第2010話「超越する頭脳」
清麗院グループ所有のデータセンター。その片隅に併設されたFPOテクニカルAI監視部の研究室は、その上位組織である先端科学技術研究所によって制圧されていた。
テクニカルAIに対する緊急停止措置は中断され、主任研究員を筆頭とする職員は民間警備会社シークレットの黒服たちによって保護された。
「これは、素晴らしい……! 予想以上のことが起こっていますよ」
大画面に映し出されたのは、夢の世界で激突するレッジとウェイドの姿。神に匹敵する力を持ち、天変地異を巻き起こすウェイドに、レッジがシュガーと共に立ち向かっている。
その光景だけでも大作アクション映画の一幕として成立しそうなほどに激しい攻防だった。
しかし、先端科学技術研究所技術部主任研究員の桑名は、その隣に表示されたログを見つめて驚嘆の声をもらしている。黒い背景に緑色の記号群が次々と映し出される無機質な画面だが、見る者が見れば莫大な情報を得られる。
「私は門外漢なのでさっぱりですが、何か起こっているんですか?」
桑名の隣に立つ、がっちりと肩幅の広い屈強な女性――シークレットの花山が首を傾げる。彼女は腕っぷしこそ厚さ30mmの鋼鉄製扉を破壊する程度のものを持っているが、ログをリアルタイムに解読し状況を把握するほどの技能は持ち合わせていない。
「そうですね……。花山さんには、この状況はどう見えます?」
「ウェイドがレッジを圧倒しているように思いますね。いい気味です」
普段の鬱憤の溜まり具合が垣間見える笑みを浮かべる花山。桑名は苦笑しながら、首を横に振った。
「逆ですよ。彼はあえてこの状況に持ち込んでいる。ウェイドの方が乗せられているんです」
「ウェイドが? しかし、あの男も死にそうですよ?」
レッジは頭がおかしいが、ステータスを改変したりゲーム内の数値をいじったりというチート行為を行っているわけではない。レティやトーカどころか、ほとんどの戦闘職のプレイヤーと比べても、ステータス的に秀でたものはない。
対してウェイドの暴走は凄まじく、専門の盾職であっても凌ぐのは難しい。テントすら展開できていないレッジは、シュガーの助力を得てなんとか食い下がっているだけだ。
この、誰がどうみても窮地に違いない状況にも関わらず、桑名は意見を曲げることはなかった。
「あのログを読んだところ、彼は演算領域を拡大しています」
「演算領域というのは?」
「テント"失楽園"の制御部分ですね。マシンナイズして表現していますが、実際はもっと有機的かつ曖昧なものです。とにかく、ウェイドが暴れて世界を破壊した隙を突いて、破壊された世界に手を伸ばしているんです」
花山の頭に疑問符がいくつも浮かぶ。
「あの夢の世界はすべてウェイドのもの。ですが彼女自身が破壊している以上、その所有権は一瞬空白になります。彼はそこに手を伸ばして、着実に支配力を強めているんです」
「なるほど。性根が曲がっていますね」
彼らしい悪辣な方法である、と花山が一刀両断する。
だが桑名は注目するべきはそこではないと主張を続けた。
「あの夢の世界は、本人の意思がそのまま反映される一種のサンドボックス。ウェイドからレッジに所有権が渡ったところは、彼の思考を反映しています」
「つまり、それがどういうことなんです?」
「分からないんですか!? 見てくださいよ、このパターンを!」
ログが次々と書き換えられていく。
様々な文字、数字、記号。それらは一瞬たりとも固定されず、揺れ続ける。
異様な光景だった。研究員たちがざわつくなか、桑名の部下たちは全ての情報を集めることに専念する。
「ははっ! 素晴らしい、とても素晴らしいデータですよ、これは!」
上擦った声。
桑名はもはや、画面にしか目を向けていなかった。
「空宮玲司。現代技術の最先端を注ぎ込んでも追いつくことのできない、天然の超越計算機。その現実を逸脱した異常の思考パターンが、FPOの中で再現されているんです。彼が世界をどう知覚し、どう演算しているのか、その一端が垣間見える!」
ログファイルが書き換わる。
確定したはずの過去が、修正されていく。
本来ならばあり得ないはずの現象が、たしかに目の前で繰り広げられる。
桑名は――先端科学技術研究所そのものは、彼の深淵なる頭脳を再現するため、国家予算にも匹敵する巨額の予算を注ぎ込んでいるのだ。そのプロトタイプとして開発されたこのデータセンターで稼働しているFPOだからこそ、彼の思考と融合することができる。
「絶対に、全ての情報を余すことなく持ち帰りますよ!」
桑名は改めて部下に厳命する。
今ここに発生している思考の波紋こそが、人類を次のステージへと引き上げる至宝であると確信していた。
Tips
◇思考領域拡張
本来ならば単独で成し得ないほどの計算を実行するため、物理的な限界を突破するために行われる拡張。思考領域を自身以外の外界へと延伸させる。
現代においてもその詳細は解明されておらず、████においてその存在が仮定されている段階である。
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