第185話「駆ける駿馬」
暖炉に積み上げられた薪が爆ぜ、オレンジ色の炎の影が壁に揺れる。
テーブルを囲むアイたちに飲み物が行き届くと、彼女は早速湿らせた唇を開いた。
「今回の守護者は、外で今も焼け焦げている蝙蝠たちが本体ではないと思います。恐らく大元となる存在が居て、それを倒さない限りあの蝙蝠たちも無限に湧き続けるでしょう」
「レティも同意見です。見た目は気持ち悪いし、蝙蝠なのにでっかいですが、正直に言えばそこまでの脅威は感じません。テクニックを使わなくても一撃で倒せますし、2,3匹なら体当たりされても防御力で相殺されますから」
「私も同じ考えよ。そもそもあの蝙蝠、どれだけ倒しても経験値が入ってこないもの」
エイミーは自らのステータス画面をテーブルの上に広げて見せる。
彼女の〈格闘〉スキルは現在レベル74だった。
それも、次のレベルまでの必要経験値量を示すバーは殆ど埋まっており、あともう少しで75になる間際である。
「これ、祠に入る前からこんな感じだったわ。蝙蝠は少なく見積もっても50匹は倒したから、それでレベルが上がってないって事は経験値が入ってないって事ね」
「なるほどねぇ。じゃああんまり強いアーツ使わなくてよかったのかな」
それを聞いてラクトが少しもったいなさそうに言う。
彼女の扱うアーツは発動に触媒を必要としているため、残弾は有限だ。
アーツが強力であればあるほどに使用する触媒の数も増えるため、敵を倒せるギリギリの威力のアーツを的確に選んで使うのが継戦能力を上げるコツであり、優れたアーツ使いに求められる素質なのである。
「祠の中じゃあ出張販売員も使えないみたいだしな。ラクトは本体戦まで控えておいた方が良いかも知れんな」
「そうすることにするよ」
俺の提案にラクトも項垂れながら頷く。
「それで、副団長。大元はどこにいるんでしょうか」
リンゴジュースを飲んでいたクリスティーナがグラスを置いて尋ねる。
アイは窓の外を一瞥しながら答えた。
「蝙蝠を一定数倒せば出現、かと思ったんですけどね。もうかなりの量を倒していると思いますが、まだ出てこないと言うことは……」
窓の外、小屋の外周には俺が張り巡らせた有刺鉄線がある。
俺たち目掛けて殺到する白い蝙蝠たちは全てそれに阻まれ、高圧電流と鋭い棘によって一瞬ではじけ飛んでいた。
「フィールドのどこかにすでに居て、レティたちはこの群れを掻い潜りながら探さなきゃいけないんでしょうね」
「恐らく、そういう事だろうと思います」
レティの言葉にアイは頷く。
この複雑に絡み合った水路のどこか、もしくは果てなく広がり白い靄に囲まれた草原のどこかにこの蝙蝠たちの親玉がいる。
手がかりらしいものも無い中ではそれは最も妥当な結論だろう。
「そこで、クリスティーナ」
アイはカップを摘まんだままクリスティーナの方へ視線を向ける。
「探してきて貰って良いですか?」
「分かりました」
「ちょちょちょ!?」
アイの言葉に即答するクリスティーナ。
隣に座っていたレティが思わず立ち上がって二人の間に入る。
「いくら蝙蝠が弱いからって、それは無茶ですよ! 一人になれば蝙蝠が殺到して防御力だって貫通されます!」
「そうだよ。それに単純にあたり判定はあるんだよ。身動きが取れなくなるかもしれない」
「どうせ探すなら私たちも一緒に移動した方がいいわ」
ラクトとエイミーもレティの側に周り、アイに考えを改めるよう迫る。
しかし彼女と当のクリスティーナはきょとんとした顔でそれを見ていた。
「ああ、そういえば皆さんには言っていませんでしたね。クリスティーナ、専用装備見せてあげて下さい」
「はい」
クリスティーナがポニーテールを揺らし、騎士団標準の軽鎧を脱ぎ捨てる。
「れ、レッジさん見ちゃダメです!」
「ぐぅあ゛っ!? め、目がァッ!」
レティの細い指先が目に突き刺さり、もんどり打つ。
歪んだ視界が戻った時、そこには装いを新たにしたクリスティーナが立っていた。
「クリスティーナは第一戦闘班でも随一の神速を誇る、速度特化ビルドなんですよ」
得意げに鼻を高くするアイ。
彼女の隣に立つクリスティーナは、ボディラインがくっきりと浮かぶ薄いラバースーツのような物を着ていた。
艶のある黒のスーツは背中のファスナー以外に継ぎ目が見当たらず、凹凸も極力削がれている。
彼女はその上から丈の短い濃緑色のケープを羽織り、手には細長い旗の付いた槍を握っていた。
「速度と突破力に重点を置いた特化装備です。BBは当然脚力に全振り。〈歩行〉〈登攀〉〈水泳〉〈受け身〉スキルを伸ばして〈伝令兵〉のロールを取得しています」
「はわぁ……。え、エッチですね……」
