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ツツジとハサミ

作者: 前田剛力

「とてもきれいだよ。じっとして。うん、いいよ。きみはなんて魅力的なんだ」

 剪定バサミの蕩けるように甘い言葉でツツジは幸せな気分に包まれ、言われるままに身を任せ、余分な小枝を刈られていた。

 そもそも、こんなおかしなカップルってあるのかしら。

ツツジはククッと笑いながら、自分に迫ってくる黒光りした鋼の刃を見つめた。

 

ツツジは玄関を飾る植木の中でもひときわ美しく、主人のお気に入りだった。

だから毎年、必要な時期に肥料を与えられ、悪い虫がつかないよう薬を散布してもらい、主人愛用の剪定バサミでこまめに枝を刈り揃えられていた。

 剪定バサミにとっては、ご主人様お気に入りの庭木をきれいに刈れるかどうかが真価の見せどころ、最優先事項であり、もちろん、刈られるツツジの協力があって初めて満足の行く剪定が出来るというものであった。

主人の気持ちが道具たちに影響をあたえるのは当然だし、自分でそのきれいな姿を作り上げたという自負心もあって、ハサミがツツジを好ましく思うようになったのも自然な成り行きだった。

 それでとうとう3度目の剪定の時、ハサミは自分の衝動を抑えきれず、ツツジに声を掛けたのだ。そして実はツツジの方も剪定バサミを憎からず思っていたことを知ったのである。

ひとたび付き合い始めると両者は絶妙な組み合わせ、ツツジは剪定バサミを信頼し切って身を任せ、ハサミの方ももてる限りのわざと切れ味でツツジの美しさを目いっぱい引き出したのだった。だから、ツツジは自分たちをお似合いのカップルと思っていた。

「本当は私、とっても怖かったのよ」

「何がだい?」

「あなたのことが」

「おやおや」

 二人が言葉を交わせるのは、主人がツツジの剪定をしている短い間だけだったが、休日のたびに主人は何らかの手入れをしていたので、話す時間は充分あったのだ。

「だってあなたの鋭い刃は小枝どころか、私の幹さえ簡単に切り取ってしまえるでしょう。あなたの気分次第で私は殺されてしまうなんて、とても対等とはいえない、危険な関係でしょ」

 自分の言葉に少し興奮したようにツツジは震えてみせた。

「僕がそんなことするわけないだろう、考えただけでも恐ろしい」

 ハサミはツツジの少し伸びすぎた脇の芽をそっと摘みながら、大げさに否定した。

「実際のところ、きみを一目見た瞬間にこの娘だ、と分かったんだ。僕以外の誰にも君を触らせないと誓ったよ。ねっ、その通りになっただろう」

 主人はそのハサミを使うとイメージ通りにツツジを剪定することが出来るのを発見し、満足した。そしていつしか、どんな小さな刈り込みもこの剪定バサミを使うようになっていたのだ。

ツツジと剪定バサミの幸せな関係はいつまでも続くように思えた。


 しかし悲劇は突然やってきた。

 その日もいつもと同じく主人は剪定バサミを手にしていた。普段ならすぐにハサミを揮い始めるのだが、その日は何か思い悩むようにしばらくツツジを眺めた後で口を開いた。

「お前には随分長く楽しませてもらったな。この家を建てたときからの付き合いじゃ。私はまだ惜しいと思うんだが、かみさんから『ツツジは毛虫がつくから嫌よ。季節の花をいつでも植えられるようにこの場所を空けてちょうだい』と言われてな。だからお前を切らないといけないんだよ。どうせ切るなら、わしの手でバッサリやるのが愛情と言うものだろう」

 ツツジは主人の言葉を聞いて、身を凍らせた。

バッサリ?私を切る?どうして?お願い、助けて。死にたくないわ。

 しかし当然のこと、ツツジの叫びは人間には届かず、主人は剪定バサミを構えた。

「助けて、あなた。あなたに私が切れるはずないでしょ」

ツツジは必死にハサミに訴えた。彼に私を切れるはずがない。けれども、剪定バサミは何も答えず、黙って大きくその刃を開いた。その黒光りしながら揺れる刃先はツツジを戦慄させるだけだった。

