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ヴォーパルバニーと要塞おじさん  作者: ベニサンゴ
第35章

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2093/2155

第2093話「金に値する物」

 たとえば、物理エンジンの破綻による挙動の暴走。開発者の意図しない動作によって引き起こされるオブジェクトとの干渉。世紀の大規模演算機で組み上げられるFPOであっても、そういったバグと呼ばれる現象は拭いきれない。

 常に基幹AIの一つであるテクニカルAIがバグの検知と修正を行なっているとはいえ、それと同等かそれ以上の規模で成長を続けるプログラム群には必ず不備が生じてしまうものなのだ。

 しかし、一昔前のビデオゲームであれば笑いの種となり、ともすれば競技的なテクニックにまで昇華されることも珍しくないバグは、ことVR環境下においては非常に危険なものにもなりうる。

 自分の肉体が捩れることでも、人は簡単に精神的な負荷を感じるものだ。吹き飛んだり、焼きついたり、世界そのものが変容したり、開発者が想定していない以上のストレスが降りかかると、強制ログアウトでも間に合わないほどの甚大な健康被害が生じることもある。

 そのため、世に流通している全てのVRヘッドセットおよびVRシェルといった仮想空間没入機器には、国際標準規格としてデータバッファ機能が搭載されていた。

 バグなどの極端な事象によってプレイヤーへの情報暴露が著しく上昇した場合、それが受容される前に検知し、制限するもの。いわば情報の調整弁とも言える安全装置だ。

 ちなみに俺が使用しているVRシェルにはそれが付いていないというか、邪魔だったから外しているのだが……。とにかく。


「これは……"贋物の虚影"が全て倒れてます……」


 死屍累々の惨状を見渡して、レティが呆然と立ち尽くしている。

 舗装された大地の上に、無数の調査開拓員たちが倒れていた。否、よく見てみれば倒れているのは赤い三角形のタグが表示された者だけ。つまり、"贋物の虚影"ばかりだ。

 T-2から一斉送信された凄まじい大容量のパッケージは、調査開拓員の能力を完全に模倣している"贋物の虚影"にも当然の如く届けられた。より正確には、浴びせられたというべきか。

 俺たちの脳に直接流し込まれた情報は、9,800TBに上る。当然ながら、人間が耐えられるものではない。言ってしまえば国会図書館を濃縮したものをぶち込まれたようなものだ。


「あまりの情報量に耐えきれなかったのでしょう。プレイヤーとNPCの差ですね」


 データバッファが発動したことにより、レティたち本物のプレイヤーはその情報爆撃をより下層のレイヤーで阻むことができていた。しかし"贋物の虚影"はVRヘッドセットを装着しているわけでもない。そのまま新鮮な情報爆弾が産地直送で頭に叩きこまれ、爆発四散したのだった。


「……とりあえず、ちょっと管理者代理とお話ししたいのですが」


 ウェイドが静かに怒りを溜めている。完全自律モードを維持しなければならない彼女は、管理者代理と話をすることもままならない


「とりあえず、後片付けをしましょうか」

「そうね。リポップする前にさっさとやっちゃいましょ」


 レティたちは急展開に置いていかれている他の調査開拓員に呼びかけ、倒れた"贋物の虚影"を片付け始める。一撃で仕留められた"贋物の虚影"からドロップするのは、完璧に模倣された調査開拓用機械人形だ。つまり、精密部品やレアメタルの山と言い換えてもいい。

 ひと稼ぎできる千載一遇のチャンスに、徐々に周囲が沸き始める。

 そんな最中、俺は遠くに残っていた木の影からちょいちょいと手招きする仮面の女に気が付いた。


『すまん、シフォン。カミルとウェイドを見ててくれないか』

「はえ? はーい」


 シフォンに非戦闘員の二人を任せ、木の方へ。


「大変なことになりましたね」

『まあ、俺は別に大変じゃないんだが』

「そういう話じゃねえんですよ」


 木陰で待ち構えていたのは、白い仮面で顔を隠したタイプ-ヒューマノイド。ただし一般人ではない。おそらく彼女の姿は他の調査開拓員の目には表示されていないはずだ。


『GMってのも案外忙しいんだな、イチジク』

「予想外の仕事なんですよ。まったく」


 イザナミ計画実行委員会、つまりはFPOの運営側に所属するGMにして、現実の方でも俺を見張っている頼れる護衛。イチジクは深い深いため息で、現在の胸中を雄弁に語った。


