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    その三

 次に目が覚めた時、イブキは見知らぬ土地にいた。

 最初こそ、古の森林かと思ったが、しだいに頭がはっきりしてくると慣れ親しんだ森林と違うことに気づいた。苔の生えたうっそうとした森とは違い、乾いた地面の上に幹の細い枯れ木が寒々しく立っていた。

 葉が散った枝の間から見える月がなんとも遠く、小さい。星々も目をこらさなければかすかでしまいそうだった。

 つめていた息をはき出せば、白くなった。空気が冷たいのだ。

 身を起こしたイブキは、ここがマダツ島ではない異境の地であることを知った。

 どうやってたどり着いたのかわからなかったが、ただ助かったという事実がなぜか重く感じられ、いてもたってもいられなくなったイブキはのろのろと立ち上がった。ぼんやりとかすみがかった双眸が、切なげに細められる。寒さから震える唇はほんの少し開かれるけれど、その口から言葉が発せられることはなかった。

 ここがどこであるのか、それはわからなかったけれど、イブキはそこにとどまることのほうが怖ろしいとばかりに、歩き出していた。舗装された、夜でも明るい道を歩きながら、マダツ島と違う点を数多く見つけ胸が痛んだ。


「なぜこんなことに……」


 立ち止まって過去に思いをはせていたイブキは、そっと冷たくなった体を両の腕で抱きしめた。


「センジュ……」


 憎い。

 けれど、憎み切れない。

 ハスナギが兄を殺そうとしたという事実がイブキの心を困惑させていた。

 島のためにと思って孫を殺そうとしたハスナギ。

 彼に復讐をするためだけに生き続けた千珠。

 イブキには、どちらが善でどちらが悪かは答えられなかった。けれど島の人たちを殺したことはとうてい許せることではなかった。

 陰鬱な思いに捕らわれるイブキの瞳に、島とは全然違うきらびやかな風景が飛び込んでくる。

 空を見上げれば漆黒の月夜。

 夜にもなれば、手が届きそうなほど近くに見える月と星の淡い光が島を包むのに、こちらの地では違うらしい。鮮やかな色は、目を楽しませるのに十分だったが、今のイブキにはなんの慰めにもならなかった。

 イブキは、楽しげに道を行き交う人々の姿を切なく見つめながら、心に誓った。


(私は戦います。お兄様を捜しだし、きっとこの手で……!)


 イブキの瞳から、堪えていた涙がこぼれ落ちた。最後に見たあの光景が目に焼き付いて離れなかった。

死んでしまった。

 二人は。

 そして多分、ほかのみんなも。

 もう、イブキ以外――いや、彼女と兄の千珠以外にマダツの血を引く者はいないのだ。

 その事実がどうしようもなくイブキには悲しかった。

 こぼれ落ちる息が白くたゆたい消えていく。裂くような冷たい風が肌を刺し、指先の感覚さえも麻痺していく。寒さが痛みにかわり、歯がカチカチと鳴った。


(私はどこへ行けばいいの……? お祖父さま…イナミ……タスケテ────……)


