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俺んち

作者: 任人

 今日、7月23日は土曜で休みだ。4月に入社して数ヵ月、下っ端だがようやく仕事にも慣れてきた。ここ数日は涼しい日が続いており、久しぶりにどこかに遊びに出掛けたいと思ってしまう。だが、俺は朝からずっとパソコンの前に座ってうんうん唸っていた。一念発起して小説を書こうと思っているのだが、どうにも進まなくて困っているのだ。



 3日前、たまたま「夏のホラー2016」という小さなバナーを見つけたのが始まりだった。


 俺にとってのWeb小説は、ちょこっと読むだけ。たまにレビューを書いたりするものの、あくまで「小説を読もう!」として利用していたのだ。だが、ホラーの企画バナーを見つけて少しだけ心が騒いだ。短編でいいなら、なんとかなるんじゃないだろうか。規約によると、登録したもののやっぱり書かない、という選択もできるらしい。やってみて、無理なら辞退すればいいだけだ。誰に強制されるものでも無いのだから。

 期限前日の20日に滑り込みで登録してみた。参加表明ID:738。かなり大勢が参加していることになる。少し早まったかもしれない。小説なんて、中学校の宿題以来じゃないか? しかも根っからの怖がりでホラーは全般的に苦手だ。いかに読者を怖がらせるかというのがポイントらしいので、のっけから躓いている気がする。俺、やっぱだめかも。

 いや、諦める前に少しでも書いてみた方がいい。登録を済ませただけで殆ど企画内容を読んでいない。書く前にきちんと目を通してみよう。何しろ投稿するのも初めてなのだ。出来の良し悪し以前に、規約に反していて削除されたら笑えない。


 改めてバナーをクリックする。トップ画面は、切れかけた街路灯がチカチカ瞬いて何ともおどろおどろしい。血糊や死体があるわけでもなく、普通の建物が映っているだけなのに、なんか怖い。



 あれ? ……この建物、俺んちだ。


 うそだろ。いや、この手の賃貸住宅はどれも同じような作りだ。似ているだけかもしれない。


 慌てて地図検索に住所を入力する。建物を映し出して企画の写真と比べてみると、やっぱり俺んちだ。へえ、こんな偶然ってあるんだ。まあ、CGやイラストじゃなければどこかの建物が被写体になっているんだから、こういう事も起り得るのか。いたって普通の建物なのに、遺体の1つでも転がってそうな雰囲気になっていて苦笑する。これからも住み続けるつもりなのに、怖がらせないでくれよ。あ、でもちょっとテンション上がってきた。うちの建物がホラーの舞台だと思えば、臨場感ある作品が書けるかも。

 俺の部屋は2階の端から2番目、タイトルロゴ「夏のホラー2016」の横あたりの202号室だ。まじまじと写真を眺めていて、ぎくっとする。


 今、窓のところにちらっと何かが動かなかったか?


 俺の部屋の窓。黒くつぶれているが、白いものが動いたような気がした。はは、幻覚を見るとかどこまで臆病者なんだ、俺。


 あ、また動いた。


 今度は一番手前の部屋。ああそうか、これも不気味な演出か。瞬く街路灯と同じでチラッと何かが動くように作ってあるんだ。凄く凝った作りだな。うはぁ、こわ。

 「企画概要」をクリックすると、背景が玄関側に切り替わる。申し込みをした時には気付かなかったが、やっぱりうちの建物だ。ドア横の常夜灯、ヨーロッパのガス灯のような形は間違いない。だが「裏野ハイツ住宅情報」をクリックして出てきた間取り図は、俺の部屋とは全く違った。そりゃそうか。そもそも写真に使われた俺んちのマンションは、総戸数10だ。お題とは全くの別物。運営側が企画に最適な情報を作って、それを裏野ハイツとして載せているのだ。写真はイメージとして使われただけなんだから、違って当然だ。俺んちのマンションの間取りがそのまま公開されてたらそれこそ怖い。


 「参加一覧」をクリックすると、既にたくさん掲載されていて焦る。

 掲載は昨日7月22日から始まったところで、まだ序盤だ。なのに、怖いポイントがごっそり付いてるやつがある。怖いポイントとか何だこれ。ホラー好きのやつらって意味分からん。ポイントが高いって、すげぇ怖いってことだろ。絶対、読むの嫌だ。ポイントの低いのなら大丈夫かも。いや、本末転倒だろ。これから怖いのを書かなくちゃなのに、怖い作品を避けてどうする。

