第2006話「夢の中へ」
「嘘だろう、おい。食い意地が張りすぎだろ!」
ウェイドの機体を包み込む白い肌。機体保護の役割も持つスキンが溶けていく。たしかに彼女の肌は雪のように白いが、まさか、それさえも砂糖に変えるとは思わなかった。
可愛らしい寝顔から、無骨で無機質な調査開拓用機械人形の素体があらわになる。
「ウェイド、起きろ! 取り返しがつかないことになるぞ!」
『うにゅう。あと30トン……』
「何の量だよそれは!」
寝言で返事はしてくるが、起きる気配はまるでない。硬い金属フレームが剥き出しになった頬を叩くも反応は鈍い。
これは考えうる限りで最悪に近い。
ウェイドが自分自身の機体さえも手放し、砂糖に変えてしまうことは、絶対に避けたかった。調査開拓用機械人形を構成するパーツのなかで、白いものはスキンだけではない。関節部の緩衝パーツや、胸部シリコン、また電子回路の中にも抵抗器をはじめとして白いものはある。それらがまとめて砂糖化すれば、ウェイドは自身を維持できない。
「起きろ、ウェイド! おい!」
肩を揺さぶり、声をかける。
だが、瞼が開くことはない。アイの『覚醒失神交響曲』がウェイドを起こしてくれる可能性も少し期待していたが、そうはならなかった。交響曲は最終楽章へと突入し、蔦玉の勢いを大きく抑えてくれている。だが、ウェイドは眠ったままだ。
「レッジさん、こちらも余裕がなくなってきました!」
敵の注意を引きつけてくれているレティからも苦しげな声が寄せられる。
味方が一人また一人と倒れ、取り込まれているのだ。戦況は徐々に悪くなっている。
一刻も早く、ウェイドを起こさなければ。
「すまん、レティ。あと3分だけ稼いでくれ!」
「し、仕方ないですねえ!」
レティに託し、ケーブルを伸ばす。
ウェイドの機体が完全に壊れる前に、最終手段を実行するしかなかった。
「管理者機体にアクセスするのは、流石に骨が折れるぞ!」
半分テントに呑まれたウェイドの、幸運にも露出している首筋のポートにケーブルを差し込む。素晴らしきかな、共通規格。ケーブルはがっちりと噛み合い、光速で情報を行き来させる。
俺の視界に、無数のウィンドウとけたたましいアラート、鉄壁の電子障壁が立ちはだかった。
「レッジさん!? 何を――」
「揺さぶって起こせないなら、直接夢の中に入って起こすしかない!」
驚くレティに解説している余裕もない。
サブアームもフル活用して、キーボードを叩く。いくつものダミーを走らせてセキュリティの目を逸らしながら、難解な暗号を解くのだ。いったい誰がこんな面倒なセキュリティを固めたのかと悪態を吐きたくなるが、浮かんでくるのは俺の顔だけ。
過去の色々の代償として、ウェイドたちに標準的なセキュリティシステムを開発して提供したのだ。それがいま、自分に向かって猛威を振るっている。
「んふへええっ! レッジさん、レッジさんの美技が炸裂してるうううっ!」
背後から、頓狂な声がする。
「団長!? と、止まってください、あぶな――力強っ!?」
「後方に戻ってください団長!」
「あー、困ります団長! 団長困ります!」
「んふふっへへええっ!」
周囲の制止も振り払って、灰衣の少女が駆けつける。
彼女はギラついた目で、俺の隣にしゃがみ込んできた。
「ぜひ、私も協力させてください! 愛の共同作業と参りましょう!」
返事をする間も無く、彼女がケーブルを繋げてくる。
情報の処理が間に合わず意識が落ちるかと思ったが、その予想を裏切って〈鉄錠奉仕団〉のコンパスは素晴らしい活躍を見せてくれた。
「――ずいぶんやるじゃないか」
いや、それどころではない。
俺の計算速度について来るようなプレイヤーがいるとは、思いもしなかった。
「んふへっ♡」
彼女は笑い、次々とアラートを消していく。
バリケードの張り巡らされていた道が、薙ぎ払われていくようだった。
「本来は、本体の演算能力を使うのは色々違反行為に該当するんですが……。まあちょっとくらいはいいですよね♡」
「そういえばペンと仲が良さそうだったな。……そういうことか?」
「んふへっ」
世間は狭いというか、思ったより自由度が高いというか。
今ごろ、リアルはどうなっているのか……。考えたくもないし、そんな余裕もないので、鬼のようにかかって来る花山からの通知はオフにしておく。
「そういうことなら話は早い。コンパス、道の整備を任せていいか?」
「んふふへっ! お任せあれ!」
穴を開け、ラインを通す。後の柱や梁を置いて維持するところを彼女に任せる。
「とはいえ、こちらも少々足元がうるさくなってきました。30秒程度しかお力添えできませんよ?」
「それだけあれば、十分さ」
ラインをつなぐまで、2分ほど。
あとの30秒でウェイドを叩き起こして引き摺り出せばいいだけだろう。簡単な仕事だ。
「寝坊助を起こしに行こうじゃないか」
そのために、俺も夢の中へと潜らなければ。
意識を落とし、ケーブルで繋がった彼女の内側へと向かう。
Tips
◇スタンダードセキュリティ
全管理者にインストールされる電子的防御システム。外部からの悪意ある、もしくは無許可の接続を阻害し、管理者としての健全性を維持する。
ある調査開拓員によって開発され、提供された。様々な性能確認試験で極めて高い成績を収め、一定の信頼が得られている。
"バックドアは仕込んでいないでしょうね?"――管理者ウェイド
"そんな面白くないことするわけないだろ"――匿名希望開発者
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