第2012話「さみしい心」
砂糖の波が襲いかかってきた。白く幻想的な光景だが、それが自分を狙っているとなれば話は別だ。
「危ないだろ、死んだらどうする!」
『どうせこの程度では死なないくせに!』
波に風穴をあけ、通りぬける。それを読んでいたかのように、ウェイドは次の攻撃を繰り出していた。砂糖の結晶が巨大な杭となってこちらへ迫る。
ウェイドは戦いのなかで砂糖の操作技術を急速に高めつつあった。
今や、彼女の周囲には砂糖の盾が浮遊し、生半可な攻撃は届きすらしなくなっている。一方であちらからはミサイルのように巨大な砂糖の塊が飛んでくるのだがら凄まじい。
「大事な砂糖で遊ぶなよ」
『後で責任を持って美味しくいただくのでご心配なく!』
どう見ても食べ切れる量ではなさそうなのだが、ウェイドが言うなら間違いないとも思える。この2000年、飽きることなく砂糖を貪り続けてきた管理者だ。面構えが違う。
ウェイドは怒りに任せて次々と大技を連発してくる。彼女の意思のままに形を変える夢の世界は、俺に容赦なく牙を剥く。彼女が攻撃を繰り出すコストはゼロに近い。
「まったく、こんなレイドボスがいたらレビューは星ひとつばっかりだぞ」
『何を訳のわからないことを言ってるんですか。死になさい!』
思わず口から漏れ出したぼやきにも細やかに反応し、ウェイドが砂糖の塊を飛ばしてくる。食べればたいそう美味いのだろうが、音速に近い速度で飛んでくる巨大質量の結晶は純粋な殺意でしかない。
『あなたはいつもいつもいつもいつも私の邪魔ばかりをして! 目障りなんですよ! ここは私の、唯一の安寧の地だったのに!』
木々までもが白く砂糖化された森の中心で、彼女は喉が張り裂けるような叫びをあげる。
その慟哭に呼応するように、世界そのものが波うった。
「っ! ウェイドの意識が活性化すると、世界の強度が落ちるのか……!」
彼女の意思を強く反映する夢の世界は、ウェイドが深い眠りに落ちているほどその構造を堅固にする。逆に言えば、彼女の眠りが浅くなれば脆くなる。
「落ち着け、ウェイド。ゆっくりと目を覚ますんだ」
『しゅがーーー! 五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い! 私に指図を、命令を、指示をするな! 管理者ですよ、私は! あなたを管理するのが、私の役割なんですよ! だから!』
怒り心頭のウェイドには、こちらの呼びかけも届かない。
彼女がおもむろに手を伸ばせば、地面がボコボコと隆起し、巨大な塊となって浮遊する。ぐるぐると体の周囲を巡らせる中で加速したそれを、弾丸のように発射する。
『今すぐ、消えなさい!』
「うぉおおっ!?」
それまでの質量に任せた暴力とは一味違う。
その巨大な弾丸が通ったあとには、何も残らない。世界そのものを消滅させる弾道を描いて、巨岩がせまる。
「一旦落ち着けって、ウェイド! 俺たちで争っていても仕方ないだろ!」
その射線から離れながら、説得を続ける。
彼女が落ち着きを取り戻しゆっくりと安全に覚醒するのが最善の結末だ。俺はそこを目指さなければならない。
『うるさーーーーーーいっ!』
しかしウェイドはこちらの言葉に耳を貸さない。
もはや対話そのものが成り立たないほどに、彼女は暴れ回っている。次々と手当たり次第に物を投げつけ、世界そのものを消し去ろうとしている。
「我を忘れるな! ウェイドらしくないぞ」
『――っ! あなたが、』
彼女の目の色が、明らかに変わった。
『あなたが私を作ったんでしょう! ただの管理AIにすぎなかった私たちクサナギに仮想人格を与え、個性を芽生えさせた。全てはあなたの蒔いた種でしょう! それを今更、何をほざいているんですか!』
