第2018話「よい商談」
『うぇぷ……』
〈シスターズ〉のシフトが終わるのは14時。開店は7時なので、ちょうど7時間の勤務ということになる。とはいえ完全にノンストップというわけではなく、間に休憩も挟まれる。管理者たるもの7時間の連続勤務ができないはずもないのだが、ホワイトな職場なのである。
そんなわけで、むかつく胃を抑えながらバックヤードに戻ると、午後から勤務のアマツマラとホムスビがスタンバイしていた。
『あっ、ウェイド――じゃなくて、今はレッジさんっスよね。なんだか顔色が悪いっスけど、どうかしましたか?』
しっかりとメイド服を着こなしたホムスビが、俺の様子を機敏に察知して駆け寄ってくる。促されるまま椅子に腰掛け、ようやく少し落ち着いてきた。
今の俺の顔は、鏡を見なくてもわかる。きっと土気色とはこのことだろう。
『助かるよ、ホムスビ。いや、ちょっと食べ過ぎただけだ』
『食べ過ぎ……? ああ、確かにいつもの調子で差し入れ貰ってたら、そうなるわな』
ホムスビは親切にブラックコーヒーを淹れて持ってきてくれる。それを飲むと、口の中を分厚くコーティングする砂糖が少しだけ流しおとすことができた。
アマツマラも、納得がいった様子で腕を組んで神妙な顔をしている。
『なんでアイツは、自分の勤務中に差し入れを貰ってるんだ』
『ファンの奴らが餌付けしてるってコトだな』
3時間の勤務で、一生分の甘味を食べた気がする。ウェイドに会うことを目的に来店する調査開拓員が、軒並み巨大なスイーツを持ってくるのだ。ホールケーキ程度ならばまだマシなほうで、スイーツブュッフェか甘味の満漢全席かとでも言いたくなるような物量が送り込まれてくる。
ある程度は「後で食べる」と言って回避することもできたのだが、普段のウェイドはあろうことかその場で全部食べていたらしい。そんな状況で今日だけ一口も食べないとなると、中身が俺であることが露呈する可能性もあった。そんなわけで、なんとか一口二口程度を食べたのだが……。
『ホムスビ、もう一杯もらえるか?』
『はい!』
なんでウェイドはあれを食べ続けて平然としてるんだ。と戦慄すら覚える。
砂糖菓子をそのまま煮詰めても、あんなに甘くはならないだろ。俺が甘いものがそこまで得意ではないことを抜きにしても、あれは常人が楽しめる閾値を超えている。
『でも、なんとかやり遂げたみてェだな。特にクレームもついてねェみてェだし』
『それなら良かったんだが……』
普段のウェイドの接客なんてほとんど知らないからな。とりあえずはスサノオのやり方を見つつ、あとは流れでなんとかやっていた。いつもと雰囲気が違うように指摘されることは何度かあったが、中身が変わったとはついぞ看破されることはなかった。まあ、普通はそんなこと思いもよらないか。
『それよりも』
久々のコーヒーで味覚がじんわりと正常に戻ってくるのを感じていると、ぬっとアマツマラの顔が飛び込んできた。いつもとは違うガーリーなメイド服が新鮮だが、本人はそんなものを全く気にする様子もなく、俺の鼻先まで近づいてくる。
『な、なんだよ?』
『急に金属資源の注文が大量に入ったんだが、どういうこったい?』
小さな口から飛び出したのは、管理者としての真面目な問い合わせだった。
〈シスターズ〉の勤務中も、本来の管理者業務は滞りなく行わなければならない。事前に計画された都市開発プランに基づいて、他の都市との交易のやり取りや、各種NPCへの指示出しとフィードバックを受けての指令変更など、やるべきことは本当に多岐にわたる。
そのうちの一環として、俺は〈ウェイド〉から〈アマツマラ〉へ金属系の資源各種をざっと25Gビット規模での購入注文を出していたのだ。
『普段は大口でも1Gビットを抜くかどうかってェくらいだろ。それがいきなり25Gビットともなりャ、一応確認は必要かと思ってな』
『それもそうか。事前に一言伝えておけば良かったな』
『てこたァ間違いって訳じャないんだな?』
わずかに目を見張る赤髪の管理者に、俺も頷く。
『ざっと都市の状況を確認したところ、拡張の計画が進んでいないところが244ヶ所、老朽化や破損で修繕が必要なものが1,299ヶ所あった。それとは別に、俺の独断と偏見で、手を入れるべきだと判断した場所も3ヶ所くらい。そのへんをまとめて、必要な資材を計算したらそれくらいになったんだ』
『ウェイドも別に、怠けてたわけじゃないっスよね?』
隣で話を聞いていたホムスビが首を傾げる。
たしかにウェイドの怠慢というわけではない。列挙したものは全て、緊急性が高いものではないのだ。
『とはいえ、ウェイドが砂糖の備蓄庫開発やら砂糖品種改良支援金やらに金を突っ込んでなけりゃ、もう作業完了してたはずの場所だよ。あいつも自覚はあると思うぞ、全部巧妙に隠されてたからな』
『ウェイド……』
重要な場所でないとはいえ、砂糖に優先されるものでもない。俺にも多少の遠因はあるだろうし、この機会に禊ぎを済ませておこうという程度の話だ。
『なに、土木NPCを手動操作で総動員すりゃ、コストもある程度抑えられるさ』
『さらっと言ってるけど、レッジさんじゃないとできないことっスよ、それ』
ウェイドの代理として管理者をしているのだから、この程度のことはしておかないとな。後で何を言われるか分かったもんじゃない。
『それに、アマツマラの方には買い注文だけじゃなくて売り注文も出してるはずだろ』
『あァ? この砂糖の山のことかい?』
『ああ。エレクトロシュガーをざっと2,000トン』
食べるとビリビリとした刺激が癖になる、新開発の砂糖らしい。ウェイドの隠し貯蔵庫に、山のように積み上げられていた。これを全て売り払えば、25Gビットの支出にもある程度埋め合わせができるはずだ。
『オレはウェイドと違って、砂糖狂いってワケじャねェぜ?』
『知ってるさ。エレクトロシュガーは食用にもなるが、工業素材としても有用なんだ』
押し売りかと身構えるアマツマラに、準備していた論文を渡す。素材検証系バンドがPDBに公開しているもので、エレクトロシュガーを金属系精密部品の研磨剤として使用する際の有用性について詳細に述べられている。
〈アマツマラ〉は元々工業的な色の強い都市だが、下に採掘専門の〈ホムスビ〉ができてからはより機械工業産業が強くなってきた。精密部品なども主力の輸出商品になっている。エレクトロシュガーを用いれば、nm単位での微妙な金属加工も容易かつ安価にできるようになるはずだ。
彼女も管理者だ。情報を渡せば、すぐに理解できる。
『ふゥん、悪い話じャなさそうだな』
にやりと笑うアマツマラ。商談はうまく運んだようだった。
『……なんというか、ウェイドよりも管理者らしいことしてるっスねぇ』
ニコニコと笑って握手をする俺たちを見て、ホムスビがそんなことを言っていた。
Tips
◇エレクトロシュガー
特殊な結晶構造で、刺激を受けることで強い電気を発生させる砂糖。咀嚼するとビリビリと痺れるような刺激が口の中を満たす。その刺激が甘みとマリアージュすることで、新境地の味が体感できる。
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