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    その五

(イ、ナミ……?)


 イブキは、耳慣れた声に神経を集中させた。真っ暗だった視界が、やがて鮮明になる。最初に見えたのは金色の髪だった。一つに結ばれた髪が、肩から流れ落ち、イブキの頬をくすぐった。

 視線を上に動かすと馴染みの顔があった。ほっそりとした顔立ちは、女人のように柔らかで、しかし女にはない不思議な魅力があった。いつも優しい笑みを浮かべ、その笑みと同じくらい優しい声は子守歌のように耳に心地好く響いた。

 だが、今の彼はこれまで見たことがないほど憂えた表情をしていた。


(イナミ……?)


 どうしたの、とイブキは彼に向かって問い掛けようとして、先程から感じていた違和感に気付いた。イナミの切ない瞳は自分を見つめていて、そして自分も彼を見ていて、だが、視線は絡んでいるようで微妙にずれていた。


「今日で三日目。――――君はまだ目覚めないんだね」

(目覚めない……? 私は目を開けているのに……)


 イブキは訝しんだ。

 そして、いつもと感覚が違うことに気付いた。体が少し浮いているような不安定さを覚え、体を動かそうとしたが、体中が鉛のように重く、指一本動かすこともままならなかった。声を出してイナミに目が覚めていることを伝えようにも、口は薄く開かれたれたまま静かに呼吸を繰り返すだけだった。


(あぁ……これは……()ているのね………)


 視る。すなわち、心の目で見るということだ。透視といってもいいかもしれない。

 イブキが呪術を習得するとき、師が基礎として教えてくれた呪だった。使用している間は体が無防備になり、長く使い過ぎると身体にも負担を強いる危険な呪であるが、島の人たちは、森にある果実や茸類などを探すときなど気軽にこの呪を使っていた。

 しかし、とイブキは思った。彼女に呪を唱えた記憶はなかった。

 しかも、だれもが身の内に有している力がイブキにはないために、呪術を使うことから不可能であった。

 なのになぜ、今自分は視の呪を使っているのだろう──と、そこまで考えて、視の呪のもう一つの用途を思い出した。視の呪は、敵の呪から精神を破壊されないよう防御する効力があった。けれど、脅かされることがなくなったマダツ島の人々は、その効力を必要としなくなったため忘れさられていたのだ。

 では、今自分が置かれている状況というのは敵から呪を受けているというのだろうか。        

 イブキは、混乱していた。視の呪は習っただけで、皆のように使うことができなかったのだ。それなのになぜ、今、視の呪を使っているのだろう。

 けれど、イブキの疑問もイナミの声に遮られ、中断せざるを得なかった。


「昔話をしようか」


 イナミは優しく語り始めた。狂おしい何かを秘めた瞳でイブキを見つめながら。


「イブキ。君の母上は、僕の婚約者だったんだよ。年が近いというだけで、長に生まれたときから決められていたんだ」

(え……)


 小さく息を呑んだイブキは、一瞬聞き間違えたのかと思った。


「ハスノは美しく、優しい少女だった。命あるものには無償の愛を注ぎ、自然をこよなく愛していた。僕はそんな彼女がとても好きだったし、彼女も僕を慕ってくれていたよ。けれどね、そこに恋愛のような感情はなかった。それは本人たちが一番良くわかっていたんだ。……あの頃はとても楽しかったよ。婚約者ではなく友達として無邪気に遊んでいたあの頃がね」


 イナミの瞳が陰った。どこか遠くを見つめている目は、多分、過去を思い出しているのだろう。


(母様が、イナミの婚約者だった……?)