『おっと、今回ばかりは非難される謂れはないぞ』


 あらかじめ先手を打っておく。

 情報爆弾を仕掛けてきたのはT-2であって、俺は何も関与していない。


「そもそもT-2に人格が入った経緯を考えれば……。いえ、ここで重箱の隅を突くような真似はやめましょう」


 何か言いたげな顔をするイチジクだったが、すぐに頭を振る。いつになく殊勝な態度で、逆に不気味だ。


「なんです、その顔は」

『いえ、なんでも』


 なんで仮面着けてるくせに視線がビリビリ突き刺さってくるんだろうね。


「まあ別にいいんですよ。NPCのやったことは広義のバグに分類されますし、データバッファがちゃんと発動したので健康被害はないですし。安全管理部門も報告書書くの面倒そうですし」

『一応俺って一般調査開拓員なんだが?』


 なんでこのGMは一般人の前でグチグチと。ストレスでも溜まってるんだろうか。ちゃんとあったかい風呂に入って、腹一杯食べて、たっぷり寝てほしい。俺なんか一日24時間寝てるぞ。がっはっは。


「またしょーもないこと考えてますね。あなたの脳波は常にモニタされてること忘れてませんか?」

『水を差すようなこと言うなよ。面白くないな』

「はぁ……。T-2が作成したパッケージ、全部読みましたか?」

『まあ、さらっとな』


 どうやらわざわざGMがログインしてきた理由は愚痴を言うためではなかったらしい。イチジクはこちらに向かって手を伸ばす。


「イザナミ計画実行委員会GMイチジクとしてではなく、〈シークレット〉の担当警護官として、あなたに頼みたい。そのデータ、なんとか書き留めてもらえませんか」


 FPOは、清麗院グループが擁する巨大なデータセンターの莫大な演算能力の上になっている。それが全体を見ればたったの数%に占めるものでしかないとはいえ、世界的に見ても類を見ないほど潤沢な計算量だ。そこの指揮官クラスという上位NPCが作り上げた都市運営改善パッケージというものは、ただのフレーバーテキストに収まらない。


「そのパッケージひとつでも、データセンターに直接依頼して計算してもらうなら数百億は下らない。そんなものをむざむざデータバッファの炎で溶かすのはあまりにも損失が大きすぎる」


 だから、そのデータを渡せと彼女は言う。

 あまりにも荒唐無稽な話だが、現実はシビアで、何より冷静だ。T-2の解析能力は本物だし、〈ウェイド〉が抱える諸課題は現実にも転写可能なものばかりだ。


『ひとつ。ゲームと現実は区別を付けるべきだぞ、イチジク』


 彼女が苛立っているのは、仮面越しにもよく分かった。


『そしてもう一つ。――君らが欲しがってるのは、こんなシンプルなものだったのか』


 200TBのパッケージ。圧縮してしまえば、片手に載る程度の情報でしかない。このために彼女たちはデータセンターに間借りして、俺を地下の狭苦しい場所に押し込んでいるのか。


「そういうわけでは……。しかし、我々も渉外というものが」

『そうか。……大変だな、大人ってやつも』


 何故か、イチジクは焦っている。

 俺は踵を返し、レティたちの元へと戻った。

Tips

◇データバッファ

 VR没入機器に標準搭載されている情報制限機能。突発的かつ例外的な、著しい情報暴露による健康被害を防止するための安全弁。

 過去に発生した事故を教訓に、全世界の全てのVR没入機器に搭載が義務付けられている。


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― 新着の感想 ―
ひぇ、9.8PBのデータから200TBの必要なデータだけを人力でピックアップしてる...
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