと並ぶ第73階層には、醸された小麦の芳香が立ち込めていた。
エミシは全てに絶望した表情で、俺に飛びかかってくる。その手には黒いビール瓶がしっかりと握られている。
「うぉわっ!? ちょ、それは――」
『うるさいうるさいうるさいうるさーーーーい! 飲まなきゃやってられるかってんですよ! 朝から晩まで無茶な発注かけやがって! 畑耕すのもタダじゃないし、野菜は一日でできるわきゃないんですよ!』
ばりんと床で瓶を叩き割り、尖ったほうをこちらに向けて、明確な殺意がほとばしる。慌てて逃げる俺を、エミシは絶叫しながら追いかけてくる。
「俺は何にも悪くないんじゃ」
『レッジさんもレッジさんですよ! ウェイドが砂糖狂いになったのも、T-1が稲荷狂いになったのも、全部レッジさんのせいでしょ!』
「言いがかりだ!」
『ふしゃーーーっ!』
地下に秘匿された醸造所。ここでエミシは密かにビールを醸していたらしい。なるほど、大量の小麦を必要とするわけだ。彼女が小麦の品種改良に熱心になっていた理由もわかる。
しかし、エミシの特産品としてビールが挙がったという話は聞かない。つまり、ここで造られたビールは全て、自家消費されたということか。
『エミシ、肝臓は大事だぞ』
『うるしゃーーーーーいっ!』
全く聞く耳を持ってくれない管理者は、割れたビール瓶を手にして再び叫んだ。
Tips
◇エミシビール
地上前衛拠点シード01EX-スサノオ内でわずかに流通するという幻のビール。出所は定かではなく、また量は非常に少ない。熱心なビール好きがどこからか手に入れる幻のビールであり、独特の風味があるという。
Now Loading...