 初めて知る事実に、心臓が不規則に高鳴った。


「ハスノが晴れて成人の儀を迎えた日。長は言ったよ。一週間後には婚儀を行う、とね……。僕たちに逆らえる力はなかった。準備は着々と進められ、意に沿わない連れあいの儀が島の者総出で開かれようとしていた。けれど……、やはり神はいるものだね。僕たちの願いが天に届いたのか、奇跡が起こったんだ。――君の父上が現れたんだよ。波際に打ち上げられていたところをハスノが発見してね……。運命の導きというのは、こういうことをいうのかもしれないね。彼……ユウキの命を救ったのはハスノなんだから。ユウキおかげで、僕とハスノの婚儀は取りやめになってね……どれほど感謝したかわからないよ」


 イナミはそこで一息吐くと、視線を窓の外へ移した。


「ねぇ、イブキ。ハスノとユウキは、本当に幸せだったのかな。二人が過ごした時間は、とても短くて……今思い出しても心が痛むよ……。もう少し早く、島の人が異国の者を受け入れていたら……そうしたら、もっと長く一緒にいられたかもしれないのに……。こんなに長い人生の中で、二人が一緒にいられた時間は、ほんの瞬きの間ぐらいしかなかった…、いや、それよりも短かったかな」


 囁くように語る声は、無限に広がる海のように、あるいは澄み渡った空のように静かであった。

 イブキは一言一句聞き漏らさないよう耳を澄ましていた。

 これまでだれも進んで話してくれなかった父と母の話。


『ねぇ、どうしてイブにはとうさまとかあさまがいないの? どこへ行ったの?』


 幼い頃、そう何度も尋ねて、大人を困らせていた。


『遠いところへ行かれたのです』


 決まって彼らはそう答えて、それ以上詳しく語ってはくれなかった。重く閉ざされた口は、みな堅く、どことなく憂いを含んでいた。


(母様……、父様……)


「それでも二人は想いを育み、長だけでなく島の人々全員が反対する中契りを結んでしまった。互いの血を飲み交わせば、しきたり通り夫婦にならざるを得ないからね。それを破れば災難がふりかかる。長たちは…もちろん平静を失ってね……それこそ、二人を殺しかねない勢いだった………。そんな中、君は生まれたんだ」


 ふいに繋がれた手をイナミが宝物のように両手で包み直した。伝わってくる熱とイナミの優しさがじんわりと全体を包み込み、陶然とした。


「君が生まれてすべてが変わった。それまでハスノとユウキを快く思っていなかった者たちは、掌を返したように浮かれて、二人を祝福したよ。そして、長は言ったんだよ。僕を君の婚約者にしようと。ハスノがユウキと契り合ってしまったから、僕に対する罪滅ぼしのつもりだったんだろうね。僕は唯一の妻を失ってしまったわけだし。……最初はどうでも良かったんだ。二人を見ていて、本当に好きな相手と契りたいと思っていたし。でも……」


 イナミの穏やかな、けれど瞳の奥には燃え上がるほど強い感情を秘めた目で見つめられたイブキは、泣きたくなった。


(イナミ……)


 祖父と同じくらい好きな男性(ひと)

 大好きで、大好きで、大切な人。


「君は、僕がどれだけ連れあいの儀を行うのを望んでいるのか知らないだろうね……。君の成長の早さにだれよりも喜んだのは僕だということを知らないんだろうね……。イブキ、早く戻っておいで。僕は待っているから……いつまでも……」

(イナミ……)