 ポイントの高いやつをクリックしてみる。主人公は203号室の大学生、隣の部屋から何か音がして……。怖いから斜め読みするつもりだったのに、ついじっくり読んでしまった。この臨場感は反則だ。こわ! くそ、涙目になってしまった。


 どんっ。


 壁を叩くような音がしてぎくっとする。こんな時に脅かすなよ。ホラーとか読んでると昼間でも怖いんだよ。さっきの作品にも隣の壁を叩く場面があったので、なんとなくダブってしまう。


 どんっ。


 まただ。203号室の方から壁を叩かれた。ええと、確か隣の203号室は空き部屋の筈だ。2ヵ月ほど前、ばたばたと物音がうるさいなと思っていたら、引っ越し業者が荷物を運び出していたのだ。それ以来誰も入居していないと思っていたが、引っ越してきたのか。せっかく静かだったのに残念だな。


 どすっ。


 俺はずっと静かにしているのに、何で叩くんだ? かなり面倒な隣人が引っ越してきたようでウンザリする。

 203号室のドアが開く音が響き、廊下を歩く音がした。しばらくすると、ぼそぼそと声が聞こえる。電話をしているのか、住人の誰かと喋っているのか。昼間だからいいが、夜もこの調子ならうるさそうだ。



 もう1つ作品を読んでみよう。やっぱり怖いポイントの高いやつを選ぶべきか。

 今度は老婆がやばかった。薄目で読むつもりだったのに、めっさ引き込まれてガン読みしてしまった。俺は、201号室の老婆を主人公の仲間として登場させるつもりだったので、チャーミングな老婦を思い浮かべていたが、一気に恐ろしい人になってしまった。ダメだ。もう読むのはよそう。そろそろ自分のを書くべきだ。しかし、あの作品のような物件は本当にありそうで怖い。ああ、俺んちのマンションがどんどんヤバい物件になってくる。おっと、違う。俺のマンションと裏野ハイツは別だった。怖すぎて、頭の配線がショートしかけてる。



 さっきから、201号室も何か妙だ。今日は昼近くになってもさほど気温が上がらず爽やかなので、窓を全開にしている。隣も窓を開けているようで話し声が聞こえてくる。女性だ。201号室は会社員の男が1人で住んでいた筈だ。誰かを招待すること自体殆ど無い、至って静かな住人だ。老婆の声? まさかな。母親が来ているとか、彼女が来ているとかそういうことだと思うが。同居人が増えるとか、しょっちゅう彼女が訪れるようになるとかなら、201号室も今後はうるさくなるのかもしれない。小説を書かなくてはいけないのに、いつになくざわざわした雰囲気に集中できない。



 ああ、逃げてるな俺。執筆が進まないのを、周りのせいにしている。

 肩を大きく回して、気分を切り替える。そろそろランチを食べた方がいい。コーヒーでも入れていったん落ち着こう。

 食べきれなくて冷蔵庫に放り込んでいたハンバーガーを見つけ、レンジで温める。わびしい食事だが、時間を取らず片手で食べられるのがいい。その間に、頭で考えていたあらすじがまとまってきて、ラストまで書けそうな気がしてきた。




 あと少しで仕上がりそうだ。興が乗ってからはさくさくと書き進められた。かなり楽しい。

 裏野ハイツという設定が用意されているのは、素人にとってありがたかったが、活かしきるには文才が足りなかった。迷った挙句、裏野ハイツが焼失したところから始まる物語にしてみた。主人公の男は、203号室に入居する筈だったのに、到着してみると肝心の建物は焼けて跡形もない。焼け跡からは、1体の人骨と1匹の猫の骨。主人公は、困っている老婆にほだされる形で、協力することになる。猫が跨ぐと蘇る死体、どこからともなく聞こえてくる古い唄。怪奇現象に振り回されつつラストへ向かう。どちらかといえば、謎解きがメイン。怪奇現象は103号室の子供がキーになっており、その子はいつも不気味な紙袋を被っているという設定だ。老婆とか子供とかって、ホラーに登場させると怖いよな。短編のつもりだったが、2つか3つに分割した方がよさそうだ。誤字脱字など精査する必要はあるが、うまくいけば今日中に投稿できるんじゃないかと思える。やっほい。

 怖がりな俺がホラーを書くのは、やはりハードルが高すぎた。怖そうな流れになると、つい全力で逃げてしまうのだ。怖いポイントは上がらないだろう。でも、読んでくれる人が誰か1人でもいるといいなと思う。

