第1917話「存在した奇書」
コボルドたちが住む地下の大空洞〈窟獣の廃都〉の中心に築かれた、地底都市〈クナド〉。その中枢である術式的隔離封印杭の中へと案内された。メイドロイドがすぐにお茶を用意してくれ、テーブルを囲んで話が始まる。
『それで、どうして白龍イザナミについて知りたいの?』
まず切り出したのはクナドである。直前までの取り乱した様は消え、冷静を取り戻している。優雅に紅茶など飲みつつ、余裕の佇まいだ。
「イザナギが過去の時代に戻って白龍イザナミを復活させようとしてるんだ。それをどうにかするために、まずは白龍イザナミのことを知る必要があると考えた」
現状、原始惑星にはイザナギが二人存在している。オリジナルである総司令現地代理としての黒龍イザナギと、それから力を大きく削がれた今のイザナギだ。根本の部分で同一な存在である両者が接触すれば世界に混乱が生じる。マーリンの言葉を借りるなら因果律が乱れる。
俺たちのするべきことは、イザナギを元の世界へと連れ戻すこと。そのためには、彼女の目的である白龍イザナミの復活について検証しなければならない。
「そもそも白龍イザナギとは何なのか。なぜ死んだのか。今は基本的な情報すら不足してるんだ」
少しずつ文献研究などから明らかになることもあるとはいえ、まるで巨大なパズルのピースを集めているようなものだ。完成品の名前こそ分かっているものの、全体像は判然としない。
『言っておくと、私たちも一から十まで知ってるわけじゃないわ』
紅茶を含み、クナドが言う。
彼女たち第零期先行調査開拓団は、現在の第一期調査開拓団とは基本思想からして違う。個々人の独立と独断が基本で、交流らしい交流はほとんどなかったのだ。レゥコとチィロックは上下関係があったが、そういったものは非常に緩い紐帯と言ってよかった。
そんな中では、総司令現地代理という物々しい肩書きも、字面から想像できるほどの権力を有していたわけではない。時折飛んできて、様子を見て帰っていく程度の存在としか認識されていないようだった。
「そもそも白龍イザナミは空を飛んでたのか?」
『白龍って言ってるでしょ。四つ足で立派な翼のある、あんたたちが想像するドラゴンそのものよ』
そう言って、クナドはおもむろにテーブルの上にある紙ナプキンを取った。さらに懐からペンを取り出し、さらさらと走らせる。
『クックック。刮目するが良い。〈淡き幻影の宝珠の乙女〉は偶像を世界へ顕現させる特殊なる能力、"幻想即興点描"の使い手なのだ!』
『うるっさい! ただちょっと絵が描けるだけよ!』
そうは言いつつ、紙ナプキンにはリアルなドラゴンの絵が浮かび上がる。ブラックダークのテンションが上がるのも納得の、かっこいい四つ足のドラゴンだ。
「これが白龍イザナミか?」
『少なくとも、私が知っている彼女の有機外装はこれよ』
ふむふむ。……ふむ。
「これ、見たことあるな」
『なんですってぇ!?』
四つ足の優美な姿をしたドラゴン。翼を広げて飛ぶところを見たことがある。あれは確か……。
「呑鯨竜の腹の中だ。無限に続く内臓ダンジョンから脱出するためにレティが世界の壁を壊したんだが、その時に助けてくれたドラゴンだ」
『な、何をやって……というかあっさり世界の壁を壊したって言わなかった!?』
人魚たちの都市〈アトランティス〉があるのは、巨大な海洋生物である呑鯨竜の胃の中だ。そこから更に降っていけば、無限に空間が拡張される腸内迷宮になっている。以前、そこを彷徨った果てに世界の壁を破壊して脱出しようとした。その時に助けてくれた白い龍とそっくりなのだ。
『つまりレッジ。あなたは白龍イザナミを見たと?』
「あれが本人である確証はないが、この絵にそっくりだぞ」
『この有機外装は唯一無二のユニークよ。――おかしいわね、白龍イザナミは死んでいるはずなのに』
確かに、この話は辻褄が合わない。
白龍イザナミははるか以前に死んでいる。その証拠として、現在はその魂と呼べるものが散逸して、そのうちの一部をT-3が掻き集めて作ったのがトヨタマだ。彼女がいるということは、白龍イザナミの死が決定付けられていることでもある。
「白龍イザナミはどうして死んだんだ?」
『それは私たちも知らないわ。気付いたら不在のまま何億年か経ってたから』
「零期組の時間感覚め……」
生命の種を投げ込んで、環境が安定するまで数千年。そこから生命が溢れ、知性に目覚め、文明が怒るまで何億年か。クナドたちも今ではウェイドと変わらない小さな少女の姿をしているが、元々はそんな悠久の時を眺め続けてきた存在なのだ。
さらにここでも零期組の個人主義が悪さを働いている。実質的なトップである総司令現地代理が失踪して数億年も気付かないのだから始末に負えない。
『白龍イザナミの死について、私たちも正直何も知らないわ』
『クックック……。〈白の書〉にはその記述があるとされるが――』
『黙れスカポンタン!』
ティーカップが宙を舞い、ブラックダークは無駄のない無駄な動きでそれを跳ね除ける。弾かれたそれはマーリンへと降り注いだ。
『……ま、私は傍観者だからね。騒いだり怒ったりしないよ』
「そうか……」
とりあえず、ハンカチを渡しておこう。
「そういえばブラックダークがちょいちょい言ってる〈黒の書〉やら〈白の書〉についても分からないんだよなぁ」
『はて? お主らは既に一冊を手中に収めているではないか』
正直ブラックダークの戯言だと思っていたのだが、彼女は意外そうな反応をする。ティーカップを防いだ独特なポーズのまま首を傾げる様子は、年相応の幼さもあった。
「俺たちが持ってる?」
『うむ。ほら、先日使っておっただろう』
「うーん……。うん? まさか……」
言われて思い当たる節は、ひとつだけある。
「"無題"のことか」
地下深く、〈オモイカネ記録保管庫〉の禁書封印区域にて守られていた謎の本。開けば狂い、記述されるのは未知なる言語。更には黒い龍がその中から現れる。その正体は、過去のできごとが記述されるという謎の本。
ブラックダークの言っていた深淵の書は、実在したのだ。
Tips
◇ "幻想即興点描"
〈淡き幻影の宝珠の乙女〉が有する999の能力の一つ。彼女自身が記した"ギア・メソッド"によれば、偶像を世界へ顕現させる術である。
能力の行使には媒体と投射物を必要とし、それらは〈淡き幻影の宝珠の乙女〉自身による祝福が施されなければならない。
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