第2097話「小麦畑の病獣」
〈エウルブギュギュアの献花台〉第五階層に存在する宇宙空間は、実寸大ではない。過去に時空間構造部門が行っていた研究の残滓として発生したこの宇宙は、全体的にミニマルなものになっている。現在もその終端を観測することこそできていないものの、内部に存在している天体のほとんどは叩き割ることができる程度のものでしかない。
その結果としてたとえ大気が存在する惑星であったとしても、その大気圏の厚さは比例して薄くなっている。
「パラシュートの減速が間に合わないんだが!」
「外の世界と同じように考えてたらダメだったねえ」
「ほぎゃーーーーーっ!?」
小型宇宙船艦アサガオ級の底部タラップから勇み足で飛び降りたカエデたちは、その数秒後に後悔することになる。薄い大気ではパラシュートの減速効果も低下する上、高度が足りない。見る見る近づいてくる地表の小麦畑に、フゥが悲鳴をあげていた。
「モミジはなんか余裕そうだな!?」
「うふふ。お兄ちゃんが焦ってるところ見るの久しぶりだから、ちょっと嬉しくて」
「言ってる場合か!」
耳元で風が叫ぶなかでも元気に夫婦漫才を繰り広げる二人。その真横を黄金の塊が落ちていく。
「行きますの行きますの行きますの行きますの〜! 星と私、どちらが硬いか勝負ですの!」
パラシュートも開かず、身体を直線にして空気抵抗を減らしながら落下する光である。背中の盾も重りとなり、空気抵抗を突破する。チリチリと黄金の髪の先端が焦げるのも構わず、威勢よく声をあげていた。
「ちょっと光ちゃん!? 何とち狂って、ていうかこのままじゃ全滅だよおおっ!」
度肝を抜かれたフゥが悲鳴をあげる間にも、地上はぐんぐん近づいてくる。
「ほわーーーーーっ!」
「『ロングスロー』、ブラストボム!」
フゥが死を覚悟して目を瞑ったその時、余裕をもって落下していたモミジが地面に向けてそれを投げる。内部に高密度に圧縮された気体と爆薬を仕込んだ鉄筒が、地面に衝突して破損する。瞬間、凄まじい爆風が小麦を薙ぎ倒し、土壌を抉り、それでもなお飽き足らず上方に向けて激しい風を噴き上げた。
「おわあああっ!?」
ぼふんっ! とパラシュートがその風を受け止め、フゥとモミジの落下速度は急激に鈍くなる。
「ふぉーーーーーっ! ですのっ!」
爆風によるエアクッションが間に合わなかったのは二人。
光は誰よりも早く地表に墜落し、がばりと元気よく頭を上げる。彼女の防御力は、星の引力に打ち勝った。
「――ふぅんっ!」
続いて地表に到達したカエデは、着地の瞬間に滑らかな前転を繰り出すことでその勢いを巧みに分散させ、ほぼ無傷での受け身に成功していた。これは〈受身〉スキルによるものではなく、純然たる彼の技量の成せる技であった。
「二人とももう人間じゃないよ……」
「そもそも私たちはロボットですよ?」
ふわふわと揺れながら軟着陸を果たしたフゥが青白い顔をして溢す。モミジの的外れなツッコミに、返す余裕もないようだった。
「まあ、なんとかなったのは良いが、ゆっくりしてる暇はないぞ」
ぐったりとしてそのまま座り込みそうなフゥに、カエデが鋭い声をかける。彼はすでに警戒の表情で、刀も抜いていた。
タイプ-ライカンスロープであるフゥの敏感な嗅覚が、香ばしい小麦の香りに混ざった生々しい腐臭を捉える。
「カエデくん、これって……」
「良かったな。俺たちもイベントに参加できそうじゃないか」
生命力の漲る黄金色の小麦が、黒く変色して倒れていく。上空から見ていた黒色に変化していたポイントが、急激に拡大を見せていた。
盾を構える光の眼前に、それは姿を現した。
『ジ、ュ、ジュァ……ッ!』
ドロドロと溶け落ちる表皮。露出した骨までもが黒ずんだ、異常な風貌。眼は黄濁し、涙が出るほどの腐臭を撒き散らしている。
「しばらくこの惑星農園で作られた小麦は食べたくありませんの」
光が口をへの字に曲げるのも責められないほどに、それは不潔だった。
「どうしてこんなところに、最前線のネズミがいるの!?」
悲鳴をあげるフゥ。
その背後で冷静に鑑定を行うモミジが判明させた敵の名前は、"腐り爛れる病獣"というものだった。
Tips
◇パラシュート
高高度からの落下に際して、その速度を低減し着地の衝撃を和らげるために使用される装備。穴を開けられると大変。
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