第1560話「肉体言語」
〈マシラ保護隔離拠点〉から解放されたミートは、ウェイドと警備NPCたちによる厳重な警戒は気にする様子もなく、上機嫌で都市へ入場した。マシラである彼女が特例とはいえ都市に足を踏み入れる機会は非常に少ない。特に彼女の管理責任者であるウェイドのお膝元ともなれば、ほとんど初めてに近い。
『うわー、綺麗な町だね。甘い匂いもするし!』
『ふふん。この町は洋菓子の名店が多く集まっていますからね。中には私の舌を唸らせるようなものも少なくは』
『あそこのお店からいい匂いがする! うおおおっ!』
『あっ、こら! 勝手に走るんじゃありません!』
見るもの全てが新鮮で、ミートの注意は次々と変わっていく。ショーケースにケーキを並べる洋菓子店を見つけると一目散に駆け出し、ウェイドが慌てて警備NPCに捕縛を命じる。
警備NPCが放った電磁拘束ワイヤーがミートに巻きつき、ずりずりと強引に引き戻す。彼女の力であれば強引に破壊することもできるはずだが、ミートは大人しく捕まっている。ただし、その頬はぷっくりと膨らんで不満げだが。
『お菓子くらい食べてもいいじゃんー』
『用事が終わったら買ってあげますよ。まったく』
こんなことなら、大破することを覚悟で護送車を手配した方が良かったか、とウェイドは呻く。下手な拘束はマシラにとっては意味を為さない。むしろ対抗意識や反抗心を煽る結果にも繋がりかねない。そんな理由からわざわざ徒歩を選んだわけだが、それもまた悪手だったのかもしれなかった。
ウェイドはミートの手をしっかりと握り、その動きを制限する。管理者機体に損傷を与えた場合には、問答無用で収容室に戻すと強く言い付けているため、これでミートも少しは大人しくなるはずだった。
『とにかく今はレッジを救出しなければなりません。ちゃんと協力してくださいよ』
『そうだった! パパは無事なの?』
収容室から出された理由を忘れかけていたミートに、ウェイドが呆れる。
『とりあえず無事ですよ。ただ閉じ込められているので、どうにかしないといけないんです』
『任せて! ミートがぶっ壊してあげる!』
『それじゃダメなんですよ! ちゃんと話聞いてました!?』
拳を構えるミートの傘をウェイドがぺちんと叩く。腕っぷしではどうにもならないからこそ、最終手段としてミートを連れてきたのである。
本当に大丈夫だろうか、とウェイドが一抹の不安を抱くも、二人は都市の中央制御区域へと辿り着く。無数の調査開拓員たち、大量の警備NPC、指揮官までもが集結している状況を見て、ミートも少し異様な空気を感じ取った。
赤いキノコの傘を押し上げ、遠くを見る。つま先立ちになってようやく目に入ったのは、塔を取り囲む巨大な水槽と、そこに鎮座する白い獣の姿だ。
『もしかして、あれ?』
『ええ。あなたにはあの“エンジェル”の言葉を解読してもらいます』
『そこにパパがいるの?』
『“エンジェル”の体内に封じられています』
実際の状況を目の当たりにして、ようやくミートの気持ちに火がついた。
彼女は固く口の端を結ぶと、大股で水槽の前まで歩み寄る。
突如現れたマシラの存在に、周囲の調査開拓員たちがどよめく。ミートを筆頭とする一部の変異マシラは、中でも特別視されている存在だ。ある意味で理を超越した存在である彼女が何をするのか、注目があつまる。
『ウェイド、この水槽の中に入ってもいい?』
『ええ。許可しましょう』
ウェイドが手を離すと、ミートは軽やかに跳躍して水槽へと飛び込む。マシラである彼女は、水中においてもほとんど制限を受けない。息苦しささえ感じさせず、エンジェルの元へと向かう。
微笑を湛えたエンジェルは微動だにしない。ただ泰然とそこに立ち、ミートを迎えた。
あまりにも彼我の差は大きかった。ミートは水の中に浮かびながら白い獣を見上げる。その表情は、怒っていた。
『パパが言ってたよ。仲良くなりたいならおしゃべりするんだって。黙ってたら、何もわからないんだよ』
レッジはどんな存在であろうとも、まずは対話の可能性を模索してきた。そんな彼の精神を体現するような存在こそが、汚染術式でありながら自我を持ち、理性を会得した変異マシラであるミートだ。彼女の小さな体には、彼の意志が息づいている。
ただ沈黙を選び続けるエンジェルにこそ、その存在は強く影響する。
『もし喋れないんだったら、ミートが手伝ってあげる。いっぱい遊んで、へとへとになるまで動き回ったら、きっと心が繋がるんだって。そうしたら、みんな笑って、いつの間にかお友達になってるんだ。だから――』
ミートが拳を握る。
その姿に、水槽の外から注視していたウェイドがいち早く気づく。ガラスに額と手のひらを押し付けて、目を丸くして叫ぶ。けれどその声は、ミートには届かない。
『まずは力いっぱい、思い切り遊ぼうよ!』
彼女の拳が突き出される。水が追いつかず、真空が生まれるほど。渦巻く水が荒波を立たせるほどの凄まじい威力が、短いリーチから放たれる。その衝撃が――エンジェルの体に到達した。
――ドガンッ!!!!!
『ミートォオッ!!!!?』
ウェイドが叫ぶ。
だが、その声を掻き消すように。
『キィイイイイッ!!!』
甲高い声が貫く。直後、鋭い衝撃がミートを襲う。
『あはっ!』
楽しげに笑声をあげながらミートは手をクロスさせる。衝撃を真正面から受けて吹き飛んだ彼女は水槽に強かに背中を打ちつけながら、すかさず足を蹴り出して動く。
ミートとエンジェルの乱闘が勃発した。
Tips
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