 そういえば、103号室の両親の設定ってどんなだっけ。もう一度確認しようとしてトップ画面を呼び出す。


 うわっなんだこれ。

 驚いた拍子にマウスを落としそうになる。びっくりした。


 202号室、俺の部屋の窓の上の方に、白い顔がうっすらと映っている。窓枠の一番右上、天井ぎりぎりのありえない高さに、こちらを覗くようにして顔が浮いている。体は無い。というか暗がりに消えている。子供の顔? 怖すぎだ。これ、もしかして次は顔が増えてるとか、ないよな。目線が合っているような気がして、慌てて「企画概要」をクリックする。

 俺の部屋じゃないのに、つい俺んちだと認識してしまう。

 参加し始めたばかりの俺が知らないだけで、もしかすると企画が始まった当初から画面のあちこちにこんな仕掛けがあったのかもしれない。カウントダウンみたいに、開催日が近づくにつれ庭木が枯れていくとか、床材に血だまりが増えていくとか。


 今更ながら、参加を取りやめたくなる。だが、ちょっと興が乗ってきてからは、書くのが面白いと感じ始めたのだ。せっかく書いた作品を、このままお蔵入りにさせるのは忍びない。今日生み出したばかりの小さな作品だが、それでも愛着が湧いているのだ。




 さっきから、妙だ。視線を感じる。

 トイレに立った時には気のせいだと思えたが、部屋に戻るとまた。息を殺してずっとこちらの動きを追っているような、へばり付くような感じ。あと少しで仕上げられるのに、気になって集中できない。



 もう一度間取り図を確認したくて、おそるおそるトップ画面を呼び出す。

 202号室の白い顔は消えていてほっとする。もしかすると、ランダムでたまに表示されるような仕掛けだったのかもしれない。

 写真の窓の隅で、頭がくるんと回転した。


 ひいっ。


 コードレスのマウスは弾かれて、派手な音をさせながらデスクの上を転がった。

 白い顔は消えたのではなかった。後ろを向いていて髪の毛が闇に溶けていただけだ。あの視線。いままであの顔は部屋の中を見つめていたということか? 


 はは、考えてみれば裏野ハイツの202号室って、一番不審な部屋じゃん。俺の部屋は「恐ろしいモノ」が居る部屋として使われる事が多いんじゃないか? 俺は全焼させてしまったから使わなかったが、おそらくこの202号室が一番弄りやすい。「???」が存在する部屋。裏野ハイツと俺んちとは別物だって分かっていても、なんか嫌だ。


 ずっと、考えまいとしてきたが、何かが奇妙だ。意味もなく壁を叩いてくる203号室の住人、201号室の老婆のような声、不気味な視線、そして俺んちのマンション。同調率が半端ない気がする。絶対にありえないと頭では分かっているのに、感情のどこかがずっと警報を鳴らせているような、気色悪さがつきまとう。バカバカしい。こんなのは全部作り事、フィクションだ。




 また隣の部屋から叩く音がする。うるさい。またあいつ、203号室のあの男だ。


 え、俺は今何を考えた? あの男? 男なのか女なのか、203号室にどんな奴が入居したのか俺は知らない。なのに、誰の事を考えた?

 作品を仕上げた高揚感はすっかり消えていた。


 理由は分からないが、何か連動しているかもしれないと考えるべきだ。俺の作品は、裏野ハイツを全焼させる所から始まる。まさかとは思うが、このマンションが火災になるとかあり得るのだろうか。あの話は、焼死体が出てこないと始まらない。だから設定を変えるのは無理だ。では投稿を止めて参加を辞退する? 作品を投稿すべきか、参加を辞退すべきか。



 投稿しよう。ただし、保険もかけておこう。


 作品を書いたからマンションが火事になるなんて、あり得ない。だから、投稿してからしばらく様子を見よう。「マンションは無事だ、火事なんて起こらなかった」というのを確認しよう。そして、このまま202号室に住み続けるのも怖すぎる。友人の所に退避させてもらおう。宮地太清(みやちたいせい)、中学時代からの腐れ縁だ。気心が知れた友人だが、迷惑がかかるようなら、ホテルの利用も考えよう。期間は企画が終わるまで。おそらくそこをやりすごせば大丈夫だ。

 スマホを手に取り、タップする。


「おう、久しぶり。どうした」

「太清、悪い。しばらくそっちに泊まらせてくれないか」

「なんだ、マンションが火事になったとか?」

「……なるかもしれない。いや、忘れてくれ。それより俺、Web小説のホラー企画に参加したんだ」

「怖がりなお前が?」

「たまたま企画を見つけて。で、自分でもバカバカしいと思うんだが、うちのマンションで妙な事が立て続けに起きるんだ。なんか怖くて。そのホラー企画が終わるまで泊めてくれないか」

