第2096話「黒い腐敗臭」
一面に広がる黄金の波が輝きの帯を揺らしていた。人工太陽衛星から常に光を受け、豊富な水と栄養を注がれることで常に生長を続ける小麦が、地平線の彼方まで大地を覆っている。
「これが惑星農園かぁ。ここの小麦だけで、パン何個分くらいになるんだろ」
ここは異次元空間に拡張された擬似宇宙に浮かぶ惑星のひとつ。管理者エミシによって地表の全てが開墾され、小麦を育てることだけに特化させられた異形の天体である。
その地表を舐めるように飛ぶ小型の宇宙船、アサガオ級高機動軽装宇宙船艦の窓に額をくっつけて、虎柄の毛並みの少女が感嘆の声をあげた。
「エミシのおかげで食料の価格がかなり下がったらしいな。それまでは調査開拓員が畑をやるとしても、別荘に小規模な家庭菜園をもうける程度だったって話だ」
「それが一気に惑星規模に広がったんだから、凄まじいよねぇ」
SCS-アサガオによる自動航行は安定している。惑星の薄い大気圏下でもブルーブラストの青い尾をひきながら、滑らかに飛翔を続けていた。
船内でのびのびと過ごしているのは、〈紅楓楼〉の四人である。着流し姿のカエデは二振りの小太刀のメンテナンスに余念がなく、ピンクのナース服に身を包んだモミジは、フゥと共に眼下の絶景に圧倒されている。
「はぁ……。私も〈月輪の弑殺〉に参加したかったですの」
そんな中でひとり、肩を落としてテンションの低い少女がいた。メイド服に身を包みながら、その傍らには似つかわしくない巨大な黄金の盾を置いた、〈紅楓楼〉の盾役こと光である。
「コピーされると厄介だからな」
ぽんぽんと小太刀の刃に打ち粉をしながら、カエデが言う。
「"贋物の虚影"が光をコピーしたら、誰も倒せなくなるだろ」
「そんなことはありませんの! きっとレティちゃんなら、あの子ならやってくれますの!」
物理防御力特化の光は、機動力どころか移動の自由すら捨てるほどの極端な構成で、凄まじい防御力を誇る。後方支援のアーツバフを前提とする〈大鷲の騎士団〉の重装盾兵部隊とは違い、〈紅楓楼〉にバフ要員がいない彼女は素の状態で非常に固い。
そんな光が前に出ると周囲に迷惑がかかるということでカエデが一旦イベントへの参加を控えたのだ。
しかし光は諦めきれず、こうして遠く塔の中の宇宙までやってきてなお、むにむにと言っている。
「代わりに暴れられる舞台を用意してやったんだ。こっちで我慢してくれ」
「何もない小麦畑で遊べと言われましても、困りますの」
光の気持ちを逸らすため、カエデたちはここにやってきた。エミシから公開された任務のひとつで、惑星農園の安全確保というシンプルな内容であった。
指定された農園を、指定されたルートで巡るだけで、かなりの金額が転がり込んでくる。エミシとの信頼関係を一定以上にしておく必要こそあるものの、かなり美味い儲け話である。
「そもそもこの任務も怪しいですの。いくらなんでも報酬が高すぎますの」
「イベントに人が集中して、こっちは人手不足なんだろう。後方支援物資の原材料もここで作ってるから、止めるわけにはいかないしな」
疑念の深まる光にカエデは適当に答える。
いまやエミシの惑星農園は調査開拓団の胃袋を支える重要施設だ。次々と開拓司令船アマテラスから地表に投下される調査開拓員たちも、エネルギーがなければ動くことができない。彼らの活動、ひいては領域拡張プロトコルの進展に直結するのが、食料なのだ。
「でも、全然変なところないよね。もうすぐ巡回ルートも終わるし」
虎柄の尻尾を揺らしながら、呑気にフゥが言う。
彼らに課せられたのは、"異変発見時の初期対応"だけである。アサガオはSCSによる自動巡航で規定のルートを進んでいるし、地表の観察自体も船に搭載されたカメラ類で自動的に行われる。今の所、〈紅楓楼〉の出番は皆無といって良かった。
「大方、エミシも他の管理者に言われてやってるんだろ。唸るほど金は稼いでるだろうし、羽振りがいいのはありがたいがな」
エミシの惑星農園から各都市に輸出される作物の量は膨大だ。〈ウェイド〉が大量の砂糖を購入し、更に品種改良にも多額の投資を行っているのは周知の事実だが、他の管理者も似たり寄ったりである。〈サカオ〉向けにはさまざまなスパイスが、〈キヨウ〉には米や大豆が、惑星農園複数個の規模で生産され、送り出されている。
そのおかげもあって、エミシは比較的若い管理者にも関わらず、その懐事情はかなり暖かいと言われていた。
ただの巡回任務にも、ポンと札束を載せられる余裕があるのである。
「ふー。じゃあ、このまま何事もなく終わってくれたら――ほぎゃーーーーっ!?」
ぐぐっとのびをしながらモニャモニャとフゥが呟いた、その瞬間だった。突然船内にけたたましいアラートが鳴り響き、赤い非常灯が乱舞する。思わず飛び上がったフゥが窓の外に見たのは、黄金の中に滲む黒いもの。収穫間近の小麦が腐敗する異様な光景だった。
「な、なななっ!? もしかして、あれが異常!?」
「そうみたいだな。喜べ光、仕事だぞ」
「待ってましたの!」
目を白黒させるフゥとは対照的に、カエデの動きは迅速だ。光も好戦的な笑みを浮かべて立ち上がる。
SCSが船を緊急停止させ、黒い腐敗に詳細なレーダー測定を行う。
『搭乗員に通達。前方300m地点の黒色腐敗地点に降下し、その原因を究明せよ』
SCSから、"異変発見時の初期対応"が命じられる。
〈紅楓楼〉の面々は、轟音と共に開く底部タラップから、黄金の小麦畑へと飛び降りた。
Tips
◇打ち粉
刀身の油を落とすために施す砥粉。使用することで切れ味の劣化速度が低下する。
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