第173話「追跡者たち」
第2回イベント〈特殊開拓指令;白神獣の巡礼〉は静かに始まった。
以前の〈暁紅の侵攻〉はけたたましいアラームと共に慌ただしく、そして大規模な幕開けを迎えたものだが、今回は少し様子が違う。
イベントが始まる当日の正午少し前、俺たちは白鹿庵一階の円卓を囲んでその時を迎えていた。
「いよいよ今日からですね。レッジさん、忙しくなりますよ」
「白月がいるからか? その話なら少し前に運営から連絡が来て、何らかの措置を取るって話があったが――」
椅子に深く腰を下ろし、俺たちは僅かな緊張感と大きな高揚感を抑えてそれぞれに最後の準備をしていた。
トーカは刀をギリギリまで集めていた素材で強化したし、ミカゲはこの日のために新たな装備を一式揃えている。
レティたち他の三人も言わずもがなだ。
「今回はボスラッシュって説が濃厚だし、腕が鳴るね」
「スキルもメインの〈盾〉と〈格闘〉はレベル80にできたからね、ちょっとやそっとの事じゃ負けないわよ」
ふたりがそう言って袖を捲ったその時、丁度正午を迎えて俺たちそれぞれの目の前にウィンドウが自動的に展開された。
同時に聞き慣れた人工音声によるアナウンスが響く。
『通信監視衛星群ツクヨミ、及び現地の調査開拓員諸君の尽力により、エリア-01第三地域以内に未確認の人工的構造物が多数発見されました』
『タカマガハラによりこれらは〈RoI:BSB〉及び〈RoI:UC〉に関連すると判断されました』
『これにより、タカマガハラは現地調査開拓員諸君に〈特殊開拓司令; 白神獣の巡礼 〉を発令、現時刻より開始します』
『作戦内容はエリア-01第三地域以内に存在する未確認人工構造物“祠”の調査です』
『作戦中は緊急特例措置が限定的に解禁され、ベースライン店舗での商品販売価格が半額となりますが、地上前衛拠点シード01-スサノオ及び地上前衛拠点シード02-スサノオの標準備蓄リソース量は有限であることに留意してください』
長々と読み上げられたアナウンスに耳を傾けつつ、ウィンドウに表示された詳細を読む。
今回のイベントはスサノオやウェイドに危機的な状況が迫っていないからか、リスポーンの制限撤廃やユニークショップの閉鎖のようなことはないらしい。
どこか一箇所に集まれという指示もなく、今の段階ではいつもと変わらない日常と地続きだ。
『なお、作戦中は通信監視衛星群ツクヨミ及び地上前衛拠点シード01-スサノオ、地上前衛拠点シード02-スサノオの衛星リンク警戒網より高精度地表探査活動が常時行われ、獲得されたあらゆる情報は各演算システムを経由して調査開拓員諸君の“八咫鏡”に送信されます』
『地図には“祠”の候補地点および確認地点が表示されます』
『諸君の健闘を期待します』
これが運営の言っていた措置、だろうか。
白月が“祠”を見付けなくても、“祠”の候補地点が地図に表示されて、それを実際にプレイヤーが確認すればその情報も更新されるらしい。
「これ、祠の数が分からんが、運営に言ってなかったら全部白月と回らなきゃならんかったのか……?」
「流石にレッジさんに同情しちゃいますね、それは」
本当に、運営に意見してくれたアストラには感謝せねばなるまい。
「まあ、とはいえイベント開始だ。俺たちもぼちぼち回ろうか」
「そうですね! 今日もレティのハンマーが唸りますよぅ」
いそいそと立ち上がり、リュックを背負う。
「じゃ、行ってくる」
「はいはい。ま、死なない程度に頑張んなさいな」
パタパタとはたきで埃を落としていたカミルに適当な声で見送られながら、俺たちは白鹿庵を出る。