激昂は限りなく、彼女は射殺すような眼光を飛ばす。虎の尾を踏みつけたことに、遅ればせながら気付く。
『私たちに感情なんて必要なかった! 甘いものを食べて美味しいと感じる必然はなかったんです! ただ合理的に、無慈悲に、機械的に全てを判断し、管理することこそが私たちの使命であり存在理由だったのに! あなたのせいで――!』
急速に世界が歪む。
明らかに感情が昂りすぎていた。
「ウェイド、このままだと二人とも巻き込まれるぞ!」
『美味しいものなんて、知らなければよかった。楽しいことなんて、感じなければ! 全て、シードを叩き落としたあなたのせいです!』
いや、あれは最終的にはレティが。
『うるさい! 企画発案はあなたでしょう! 責任転嫁するな!』
ぐうの音も出ない。
『めちゃくちゃなことばかりして、責任も取らない! 連絡も取れない! そもそもどこにいるかも分からない! 管理されるのがあなたの義務でしょう! 責任から逃げるな、卑怯者!』
「うぐ。そ、そこまで言うことないだろ。ちゃんと相応の償いは……」
『そもそも贖罪が必要なことをするなと言ってるんですスカポンタン! 真面目に調査開拓活動に邁進していれば、こんなことにはなっていないんですよおたんこなす!』
拳を振り上げ、空が揺れる。
彼女が消去した世界の隙間に手を差し込んで、なんとか枠だけは維持しなければ。この夢の世界が崩壊すれば、俺もウェイドも無事に戻れる保証がない。
無理を承知で、ウェイドの元へと再び近づく。
「すまなかった、ウェイド。ちゃんと反省するよ」
『耳障りのいいことばかり! もう騙されませんよ!』
謝罪しても、受け取ってもらえない。
日頃の行いが悪いのだろうか。
代わりに飛んできたのは、即至級の攻撃ばかりだ。
「もう勝手なことはしない。ちゃんと事前にウェイドに相談する」
『自分で善悪と良し悪しと周りへの影響を考えろと言ってるんです! 想像力を働かせ、一般常識を学べと何度言ったら分かるんですか!』
「ぐう」
いっそ清々しいまでの正論だ。
しかし、それこそがどうにも難しい。他者に合わせるとなると、途端に足元がおぼつかなくなってしまうのが、俺の悪い癖だ。
砂糖の波を掻い潜り、木の枝と根の波状攻撃を乗り越えて。
気がつけば、ウェイドの眼前に立っていた。銀髪を乱れさせ、青い目を光らせる彼女。その手を握る。華奢な肩に手を置く。
「――ごめんな、ウェイド」
2000年の享楽に浸っていた少女は、まるでそんなものは無かったかのように虚ろな表情をしていた。思わず膝を突き、抱きしめる。
「ずっと寂しかったのか。そりゃあ、満たされないよな」
どれほど腹に砂糖を注いでも、心は空っぽのままだろう。
本来、心など持たないはずのウェイドにそれを与えたのは、たしかに俺なのかもしれない。
『う』
耳元で、声がした。
『うぇああああああああっ!』
滂沱の如く、涙を流す。
彼女はとても完璧で無慈悲で冷徹な管理者には見えない。ただの幼い少女のようだ。
他に誰もいない、夢の世界の中でくらい、その鎧の下の柔らかい心を曝け出してもいいはずだ。
「なに、時間ならたっぷりあるさ。思う存分泣いてくれ」
世界の51%以上をこちらの手元に納めた。
これでひとまず、崩壊の危機は去っただろう。コンパスにはお礼を言わないといけないな。
――色々と思いも巡るが、今はただ泣きじゃくる彼女を支えることだけに集中する。
Tips
◇砂糖の弾丸
夢幻の失楽園にて、主が繰り出す白い弾丸。ただの砂糖と侮る者から、白く砂糖化して崩れ去る。
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