「お前の怖がりは筋金入りだな。お互い社会人になってから殆ど会えてないし、いいよ」

「土産に母さんが漬けた梅酒、持ってくから」

「やりぃ。早く来いよ」

「じゃあまた」



 作品をもっと精査したかったが、諦める。これ以上ここにいるのはヤバい。誤字脱字だけざっくりチェックし、あらすじを書き上げて投稿する。誰か1人でも読んでくれると嬉しい。俺の処女作だ。

 気持ちが急く。貴重品と着替え、洗面道具、充電器、持ち出す荷物をどんどん纏めていく。梅酒も詰める。太清と2人で酒盛りだ。


 足元に、かさっと何かが触れた。いつの間に落ちたのか、ランチに食べたハンバーガーの包みだった。拾おうとして身を屈める。屈んだ目線の先にはベッドがある。ベッドの下は異様なほど真っ暗だった。蛍光灯が煌々と点いているのに、10cmほど奥が闇に沈んでいて見えない。どこかおかしい。床に頭を付けてベッドの奥まで覗いてみようか。いや、何かと目が合ったりしたら怖すぎるだろ。こういう時は何もしないに限る。

 ハンバーガーの包みの下にはまだ何かがあった。くしゃっと潰れた紙だ。はは、まさかな。呟きながら拾い上げる。

 俺が作中で103号室の男の子に被らせた紙袋だ。クレヨンで拙く目鼻が描いてある。


 うわあああっ。


 思わず大声で叫んで、持っていた紙袋を放りだした。

 床に投げつけられた紙袋は少し転がって、ベッドの下の暗がりに消えた。


 なんなんだ。何が起きている。

 この世に存在する筈のない紙袋。

 俺はクレヨンなんて持ってない。

 心臓がばくばくして、脚が震える。へたり込んでしまいたい。

 だが尻を落とせば、ベッドの下の暗がりと目が合ってしまう。あの下にいる、何かと。

 もう怖すぎて、口を開けば笑ってしまいそうだった。



「お兄ちゃん、もう下につれてっていい?」



 突然聞こえた子供の声にぎょっとして、へたり込んでしまう。

 怖すぎて、悲鳴すら出てこない。引き笑いのような、呼気が漏れる。

 下? 何の事だ。

 それより、なんで子供がいる。

 違う。そんなものはいない。声が聞こえるだけだ。


 ベッドの下から白い小さな手が出てきて、俺の足首を掴んだ。

 しゅるっと蛇が獲物を狙うような、奇妙な速さ。



「ねえ、こわいお話しきかせて」



 また子供の声。

 ずるりと脚が引っ張られる。子供の力じゃない。


 やめろ! 

 怖い話はもう投稿した!


 両手を必死で伸ばして、フローリングの床にしがみつこうとする。

 汗でべたつき、手が滑る。床材の隙間に必死で爪を立てる。

 匍匐前進のように、(いざ)ろうとするが、足が動かない。

 いつのまにか両方の足首が掴まれている。

 どうしたらアレから逃れられるのか、全く分からない。


 怖い。

 そっちに連れて行かないでくれ。

 俺は行きたくない。


 かろうじて引っかかっていた爪が外れ、右手が泳ぐ。

 がちがちになっていた体が一瞬自由に動かせるようになり、前へ進めるかもと思った瞬間、

 くっと体が滑り、一気にベッドの下に引き込まれた。


 トンネルに入ったように、ひゅんと暗がりが押し寄せる。

 視線の先に残る、小さな明るい風景。フローリングの床に、ナメクジの這ったような光る跡。

 ああ、悲鳴交じりの声を上げ続けて、よだれが垂れていたんだ。

 ぽつんと遠くて、温かい世界。

 俺が見る、最後の風景。




 暗い。怖い。寒い。

 溺れた人間のように、めちゃくちゃに暴れているのに、足首を掴む小さい手が離れない。

 もう、ここはベッド下の空間じゃない。床の感触はあるのに、広くて、どれだけ暴れても手足がどこにも当たらない。


 誰かーー助けてくれぇ! 助けてーー! 助けて! 助けてぇ!!