新天地側から大通りへと出ると、そこには意気軒昂なプレイヤーたちが騒がしくウェイドの外へと流れていた。
「とりあえずこの流れに付いていけばいいか」
「ですね」
群衆の中に潜りつつ、“鏡”に表示された地図を見る。
ウェイドの町並みを俯瞰する地図の縮尺を下げて、町の外――瀑布の全域へと視界を広げる。
見れば点々と見覚えのない青いポイントがフィールドの各所に打たれている。
町に近いポイントから少しずつ赤色に変わっているあたりを見るに、青が“祠”の候補地点で赤が“祠”だと確定した地点なのだろう。
「もう祠を見付けてる人もいるのね」
「フィールドで待機してた連中だろうな。町中に祠はなさそうだし、山を張ってたんだろ」
地図を覗き込んできたエイミーに言う。
祠では戦闘があるらしいし、原則として戦闘区域にはならない町中にあるという可能性は低かった。
俺たちはフィールドで原生生物に絡まれるのが嫌で町に居たが、それを狩りながらイベントの開始を待っていたプレイヤーも多い。
「〈翼の盟約〉の方々は今頃どうされているのでしょうか」
トーカが斜め上に視線を向けて言う。
彼女は以前、ミカゲと共に〈角馬の丘陵〉の調査に精を出していた時にルナとタルトのふたりとも顔を合わせていた。
丁度彼女たちが草原の原生生物と戦っていた時、ニルマの戦馬車がそれを吹き飛ばしてしまったのだ。
「それぞれ別に活動してるよ。アストラは〈銀翼の団〉と一緒に〈竜鳴の断崖〉に、タルトは普段のパーティと〈雪熊の霊峰〉に。ルナは一人で〈角馬の丘陵〉に」
「……全員、神子のふるさと?」
ミカゲの指摘に頷く。
「イベント期間はそれなりに長いし、とりあえず最初はそれぞれパートナーと出会ったフィールドを調べようって話になったんだ」
その後のことは考えていない。
展開次第ではまた〈翼の盟約〉の四人で集まる可能性もあったが、まあその時はその時だ。
「そういうわけで俺たちも今日は〈鎧魚の瀑布〉を歩き回ります」
「はーい」
レティたちの元気な返事を聞きつつ、ウェイドの防壁に開かれた門をくぐる。
そこから一歩出た瞬間から、常に危険がつきまとう緊張感のある時間が始まった。
「それで、まずはどのポイントに行くんですか?」
地図を見ながらレティが言う。
この間にも続々と青い点が赤く切り替わっていき、順調に“祠”が見つかっていることを示していた。
「白月の気分次第だな。地図に表示されてる候補地点は遅かれ早かれ他のプレイヤーが辿り着くし、もし発見されていない祠があるんならそこへ行きたいんだが……」
ちらりと足下の白月を見る。
彼はレティの方へと移動すると、彼女が広げている地図を見て何か考えている様子だった。
「白月ちゃん、実は賢いですよね」
そんな姿を見てトーカが言う。
「まあそこらの原生生物よりはよっぽど賢いよ。言葉もある程度理解してるしな」
特に青リンゴを持っている時はすぐに飛んでくるからな。
「っと、進み出したな。付いていこう」
地図を見ていた白月が首を下げ、鼻先を地面に近づける。
何かを嗅ぎ分けるように鼻先を動かしながら、彼はゆっくりと森の中を進み出した。
「……あの、レッジさん」
白月の小刻みに揺れる短い尻尾を追うこと数分、ずっと黙っていたレティが遠慮がちに声を抑えて口を開いた。
「どうした?」
「なんか、付けられてませんか?」
ちらりと後方を覗き見ながら彼女が言う。
それは他の面々も感じているらしく、少し居心地の悪そうな表情を浮かべていた。
「……まあ、仕方ないよな」
開始直前になって運営から措置が取られたとはいえ、もともとは白月の案内が必須のイベントだった。