 ふらりと足を前に踏みだした。

 キキーッと耳障りな音がすぐ横で聞こえた。

 ハッと我に返れば、目の前で金属製の箱のような物が止まるところだった。


「なに、つったってんだ! 死にてぇのか! バカヤロウッ!」


 中から男の怒声が聞こえたと思ったら、箱は走り去っていった。その後を同じような箱が続いていく。

 わけがわからず、その箱に興を惹かれるままさらに踏み出そうとしたその時、腕をぐいっと引っ張られた。


「自殺なら、ほかでやんなさい。いい迷惑」

「え……?」


 唇に綺麗に塗られた紅が印象的な女は、鈍いイブキの反応にしびれを切らしたのか、ぱっと腕を放すと、緩やかにうねった亜麻色の髪をかき上げた。


「だから……っ」


 イブキの顔を見た女の目が、少しばかり大きく見開かれる。けれどすぐに、苛立たしそうな顔になると、構ってられないとばかりに去っていった。


「あ……」


 思わず伸ばしかけた腕は、冷たい冷気にさらされて、思うように動かなかった。

 そのまま為す術もなく立ちつくすイブキの目の前で、突然それまでこちらを伺って立ち止まっていた人たちが、箱が通っていた道を横断し始めた。

 イブキのときのようにだれも阻もうとしない。

 なぜ……と、困惑と怒りが同時に弾けて消えた。ここに自分のいる場所はないのだと、そう示された気がして、寒さで強ばっていた顔が少し歪んだ。

 どけ、とばかりに押しのけられ、たたらを踏んだイブキは、灰色の支柱に肩をぶつけた。


「………ッ」


 肩よりも目の奥がツンと痛み、噛みしめた唇が小さく震えた。   

 動かないイブキに視線を向ける者は何人もいたが、関わりたくないとばかりに、すぐさま逸らして、通り過ぎていった。

 ただぼんやりとそれを見ていたイブキの心も凍ってしまったかのように何の感情も浮かばなかった。孤独感とやるせなさが混じり合い、すっと浮かんでは、泡のように消えていく。


「――……やだ。まだいたの?」


 彫像のように微動だにしなかったイブキは、聞き覚えのある声を耳にし、沈んでいた意識が上がってくるのを感じた。

 ついで体が暖かな物に包まれる。

 恵期に降り注ぐ太陽のような温もりに、涙があふれ出そうになった。


「こんな寒い日に……肺炎になりたいの?」

「……っ」

「そんな格好で…もしかして仮装のつもり?」


 強ばっていた顔が緩み、視線を流すと先ほどの赤い紅を塗った妖艶な女がいた。何がおかしいのか、口の端を軽く持ち上げ、イブキの顔を覗き込んだ。


「か、そう……?」


 どういう意味だろう。

 不思議そうな顔をするイブキに気づいてか、女の顔がほんの少し真剣になる。


「あなた、日本人じゃないわね。少しイントネーションが違うわ。顔立ちは日本人っぽい…いえ、外人の血も混じってそうね。目鼻立ちがはっきりしているから。色も白いから白人の血かと思ったけれど、それにしては髪の色が濃すぎるわ。不思議な容姿をしているわね、あなた。綺麗だけれど、どこか浮世離れした……えぇなにより薔薇ように鮮やかな瞳が印象的で……」


 女はそこで口を紡ぐと、なにかを考えるようにじっとイブキを見つめた。


「さっきあなたを見たとき、とても驚いて……昔祖父が語ってくれたおとぎ話を思い出したわ。なぜかしらね。そんなことありえないのに、あなたがとても気にかかって……あたし、またここに来ていたのよ」

「え……」

夏女(なつめ)、よ」


 訳が分からず瞬きを繰り返すイブキを楽しげに見ながら、女は言った。


「あたしの名前。夏女というの」


 ナツメ、そう口にしようとしたイブキだったが、ふいに襲った眩暈に体が傾いだ。

 石のように硬そうな地面にぶつかるんだろうなと思っていたら、ふわりといい香りに包まれた。柔らかな胸の感触を頬に感じながらイブキは意識を手放した。


「ちょ……っ、やだ、どうしよう」


 女は焦ったように声を上げると、だれも助けようとしない通行人を睨みつけ、片手で携帯を取り出して、慣れた様子で電話をかけた。


「あたしよ。迎えに来てちょうだい。あと、主治医を至急呼んできて。…あたしじゃないわ。病人が一人いるのよ」


 ここがどこであるかを伝えた女は、落ちそうになったイブキを抱えなおし、ため息を飲み込んだ。


「意識を失った人間ってどうしてこんなに重いのかしらね。こんなことならSP(護衛)を連れてくるんだったわ」



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