 イブキは胸がいっぱいになった。いつも穏やかな佳人が、これほどまでに情熱的な炎をまとったことがあっただろうか。

 少し早くなる鼓動。

 こんなに想われて嬉しいと──そう訴えかけてくる。

 自分の想いとイナミの想いには、かなりの温度差があるけれど、それでも、今、イブキは幸せだと思った。


「イナミ。イブキに呪術をかけるので、少し席を外してはくれないか?」


 そう言いながら入ってきたのはハスナギだった。


「呪術、ですか……?」

「そうだ。これは秘術のため、私以外に使える者はいないがね」


 祖父の顔は、イブキが今までに見たことがないほど強張っていた。眼光は鋭く、睨まれれば竦んでしまいそうなほど険しかった。


「わかりました」


 イナミもいつもの長とはどこか違うことに気付いたのだろう。イブキからそっと手を離すと片膝をつき、頭を下げてから出ていった。

 イブキは、困惑しながらハスナギの一挙一動を見つめていた。

 ハスナギはイブキの元へ近寄ると、彼女の額の上に手を軽く乗せた。


「――イブキ。……戻ってきているのか?」


 どこか感嘆と呟く彼の声には、隠しようのない喜びが混じっていた。


「そうか。視の呪のお陰か」


 鋭かった眼差しが少しだけ柔らかくなった。


「お前の力が極限において開化し始めたか。では、早速始めるとするか。――生転の呪、(カイ)!」


 その言葉が言い終わると同時に、イブキの体は淡く発光した光に包まれた。


(なに、これ……。気持ち悪、い……)


 ぐるぐると回っているような感覚がイブキを襲う。思考がまとまらない。自分がどこにいるのかもわからなくなる。

 思わず瞳を閉じ、視界が闇に染まった。

 様々な光景が浮かんでは消え、次に目を開いたときには、体が軽くなっていた。


「おじ、ぃ……ま……」


 イブキは声が出たことに驚きながらも、掠れた声で呟いた。体を動かすのは節々が痛んで辛いが、それでも先程までとは違い、地に足を着いているような安定感があった。


(戻ってきたのね)


 うっすらと汗を滲ませながら安堵の息を吐いた。


「心と体が離れていたのだ。しばらくは休養しておいたほうがいいだろう。あと一日遅ければ、生転の呪をかけても戻れたかどうか。今回は、視の呪のお陰でお前にかかった呪術が緩和されていたのだよ。だから無事に五体満足で現に戻れたわけだ」


 ハスナギも疲労した表情で吐息を漏らした。

 いつになく憔悴した様子の祖父を黙って眺めたイブキは、少し会わないうちに頬の肉がそげ落ちた顔を子細に観察した。


(お祖父さま……?)


 なにがあったんだろうか。

 イブキの心配する気配を読み取ったのか、案ずるなといいたげに口の端を軽く持ち上げたハスナギは、次の瞬間笑みを消すと、淡々と命じた。


「――この島に災いが起きたなら、お前は父の国へ行くといい」

「……!」


 父の国へ行く……?

 最初、その意味を理解できなかった。

 空耳かと疑うイブキに気づいてか、ハスナギはもう一度言った。


「お前の父――ユウキが生まれ育った国だ。お前の父は、この島よりもずっと広大な島国に住んでいたんだ。ニホン…それが、その島国の名だ。お前はその国へ行きなさい」


 イブキには祖父の声が遠く感じられた。

 この島の外へ出れば死が待っているといったのは、彼ではなかったか?

 なのになぜ……。

 そんなイブキの胸中を察してか、ハスナギは小さくうなずいた。


「あぁ、そうだ。普通の者だったなら死ぬだろう。けれどな、イブキ。お前には異国の血が流れている。混じり子は、死することがないのだ。……あえてあの時話さなかったのは、まだ時期ではなかったからだ。だが、今は――。いいか。よく聞きなさい。お前は聖なる子( クレス リー )。マダツの血を絶やすわけにはいかないのだ。これから、お前にとってとても辛く悲しい事実、そして、試練が待ち受けていることだろう。だが、忘れるな。私はお前の側にいて見守っているという事を。たとえどのような姿になったとしても」


 イブキには、ハスナギが何を言いたいのかわからなかった。けれど何かが起こるのだということが感じ取られ、もどかしいような、なんともいえない複雑な心地となった。


「なに、を……なにをおっしゃるのですか」

「イブキ、今は休め。明日の朝、藍の間で……」


 ハスナギは一方的に話を切ると、用はすんだとばかりに背を向けて去っていった。

 残されたイブキは、わけがわからず、動揺を隠せずにいた。


「お祖父さま……?」


 一体なにがあるというのだろう。

 息を詰めていたイブキは、ふっと吐きだした。体は重りが乗っているかのようにだるかったが、頭は冴えわたっていた。

 大粒の宝石や石をはめ込んだ美しくきらめく天井を見つめ、思いを巡らせていた。



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