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    その四

 島はにわかに騒がしくなった。

 聖なる子( クレス リー )が意識不明の重体に陥ったからだ。

 島の中心に建つ長の家を島の住民たちが次々と見舞った。どの顔も不安と心配を滲ませていた。聖なる子は、久しく待ちわびていた子供だけあって、皆にとっては我が子同然だったのだ。だからこそ哀しみは 深い。

 ハスナギは、薬草や果物など見舞いの品であふれかえった室内を見回しながら、血の気の失せた顔を右手で覆った。

 木の板と大きな葉で造られた簡素な家は、ほかの家と同じ作りであったが、長という地位だけあって部屋数は多く、室内も大人がゆうに二十人は寝そべれそうなほど広かった。   

 けれどその広い部屋も、見舞い客を一通り通し、帰した後は、閑静な雰囲気が室内に漂い、ハスナギの不安を煽った。


「……イブキ」


 丸三日間も目を覚まさない孫の身を案じている彼の声には悲痛な響きが宿っていた。島で一番の呪術の使い手であるハスナギの力を持ってしてもイブキの症状は変わらなかった。

 熱はない。

 毒を飲んだ形跡もなし。

 呼吸は正常。

 血色もいい。

 知らない者が見れば眠っているだけだと勘違いするだろう。

 けれど、ハスナギには分かっていた。なぜイブキが目を覚まさないのか。


「く――――――っ!」


 拳を堅く握り締めながら、壁を叩いた。拍子に葉を何重にも重ねて出来た壁は崩れ落ち、ぽっかりと穴が開いた。そこから陽光が差し込み、毛皮の敷かれた床を柔らかく照らす。小さく舌打ちしたハスナギは、今し方開けてしまった穴に手をかざした。低く呪を唱えると、掌から出た淡い光が、見る間に穴を塞いだ。

 ハスナギは厳しい面持ちで部屋から出ると、自室に向かった。

 その途中で、


「長っ! イブキの具合はどうですか?」


 始終笑みを絶やさない聖人といわれていたイナミが、血相を変えながら廊下を駆けてきた。


「イナミ、か。イブキなら相変わらず眠ったままだ」

「そうですか……。イブキの顔を見てきてもいいですか?」

「ああ、いいとも。私は少し調べも物があるのでな。異変があったら教えてくれ」

「はい」


 イナミは真剣な面持ちで頷いた。しかし、瞳には、昏睡状態のイブキを放り出してまで調べたいこととはなんなのだろうかと、困惑が浮かんでいた。

 何か言いたそうに瞳を揺らすイナミに気付いたハスナギは、無言の威圧でイナミの疑問を封じた。これ以上立ち入るなと、厳しく細められた瞳が語っていた。イブキの前では優しい祖父だが、一皮剥けば長としての威厳にあふれていた。


「─────!」


 圧されたかのように一歩身を引いたイナミは、苦渋をわずかに滲ませた顔を伏せ、敬愛の意を示す挨拶をして立ち去った。

 イナミの姿が角に曲がって見えなくなるとハスナギは顔を引き締め自分の部屋に向かった。垂れ下がっていた布を払いのけながら室内に入ると、彼は山積みにされた本の中から、なんの装丁もされていない本を手にとった。色あせ、ところどころ傷んだ本は、それだけでどれだけの時間を生きてきたのか感じさせた。ハスナギは、破かぬよう慎重にページをめくっていたが、目当ての場所を見つけ、手を止める。


「――……移転の呪か」


 細くなった瞳が怜悧な光を帯びる。

 移転の呪は、長であるハスナギであっても使うことが許されぬ禁呪である。心を封じ、体を衰弱させ死に至らしめる呪は、外見や内面には異常が見られないため、呪術だと気付くものはおらず、癒しの呪をかけても治すことは不可能であった。

 その昔、移転の呪は怖ろしい呪と知られながらも禁呪ではなく、権力者の家系に代々伝えられていた。その高貴な身分に生まれながらも、闇に染まり強欲な権力者となった者が、移転の呪を乱用したため、多くの命が失われたという。