「あ、あまり言わないで下さい。速度を求めた結果なんです」
思わずレティの口から零れた言葉に、クリスティーナはケープの裾を握りしめて俯く。
なんとなく俺は視線をずらした。
「〈伝令兵〉の能力は走り続ける限り移動速度が徐々に上がり、それに比例してダメージカット能力が付与されるというものです」
「つまり、彼女なら安全に素早く偵察ができると」
ラクトの言葉にクリスティーナが頷いた。
「先ほど戦った時の様子からして、恐らく蝙蝠のダメージはカット能力がすぐに上回ります。それに突破力に特化しているので、密集されても問題はないかと」
「なるほど。こんな構成もあるのね」
エイミーは珍しいビルドに興味深そうに目を光らせる。
「クリスティーナは何か流派は習得しているの?」
「はい。実は〈穿馮流〉という流派の開祖です」
「おお! クリスティーナは開祖だったんだ」
少し恥ずかしげに言うクリスティーナだが、隣のアイは上機嫌に首肯する。
「何を隠そう、私も〈裂歌流〉の開祖なのですよ」
「アイも開祖だったのか」
「ふふふ。というより騎士団第一戦闘班は全員別々の流派の開祖なんですよ」
「流石は攻略組……。開祖ってそう頻繁に居るもんでもないだろ」
「そういう白鹿庵だって三人も開祖がいるじゃないですか」
アイの指摘にそれもそうかと思い返す。
開祖中の開祖であるトーカを初め、レティも咬砕流の開祖だし、そういえば俺も風牙流の開祖だった。
「アイの流派はどういう色があるの?」
「〈裂歌流〉は〈剣術〉と〈支援アーツ〉が条件の機術剣士向けの流派ですね。戦闘中に歌唱系アーツをいろいろと使えるようになります」
「アイは歌って戦える戦闘系アイドルってわけだね」
ラクトが戯けて言うと、アイは微妙な表情になって返す。
「えへへ。戦闘中の詠唱が味気なくて歌詞っぽくアレンジして使ってたら流派が覚醒したんですけど、まだ人前で歌うのには慣れて無くて」
「副団長は、私たちの前でも中々歌ってくれません」
「だって恥ずかしいじゃない」
残念そうに言うクリスティーナを一蹴するアイ。
いつかは彼女の歌声も聞いてみたいものだが……。
「クリスティーナさんの〈穿馮流〉は、突破力というのは具体的にどういうことなんでしょうか」
「そうですね……。レティさんはニルマさんの戦馬車を見たことは?」
「先日のカニイベントと、雪山で見たことがありますね」
なら早いですね、と彼女は頷く。
「ニルマさんの使う破城の戦馬車と同じくらいの突破力で、敵の群れを蹴散らすことができます」
「あのチャリオットと同じですか……。それは、かなり強いのでは?」
「細かい方向転換ができないのでかなり直線的な動きになりますが、それでもとても便利ですよ」
馬の横顔が描かれた旗を揺らし、クリスティーナは微笑む。
ニルマの破城の戦馬車と言えば、〈暁紅の進行〉で迫り来る巨蟹を蹴散らした光景が印象的な、破壊力に特化した戦馬車だ。
それを単身、それも生身で実現させるのは流石としか言い様がない。
「実際に見てもらう方がいいですね。副団長、そろそろ出発します」
「分かりました。では、行きましょうか」
クリスティーナの言葉でアイが立ち上がる。
「事前バフを終えたら、私の合図で扉を開けて下さい。すぐに出発しますので」
「お、おう。分かった」
扉の前に立ち、クリスティーナは長槍をまっすぐに構える。
低く腰を落とし、片足を後ろに下げる。
陸上競技でいうクラウチングスタート。
彼女はその体勢のままにテクニックを続けて使用する。
「『脚力強化』『平衡感覚強化』『体幹強化』」
「『駆け巡る疾風』『増幅する炉心』『硬化する装甲』」
クリスティーナ自身のバフと並行して付与される、アイの〈支援アーツ〉による能力強化。
色とりどりのエフェクトを纏い、彼女は種々の能力を大幅に上昇させていく。
そして――
「穿馮流、一の蹄――『地駆け草薙ぐ赤き駿馬』」
一際大きなエフェクトが小屋の中に溢れる。
「お願いします!」
「行ってらっしゃい!」
彼女の声で扉を押し開ける。
瞬間、甲高く床を打つ足音と共に、クリスティーナは矢のような勢いで飛び出した。
蝙蝠が入らないようにすぐに扉を閉め、窓へと向かう。
「すごい、もうあんなに遠くへ……」
レティが窓の外を指さして言う。
群がる白い蝙蝠を物ともせず、赤い鬣のような光と共にクリスティーナは一直線に駆け抜けていった。
Tips
◇穿馮流
岩をも貫く鋭い槍と、刹那に万里を駆ける俊足を技とする流派。はだかる物悉くを粉砕し、道を開く。何よりもただ速さだけを求め、いつか光すら越えることを目指して。
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