第1911話「首を狩る赤き鬼」
木々が屹立し、大地を抉る。その衝撃は激震となり野火のごとき勢いで迫る。
トーカは後方に離れていく一団を見送り、一度呼吸を整えた。
形勢はあまりに不利である。そもそもが星の環境そのものを改変するほどの力を持つ天災じみた存在だ。そのような強大な敵に立ち向かい、抗えるはずがない。それでもやらねばならないのだ。空眼流の正統後継者として、仲間たちを護れずして何が武人か。
「ふぅ――」
呼吸。
息を吐き出すと共に無駄な思考を削ぎ落としていく。考えるということは、隙を生むということだ。わずかな判断の数が、刹那の命運を分ける。理想とするのは光の速度すら超えた反射である。知覚し、思考し、行動する。そのプロセスの間に挟まる神経の伝達までもを省いた極限の応答だ。
その俊速を得るためには、まず知覚が邪魔だ。
瞼を下ろし、覆面をつける。目を完全に覆い隠すことで視野を潰し、逆説的に死角を抹消する。他の感覚器がより鋭敏になることで、それを代替する。
指先の神経が、妖冥華の柄を包む柄紐の感触を伝える。この大太刀も、連戦の酷使によって折れかけていた。だが、まだその命脈は保っている。
草履越し、足の裏に大地の振動が伝わる。巨大な森が迫る音。すぐそこにまで。
「見ていてください、レッジさん」
護るべき人、褒めてもらいたい人。その顔を暗い視界に浮かべながら、トーカは花のように微笑む。そして、
「はっ!」
大地を突き破り、黒々とした大樹が迫り上がる。トーカを貫通する勢いで突き上げてきたそれを、わずかに身体をずらすことで避け、更に幹を蹴って離れる。
空中で桃花柄の袴が翻る。
「『一閃』ッ!」
全身の感覚を研ぎ澄ませ、考えることなく動く。
長年培ってきた経験と技術によって裏打ちされた直感だけを信じて、身体に染み付いた動きで抜刀。
黒い森に細い閃光が走る。
轟音と共に木々が切断され、滑らかな断面を残して崩れてゆく。妖冥華の規格外の刃渡りが、異常なほどの広範囲を切り抜いた。
だが、原始の怪物がその程度のかすり傷で止まるはずもない。トーカという異物を認識し、彼女を排除するために動き出す。次々と生える木の尖った先端、伸びる枝の鋭利な切先が彼女へ向かう。
「彩花流、壱之型、『桜吹雪』ッ!」
彼女が選んだのは、抜刀技ではない〈彩花流〉のテクニック。第一に習得することとなる基本の剣技であった。自身を中心として無数の斬撃を飛ばす円形範囲技を用いて、四方八方からのカウンター攻撃に対応する。
基礎的なテクニックだけあり、その発生は非常に早く、また挙動も素直なものだ。だからこそ、トーカほどの熟達が用いれば破格の威力を発揮する。
それはまるで物質消滅弾の着弾地点のように、球形に空間そのものが切り取られたかのようだった。枝はバラバラと散り、幹は削ぎ落とされる。
「ふっ、とぁっ」
だが、容赦のない森は猛追する。即座に枝分かれは始まり、トーカへと向かう。彼女は空中で回避し、枝を蹴って跳躍した。シフォンほどの機敏さはなくとも、曲芸じみた空中回避でやり過ごす。
その間にも、彼女は探り続けていた。
思考を介在させない自動戦闘が、彼女に冷静さをもたらしていた。四方八方どころか上下の区別すらなくあらゆる方向から飛んでくる攻撃を次々と迎えながら、それをどこか俯瞰的に見ていた。
「彩花流、伍之型、『絡め蜜』」
琥珀色のエフェクトが広がり、木々の動きをわずかに鈍らせる。
そのわずかな間隙を縫って、切れかけたバフを再纏する。
視界に頼らない彼女は、全身の神経網を通じて世界を知覚する。戦闘という極限状態において、彼女の精神力ははるかに拡張された。まるで木々が根を広げるように、視る世界を拡張していく。
「空を視る。空から視る。空を視る。在るものにとらわれず、在らざるものを捉える」
口の中で転がすように、父に伝えられし言葉を反芻する。その意味を全て理解し切ったとは言い難く、故に彼の背中にはいまだ届かない。それでも、真冬の森で凍えた経験と、怒る猛獣と素手でやりあった記憶が、一歩ずつ高みへ持ち上げる。
現実離れした演算能力を備えた、清麗院グループの巨大なデータセンターは、その世界随一の力によって星ひとつぶんの世界を再現した。0と1によって点描された世界は、極限まで現実と重なり合う。
ヘッドセットを通して滲み出す異世界に、トーカは身を委ねる。
「――そこ」
タイプ-ヒューマノイド。モデル-オニ。血液を浴び、摂取することにより、破格の膂力を得る特殊な機体。彼女は持参した血液パックを握りつぶし、頭から血飛沫を浴びる。
冴えた思考に、熱い衝動が乗る。長く伸びた導火線に火花が落ちる。
群がる黒き森の深奥を、閉じた瞳で見定める。
「『時空間線状断裂式切断法』」
たたんっ、と幹を蹴る。
残りわずかなLPの全てを振り絞って、切り札を発動させる。彼女の周囲の空間が歪み、満身創痍の妖冥華に理外の力が宿る。
その変化に本能的な危機感を抱いたか、木々がざわめき攻撃を加速させる。
ツノの先まで真っ赤に染めた鬼の少女は、不敵に微笑み軽やかに避ける。紙一重の転身で、華やかな袖が舞い踊る。妖しげな仙女は踊り狂う。
「彩花流」
柄を握りしめ、思いを託す。
妖冥華はもはや、一片の余裕すらない。だが、まだかろうじて形を保っている。
「肆之型、一式抜刀ノ型、神髄」
鞘に納め、枝を蹴る。蹴る。蹴る。
加速し、跳び、翻し、そして走る。空中を駆けるように木々のわずかな隙間を縫って迫る。
彼女の"眼"が、それを捉えていた。
巨大な森の中核をなすもの。唯一にして最大の弱点たり得るもの。生命において致命的な器官にして、絶対必要不可欠なもの。それはまさしく、
「――『紅椿鬼』」
首であった。
Tips
◇"地殻砕ける毀壊の黒樹"
現在は滅びた原始原生生物。第零期先行調査開拓団によって蒔かれた“生命の種”から生まれた初期の原生生物。
地殻そのものに深く地下茎を伸ばし、そこから次々と無数の幹を伸ばす。堅固な岩盤さえも容易に破砕し、凝り固まった大陸そのものを粉々に砕く。
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