 その者は死してなお深い暗闇に閉ざされ、その魂を封じら、今も転生かなわず闇の中で生きているという。

 あまりに多くの罪なき民の命を奪った呪のためか、移転の呪は、危険な呪として封印され、長のみに伝えられることとなった。まだ移転の呪が広まっていた頃ならいざしらず、現在では、長以外でその禁呪の存在を知っている者はいないだろう。いや、いないはずであった。


「ついに…、宿命の時が……」


 そう呟いた彼の顔からは表情が消えていた。彼の横顔を蝋燭の光が照らす。

 まだ真昼だというのに部屋の中は薄暗かった。部屋の中央に置かれた蝋燭だけが唯一の明りであった。主が留守でもともされ続けていた蝋燭の炎は、弱まるばかりか一定の大きさで室内全体を写しだしていた。溶けることなく原形をとどめている蝋燭は、炎はただの光であることを示していた。

 ハスナギは蝋燭を見つめた。ゆらゆらと揺れる光を瞳に映しながら、けれどその光とは別の光が彼の瞳には宿っていた。

 決意なのか、はたまた別の何かだったのか。それを知る者は当の本人以外いなかった。




 イブキは柔らかな羽毛に包まれながら眠っていた。

 艶やかな黒髪が純白の布の上に広がり、その布に透明感を加えたような肌はみずみずしく、染みやそばかすなど一つもなかった。どんな相手でも怯まず見据えていた瞳は、今は長い睫に覆われ、繊細な陰影を作る。頬はうっすらと赤みが差し、薄く開いた唇から漏れる寝息は、本当にただ眠っているだけなどだという気にさせた。


「イブキ……」


 イナミは椅子に腰掛けながらそっと名を呼んだ。

 そして、恐る恐る彼女の手を握り、伝わってくる体温の温かさに安堵した。けれど、目を閉じていると普段の堂々とした姿は影を潜め、空気に溶けて消えてしまいそうな儚い姿がイナミの心を不安にした。


「今日で三日目。君はまだ目覚めないんだね」


 憂えた声が悲痛な響きを帯びる。

 開け放たれた窓からは、涼しい風が吹き込んできた。

 イナミは、木窓から見える青空を見つめながら、何十年も同じ景色を見てきたことを思い出していた。

 この島は、一年を冬期(ゲータ)と呼ばれる肌寒い時期と恵期(ディーウ)と呼ばれる温暖な時期にわかれていた。冬期がやってくるのは一年の中でもほんとうに短い。まるで小さなつむじ風のようにあっという間に去っていく。神に守られているからこそ、恵期に天候が荒れることもなかった。ちょうど今のように恵期に入っていると、雲一つない晴天が毎日続くのだ。

 醜い争いも、他からの侵略もない平和な島は、半分を木々に覆われていた。周りは海で囲まれ、三年も住んでいれば島の細部まで把握できてしまうほど小さな島である。

 外界との接触を一切禁じられたこの島では、毎日が同じことの繰り返しであった。寿命が長いこともあり、マダツ島の人々は成長がゆっくりだった。普通は約十年で幼児、さらに七十年かけて少年の姿となり、それから百年かけて青年へと成長する。

 だからこそ、たった十七年で少女に成長したイブキは異例であった。

 しかしそれは、何の変化もない日々に慣れてしまっていた島の人々にとって、逆に新鮮に映った。

 彼らはもしかしたら、今の生活を変えてくれる何かをイブキに期待していたのかもしれない。だからこそ、人々はイブキのことを聖なる子と呼び、だれもが敬愛していたのだろう。 

 けれど、そんな皆の期待を背負ったイブキが、このまま一生目を開けないかもしれない。


「――──昔話をしようか」


 イナミは不安を振り切るかのように切り出した。


「イブキ。君の母上は、僕の婚約者だったんだよ。年が近いというだけで、長に生まれたときから決められていたんだ――─」


 眠るイブキを優しく、けれど切ない瞳で見つめながら語り始めた。彼女に聞こえないとわかっていても、雑念を払うにはこれしかなかったのだ。



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