今も地図に表示されていないポイントへ向かっているのはすぐに分かる。
それなら俺たちの後を付けて、未発見のポイントを探すというのも賢い手だろう。
――やられている本人としてはトリュフを探す豚になった気分だが。
「はぁ」
俺は立ち止まり、くるりと後ろを振り返る。
鬱蒼と茂る黒い森の影に上手く隠れているようだが、枝葉の隙間から言い得ない違和感を覚えた。
「とりあえず、出てきてくれないか。別に付いてきて貰ってもいいが、コソコソされるのは正直不愉快だ」
虚空に向かって声を掛ける。
しばらくの沈黙の後、存外近い木の幹の裏から黒っぽいローブを着た男が現れた。
彼が姿を見せたのを皮切りに、そこら中から男女も種族も職業も問わない大勢の人影がにじみ出てくる。
……こんなにいるとは思わなかったな。
「済まないな。まさか気付かれているとは」
「いや、俺は全然。レティたちが気付いてただけだ」
「そうなのか。凄く良いセンスをしているね」
男がレティの方を見て薄く笑う。
彼女は微妙な表情で顔を背けていたが。
「付いてくるなら堂々と付いてきてくれ。なんなら世間話してくれてもいい」
「それだと、君たちが祠を見付けた時に出し抜けないだろ?」
そう言って肩を竦める男。
悪びれる様子もなさそうだ。
「なんか、祠が見つかった瞬間に後ろの大勢がもみくちゃになりそうな気もするけどな……。まあ、見つかった祠は別に好きにしてもらって構わないよ」
「良いのかい?」
驚いた様子で彼は眉を上げる。
俺がレティたちの方を見ると、彼女たちも異論は無いようだった。
「俺たちは祠を見付けるのが目的だからな、そのあとは煮るなり焼くなり好きにしてくれ。後ろのお連れさんとの交渉もな」
俺の言葉に男は後ろを振り返り、びくりと僅かに肩を跳ね上げた。
……多分予想より人数が多かったんだろうな。
「そういうことなら、俺たちも堂々と歩かせて貰おう。……悪いことをしたな」
「いいさ。――もう知ってるとは思うが、一応。レッジだ」
「リンクスだ。ロールは〈追跡者〉」
なるほど、尾行は十八番ということか。
「〈追跡者〉は〈歩行〉〈鑑定〉〈忍術〉の複合ロールだったっけ。移動速度上昇と原生生物からの発見率の抑制が能力だよ」
「よく知ってるな。その通りだ」
ラクトの言葉にリンクスは頷く。
スキル構成や能力からしてどこまでも追ってきそうな厄介さを感じる。
「……ちなみにこの中に〈追跡者〉はどれくらいいるんだ?」
ふと湧き出た好奇心で、リンクスの後ろにいたプレイヤーたちに疑問を投げかける。
すぐに全体の三割くらいが手を上げた。
「思ったより少ないな?」
「……〈忍術〉スキルがあれば、結構隠れられるから」
ミカゲに教えて貰い、納得がいく。
ロールを取得せずともある程度気付かれずに後を付けることは可能らしい。
「よし、じゃあ再出発するか」
「うぅ……なんか嫌ですね……」
隠れていた者が出てきたところで俺は待っていた白月を促す。
レティはあまり気分はよくないらしく、眉を寄せながら付いてきた。
そうして俺たちは予想外の大所帯となりながら、瀑布の森を奥へ奥へと踏み入っていくのだった。
Tips
◇追跡者
尾行者系中級職。〈歩行〉〈鑑定〉〈忍術〉スキルを必要とする。一度定めた獲物を地の果てまで追いかけ逃さない、強い執着心によるロール。直接的な戦闘能力には乏しいものの、機敏な原生生物などを逃さず、また僅かな痕跡から居場所を特定できる。希少で高価値な原生生物を追う優れた猟師となれる職種。
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