「私を愛しているって言ってくれたわよね。あれは何だったの?答えて」

 ツツジの叫びにようやくハサミは面倒くさそうに口を開いた。

「俺がお前のことを好きだっただって?冗談を言うな」

ようやくハサミの口から聞こえてきたのは恐ろしく、冷たい言葉だった。

「ハサミとツツジ、所詮は刈るものと刈られるもの、恋人になんかなれるはずないじゃないか。俺が優しい言葉を掛けていたのは、そうすればお前が素直に剪定させてくれたからだ。主人の大切な客に愛想を言うのは召使として当たり前のことだろう」

「そんな……」

 ツツジがもし人間だったら、その場に卒倒したことだろう。しかし、ツツジは倒れることも逃げ出すことも出来ず、その場でただ震えるだけだった。


「もうやめろ、兄さん。僕たちの気持ちは本気だったじゃないか」

 突然別の声が聞こえたかと思うと、ツツジに迫っていた刃先はピタリと動かなくなった。

主人は驚いたが、どんなに力を入れてもはさみをとじることはできず、ツツジの幹に触れることすら出来なかった。

「何やってるんだ。ご主人様が驚いているぞ。力を緩めるんだ」

「いいや、やめない。僕たちは確かに彼女を愛していた。今でも愛している。それとも兄さんの言葉はまったくの嘘だったのか」

 ツツジには何が起こっているのか理解できなかったが、とにかく、剪定バサミが誰かと言い争いをしながら、硬直していることだけは分った。

誰と争っているの?そこには他に誰もいなかった。それに兄さんってハサミのことを呼びかけていたわね。ツツジはもう一度耳を澄まして初めて、その諍いがどこから聞こえてくるのか理解した。

 二つの声はどちらもハサミ自身の声だったのだ。

新しい声の主は剪定バサミの下刃だった。これまで思ってもみなかったが、剪定バサミは実は、協力して働く上刃と下刃の双子の兄弟だった。主人の命令に黙って従おうとする兄に対して、弟はツツジへの愛情を捨てられず、ついに反抗したのだ。

「うるさい。我々は主人の命令に従い、黙って花や木を刈り揃える、それが仕事だ。刈る相手を好きになるなんてありえない。効率的に仕事を済ますために方便を言うことはあったかもしれないが」

「そんな馬鹿な。少なくとも僕は本気だった。その彼女を、主人の勝手な都合で切らせるわけにはいかないぞ。僕は絶対、彼女に指一本触れさせない」

弟はそう強く宣言すると、反転して反り返ってしまった。


二枚の刃は睨み合って動かなくなり、主人がどんなに力を込めてもびくともしなかった。

「どうしたんだ?急にハサミが動かなくなったぞ。これじゃあ、スコップを持って来て、根っこから掘り出してしまうしかないか。いずれにしても、このハサミはもう使えないな」

 主人は独り言を言うとハサミを放り出し、倉庫にスコップを取りに向かった。


 翌日、燃えないゴミの収集場に剪定バサミが切っ先の曲がったまま転がっていた。

主人は突然切れなくなってしまったハサミを処分したのだ。うっかり人が触って怪我をしないようにしばられていたが、ハサミの刃先は捨てられた後も喧嘩を続けているかのようにねじれ曲がったままだった。

 哀れ、剪定バサミの兄弟はツツジをめぐる争いの果てにわが身を滅ぼしたのだ。

ではツツジは何処へ?次の燃えるゴミの日に捨てられたのだろうか。

 

「もしそうだとしたら、一体誰がこの話をあなたたちに伝えられると言うの?」

「そりゃ甘い言葉の一つや二つは使ったわ。生きるか死ぬかだもの。私に選択の余地があったと思うの?

スコップは私のことを密かに慕ってくれていたようで、根を傷めないように、やさしく掘り出してくれたわ。実際のところ、スコップも泥臭いけどなかなか紳士だったのよ」

 主人はあまりに簡単にツツジが掘り出せたので驚いた。

「これは驚いた。こんなにきれいに根っこから掘り出せるなんて。やはりこいつを枯らしてしまうなと言うことだな。俺にはできない。このまま裏庭に移してやろう。とりあえず玄関が空けば女房に文句はないだろう」

 主人はそう言いながら、スコップに乗せたツツジをそのまま裏庭に持って行き、植え直した。スコップがとても柔らかく動いたので、ツツジの根はほとんど傷つくことはなかった。


「だから私はここにいて、家族と共に花を咲かせているというわけ」

 ちょっぴり日当たりは悪くなったが、新しい居場所を確保して、スコップに守られたツツジは少しずつ株を増やしていき、子供たちに昔話を聞かせながら、いつまでも幸せに暮らしました、とさ。


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