 ずっと悲鳴のような声を上げているのに、暗がりに吸い込まれていく。

 声が、消え落ちる。無響室のような不自然さ。

 音はちゃんと伝わっているか。それとも俺の頭が、声を上げていると思い込んでいるだけか。

 怖すぎて涙が滲む。



 ひっ……! ふくらはぎを掴まれた。


 俺の脚を掴む冷たい手は、いつの間にか5つに増えている。

 がっちりと俺を離さない、冷たくて、湿った手。


 耳元で、何かの息遣い。


 髪の毛をぎゅっと握られ、ひっぱられる。


 ちいさな笑い声。たくさん、いる。




 すすり泣く声が聞こえる。

 泣いているは、俺だ。

 こいつら、何だよ。

 みんなが202号室に、得体の知れない何かを作り出して置いていく。

 俺の部屋に、いったい何を作った。

 ベッドの下に、窓の外に、隣の部屋に、風呂場に、ベランダに、いったいいくつ作ったんだ。

 参加者数は750人を超えていた。提出日の最終日まであと10日以上。

 まだ増やすのか。

 やめてくれよ。

 あそこは俺の部屋だ。



 恥も外聞もなく泣きじゃくる。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている筈なのに、顔にはもうその感覚がない。

 顔を拭きたいのに、自分の手がどこにあるのか分からない。

 今はいつだ。

 怖い。

 真っ黒な視界がこんなにも怖い。

 暗くて、黒くて、潰れて、なんにも見えない。

 存在が溶ける。

 くろい、くうきという液体。


 俺は、まだちゃんとここにいるのか。


 俺は、いったいどこで間違えた。



 あぁ、俺んちの写真。


 参加表明をクリックした時点で、既に囚われていたのか? 俺んちのマンションの写真が使われている事に気付いたあの時、あそこで参加を取りやめていたら戻れたんじゃないか? 誰かに強制された訳じゃない。自分で引き返せた筈だ。いや、違う。そもそも建物の写真を使われたのが原因だ。なら、企画が動き始めてこのトップ画面が作られた時に、すでに俺んちの建物はいけにえになっていたのだ。そうだ、怖いポイント。怖い評価の作品を読んでから壁を叩かれたのだ。あっちとこっちの境界線。「読んだ」から繋がったのか? 俺は怖がりだから、普段ホラージャンルは読まない。自分が書く側として参加していなかったら、ここに並んでいる作品は1つもクリックしないまま素通りしていただろう。

 ああ、じゃあやっぱり参加表明したからだ。俺が「書く」と決めたから。

 3日前、あの「夏のホラー2016」という小さくて黒いバナーを見つけていなければ、――こんなことには。





 宮地太清は、パソコンの前で大きく伸びをした。

 あいつ、いつ来るんだろう。それとも結局来ないのか。電話はずっと繋がらないし、そろそろ終電が無くなる時間だ。なんか妙な事を言ってたのが気になる。あいつがビビリなのは有名だが、それにしても様子がおかしかった。今夜泊まりに来たらいろいろ聞き出してやろう。それにしても、ちゃんと小説を書き上げたのか? 超怖がりのくせにホラーにチャレンジするとか、冒険しすぎだろ。

 そういえば、あいつのハンドルネームを知らないなと思いながら、「しょうせつかになろう」と打ち込んでみる。うわっ、すげぇ話題になってる。ネット上のあちこちで「小説家になろう」のホラー企画の事が取り上げられているようだ。

 この人気に便乗して、あいつの作品も大勢に読んで貰えるかも。ラッキーじゃん。

 目についた「この夏『小説家になろう』の企画が超怖い!!」の文字をクリックしてみると、大量の書き込みがあった。


 今年の「夏のホラー2016」企画、ハンパないらしいよ。運営側、頭ぶっ飛んでる。参加表明した人、ひとりひとりに合わせてタイトル画面が違うんだって。そこに建物の写真があるんだけど、みんなバラバラでさ。どうやってんのか分かんないけど、自分ちが映るんだって。窓のところに人影が動いたりして、ほら、実体験ってやつ? もう、すんげー怖いの。で、作品を書いた人はみんな…………。




             さあ、あなたもクリック!


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― 新着の感想 ―
[一言] こういうイベントの良い所は、作品を書くきっかけになる所だなぁとつくづく思いました。 最後まで面白く読ませて頂きましたm(__)m
[一言] 裏野ハイツこえぇ、事故物件とか絶対避けよう……とか思ってた臆病者たちを引きずり込んでいく作品。
[良い点] 着眼点にすぐれる作品の多い今回の企画ですが、なるほど。企画そのものをネタにするというのは面白い。 書き手は必然的に小説好きで読み手になることが多く、自分も例外ではなく楽しませていただきまし…
感想一覧
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